インターバル: sec.

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※ 北海道の地形と地質をスライドショーで紹介します ※

蛇紋岩メランジュからなる夕張岳のきわめて特異な山容.鋭い岩塔状の部分は,蛇紋岩に捕獲された低温高圧型変成岩体である.硬質な岩相で,周囲が風化抵抗性の弱い蛇紋岩なので,このような地形を形成した.新第三紀プレート衝突に伴う東西圧縮テクトニクスを象徴する山である.夕張市シューパロ湖畔から.


十勝火山群の主峰・十勝岳(中央右:激しく噴気を上げている.2077 m).その左は美瑛岳(2052 m)と美瑛富士(1888 m).晩秋の積雪により山容が立体的になっている.美瑛町美沢から.


大雪-十勝火山群.中央右の噴気を上げているのが十勝岳.その右は富良野岳(1911 m).左奥に遠く見えているのが大雪山系.十勝岳の前面に広がる火砕流平坦面が見事である.大雪-十勝火山群は,北海道中央部に東から衝突している千島弧の西端にあたるもので,本州~北海道西部の火山帯とは別のものと言える.富良野市ワイン工場付近から.


千鳥が滝の地層.新第三紀中新世(約1千万年前)の石狩海盆に堆積したタービダイト互層(川端層)が作る北海道随一の地層景観.高角に傾斜した地層の2断面が走向と傾斜の関係をそのまま表していて面白い.夕張市千鳥が滝.


『白亜の地層』.新第三紀鮮新世(約5百万年前)の地層が作る壮大な海食崖露頭.ドーバー海峡のチョークの崖に模されるが,石灰質の地層ではなく,凝灰質シルト岩と火山性タービダイトの互層である(館層).乙部町館の岬.


『白亜の地層』の角度を変えたショット.姫川河口を挟んで対岸にある漁港の防波堤に沿って行くと,『白亜の地層』の横顔が見えてくる.この角度から見ると,地層中に発達する,少なくとも2方向の高角割れ目系が顕著に見えてくる.館層の上位に新規の地層が不整合に載っているのもよく分かる.乙部町乙部漁港から.


(きりぎし)山石灰岩体.白亜紀(約1億年前)前弧海盆中の巨大なオリストストロームの一部で,他に例を見ない怪奇な風景を形作る.北海道中央部の奥深い場所にあり,一般道からは見ることができないので,一般にはあまり知られていない.これを見るには,希少植物保護のため所管部署から厳重な許可を得て林道に入る必要がある.参考画像に5枚の写真を合成した元のパノラマ(横5120ピクセル)を示す.芦別市惣芦別川最上流部.


『春採太郎』.古第三系(約4千万年前)河川成層に貫入する北海道最大の砂岩脈(厚さ約5m).おそらく日本国内でも最大級と思われる.釧路市文化財・天然記念物に指定されている.この巨大な砂岩脈の貫入形態・機構については不明な点が多い.露頭の上の平坦面には旧釧路太平洋炭鉱がある.釧路市興津海岸.


支笏カルデラの形と規模をイメージできる風景.左から,樽前山・風不死岳・紋別岳・恵庭岳に囲まれた部分が支笏湖=支笏カルデラである.恵庭岳右側に見える火砕流平坦面は札幌市郊外まで続く.長沼町ながぬま温泉付近から.


えりも岬付近に発達する大規模な海成段丘面.少なくとも三段の段丘面が認められる.最高位のものは標高 200 m ~ 350 m の豊似面.低位段丘堆積物からマンモスの歯化石が産出している.日高衝突山脈の上昇に関連した地盤変動との関係が非常に興味深い.えりも町百人浜付近から.


白亜系前弧海盆堆積体(函淵層:右)と古第三系挟炭層(石狩層群登川層:左)の不整合露頭.不整合面は写真中央左,淡緑色部の左側にある.その左には薄い石炭層も見えている.全体が逆転しており,北海道中央部の新生代テクトニクスを体現している露頭と言える.この露頭と,函淵層の模式地である函淵の風景は,新ダムの建設により永久に失われた.右に見えているのが旧世代の大夕張ダム.2000年撮影.夕張市函淵.


豊浜トンネル崩落事故(1996年2月)現場.多くの犠牲者を出し,その原因や対策について社会的にも注目されたため,地質学と市民社会との関係性を再認識するきっかけとなった.事故から5年後の2001年撮影.旧豊浜トンネル坑口は左に見える盛り土部の右にあり,その上が崩落分離面.左端がチャラツナイ岬.右端に見えるのはセタカムイ岩.国道の上にそびえるほぼ垂直な海食崖の高さ(max. 200 m)が印象的である.古平町チャラツナイ岬沖から.


旧豊浜トンネル坑口付近.新別線トンネルの開通により廃道となり,少なくとも陸上から立ち入ることはできない.旧坑口左の盛り土の上が崩落分離面.このような急崖斜面の直下に覆道・トンネル坑口を含む国道を通すというのは,現在の意識・感覚からすると信じられないことのようにも思われるが,当時(旧豊浜トンネル開通は1984年)はこれが当たり前だった.それ以前の時代は言うまでもない.それを変えたきっかけが,まさにこの豊浜トンネル崩落事故であった.古平町チャラツナイ岬沖から.


粗粒礫質タービダイト単層下底に見られる密集ソールマーク.おもにフルートキャスト・グループキャストからなるが,荷重により変形している部分やロードキャストそのものも見られる.地層は新第三系川端層.このソールマークが示す古流向は写真上で右⇒左のようにも見えるが,荷重変形もあり定かではない.この貴重な露頭は2000年ころ,河川増水による崩落で失われた.6枚の写真をパノラマ合成した元画像(横5120ピクセルに縮小)を参考画像に示す.夕張市千鳥が滝.


石狩低地帯東縁断層帯の一つ,泉郷(いずみさと)断層の作る活断層地形.南方を見たもので右方に石狩低地があり,全体として右側に傾く緩斜面の先に土手状の撓曲崖が走っている.断層は背後に見える丘陵の左を通過していく.2006年撮影.その後農地の利用形態が大きく変更され,現在はこのような風景を見ることはできなくなった.千歳市泉郷.


古第三系中の不整合露頭.下位が根室層群汐見層(前弧海盆堆積体)の成層シルト岩・細粒砂岩(暁新世:約6千万年前).上位が浦幌層群別保層(河川成層)の礫岩(始新世:約4千万年前).この不整合の持つ年代ギャップはおよそ2千万年(20 Ma)である.北海道でもっともスペクタクルな不整合露頭の一部を見たもの.参考画像ボタンで不整合面のクローズアップ写真を表示する.釧路市岩見海岸.


夕焼けに浮かぶ利尻火山.もっとも近い大雪火山から 200 km 離れており,第四紀火山帯から遠く離れて孤立する“背弧火山”として特異なものである.その形成には,“マントル・ダイアピル”が関与していると考えられている.初山別村金毘羅岬より.


厳寒の安平低地と夕張山地.右背後に見えるのは夕張岳.その左がマウント・レースイ,さらに左に芦別岳が頭を覗かせている.盆地・山地形成やナップ構造など,北海道中央部のプレート衝突に伴う東西短縮テクトニクスが地形として表現されている.参考画像ボタンで9枚の写真から合成された本来のパノラマの高解像度版(横7680ピクセル)が参照できる.由仁町馬追丘陵中腹より.


夕張山地の中に見えるナップ地形.新生代の東西短縮テクトニクスによる.中央に見える台地状の部分が,古第三系泥岩の上に衝上した,ほぼ水平な上部白亜系函淵層群の硬質砂岩層からなるナップである.その後ろに夕張岳の頂上が象徴的に見えている.夕張市丁未公園より.


雪の地層.降雪断面は,まさに地層のアナロジーである.通常降雪による葉理を持つ白色層と,除雪活動による暗色粗粒の乱雑層とのコントラストが著しい.乱雑層上部のアンジュレーションの成因は,除雪の際にできたものか,あるいは融雪によるものか,不明である.その上位には,再び通常降雪層が堆積している.札幌市厚別区虹が丘付近.


排雪によって集められた雪(+土砂)の置き場である“雪堆積場”は,デルタ堆積体のアナロジーである.春になって堆積場の融解をうながすために掘削した断面に現れた,見事なフォアセット層理を示す雪のデルタの断面.札幌市清田区清田付近.


付加体中の変形流動層.付加体は,通常の正規地層とは一味も二味も違う変形・流動地質体である.これは,変形砂泥互層中に厚さ10cm程度の含礫泥質砂岩レイヤーが不規則な外形で挟まれるもの.スランプ等の乱堆積ではこの産状を説明できず,流動レイヤーのシル状貫入によるものと推定されるが,解明されていない.松前町白神岬.


蝦夷東帯蝦夷層群中の大規模な変形タービダイト層.単純に考えればスランプ体の内部褶曲ということになるが,構造的変形との区別は必ずしも明確ではなく,前弧海盆海溝側の堆積体深部での変形とも考えられる点もある.新ひだか町静内川上流高見湖畔.


白亜紀前弧海盆堆積体・根室層群のスペクタクルな露頭.釧路~根室地域は,海岸部に白亜紀~古第三紀前弧海盆堆積体の良好な露出があるという意味で,北海道では貴重な地層学的フィールドとなっている.この露頭の最上部に見える厚いレイヤーはドレライトのシートで,その下底には“メガローディング”構造が見られる(写真中央).下位の地層は根室層群浜中層(上部白亜系)のタービダイト互層で,スランプ構造(写真中央下)をはじめとするさまざまな未固結時変形構造が観察される.浜中町貰人(もうらいと)海岸.


白亜紀前弧海盆堆積体蝦夷層群中の“不整合現象”と誤認された歴史的な露頭.蝦夷層群の内部に不整合現象がみられることは1950年代から指摘されており,その半分は正しかったが,半分は間違っていた.これは図幅等で1950年代に報告された露頭で,下部-中部蝦夷不整合の根拠となった露頭である.実際には,下位にある傾斜した地層は著しく褶曲破断したスランプ体の一部で,その上位に礫質粗粒タービダイトが海底浸食面上に載っている.不整合の基底礫岩に相当するものではない.芦別市滝里ダム下流.


白亜紀前弧海盆堆積体蝦夷層群中の正真正銘の不整合露頭.下の暗色部が弱変成緑色岩.上位の明色部が蝦夷層群中部層準の浅海性礫質砂岩(石灰質で斜交層理を示す).この基底礫岩には,低温高圧型変成鉱物(青色角閃石)砕屑物を普遍的に含む.前弧海盆中に,下方で付加中の海洋プレートがダイアピリックに上昇し露出した,というある意味“掟破り”の不整合である.新ひだか町静内川上流崩れ沢.


根室層群厚岸層中のスランプ層.厚岸層は大量絶滅の起こったK-P境界をまたぐ地層であるが,なぜかスランプ層の発達が著しい.この露頭の右方には岬があるが,その全体が百m規模のスランプ体からなっている.浜中町後静(しりしず)海岸.


根室層群浜中層のタービダイト互層.根室層群は海岸地域に露出するので,『美しい』タービダイト層を随所で目の当たりにできる.地層研究者にとっては心癒される場所である.浜中町奔幌戸海岸.


館浜メランジュの内部岩相.メランジュは付加体を構成する重要岩相であるが,付加体の大部分がメランジュからなっているのではない.松前町海岸は,ジュラ紀付加体が海岸に露出し,付加体の内部構造を子細に観察できる貴重な場所である.なお,館浜メランジュは,北海道で最初に認識され命名されたメランジュ体である.松前町館浜トノマ岬.


雪に覆われた石狩平野と夕張山地.ヘリコプターからの空撮写真.石狩平野は地質学的には石狩低地帯と呼ばれ,実はさまざまなテクトニクス要素が地形に反映されている地帯である.遠景は言うまでもなく夕張岳-芦別岳.石狩平野上空より.


空から見た支笏湖.ジェット旅客機の窓からの空撮写真.巨大な支笏カルデラの全貌を一目で直に見ることができる機会はそうそうない.手前の冠雪しているのが樽前山.その対面が恵庭岳である.白老-苫小牧上空より.


地層のパノラマ.波蝕平坦面に露出する,ほぼ垂直な新第三系静内層のタービダイト互層.干潮時にしか現れない地層の風景.広角レンズによる4枚の写真を合成した疑似魚眼写真.新ひだか町春立海岸.


白亜系蝦夷層群中のカラフルな礫岩の断面.かつて不整合基底礫岩とも考えられたものだが,その実態は礫質重力流堆積物で海成層である.礫種はチャート・砂岩泥岩・安山岩質火山岩・珪長質深成岩などで,白亜紀エゾ海盆の後背地(≒渡島帯)の地質体構成を示唆する.石灰質砂岩や二枚貝殻などの準同時性砕屑物を含む.日高町滝の沢.


早春の芦別岳遠景.芦別岳は夕張岳から北に延びる山稜の一部であるが,蛇紋岩体は分布せず,おもに白亜紀付加体中の海洋性岩体と低温高圧型変成岩類からなる.この背後に富良野盆地-十勝岳火山群がある.山体右前部の大規模な成層岩体に注目.南幌町付近から.


夕暮れ・残雪の十勝岳連峰.このあと日が沈むにつれてピークの上がオレンジ色に染まっていき20分ほどで闇に沈んだ.2004年5月撮影.ピークは左から,美瑛富士・美瑛岳・十勝岳・富良野岳・前富良野岳.十勝岳連峰のこのような眺望は,明らかに北海道随一のものである.これが千島島弧(火山弧)の西端というのは wonder である.沈み込む太平洋プレートが折れ曲がっているわけではないのに海溝-火山弧が折れ曲がり,なおかつ本州弧火山列との間に大きなギャップがあるのがなぜかは私には説明できない.中富良野町北星山付近から.


国内ではおそらく珍しい地表自然露出の石炭層.古第三系挟炭層石狩層群夕張層.B.S. Lymanの弟子であった坂市太郎が1888年に発見したもの.石狩炭田の発祥の地となった.厚さ約 7 m の石炭層で,その元となった植物遺体の厚さは 100 m 以上と推定され,古第三紀当時の温暖な気候と高い大気中二酸化炭素濃度を示すものと考えられている.写真右側は,2019年に坑内火災によって水没した模擬坑道出口.2009年5月撮影.夕張市石炭の歴史村.


グラフィカルな斜交層理・葉理露頭.白色部分は軽石粒子に富んでおり,色調コントラストにより斜交葉理が強調されている稀有な露頭.層準は新第三系鮮新統瀬棚層.この露頭の直下に黒松内層との不整合面がある.今金町中里・後志利別川河畔.


国内ではおそらく唯一のものと思われる大規模な泥火山(mud volcano)地形.右側に見える牧舎の左奥と背後の山林部の左前に見えている二つの牧草地の高まりが平頂泥火山体である.褶曲軸と断層に制御された地層水の高間隙水圧部が噴出泥の原因である.現在でも大きな地震が起こると噴泥が起きており,最近では 2008 年十勝沖地震の際に噴泥が観察されている.新冠町高江.


一見普通の露頭写真であるが,10 枚の露頭写真を合成した超ワイドパノラマ写真を掲載用に横方向 1/2 程度に縮小したものである.参考画像ボタンで本来のパノラマ写真(横7680ピクセル)を参照できる.地層は新第三系黒松内層の成層シルト岩.写真右端(層位的下位)には硬質頁岩層が露出しており,黒松内層とその下位の八雲層との整合関係を示していると考えられる.今金町住吉橋・後志利別川河畔.


白亜系蝦夷層群中のダイナミックな層内変形構造.地層は(おそらく)蝦夷層群下部層準のタービダイト砂岩泥岩互層.砂岩層は厚層で,もっとも厚いものは 20 cm 以上ある.写真の中央左などに,伸長変形した砂岩層が何枚か見られる.このような変形構造は“スランプ構造”と片づけられることが多かったが,構造変形と見ることも可能であり,その成因や意義は不明なままである.日高町三島.


国内で唯一(?)の K-P 境界露頭.K-P 境界とは言うまでもなく,中生代白亜紀と新生代古第三紀の境界で,地球外天体衝突により引き起こされた環境変動によって恐竜をはじめとする中生代型動物群の大絶滅が起こった.写真中央に見える厚さ 10 cm 程度の黒色粘土層が境界層で,地球外天体に由来すると考えられるイリジウム異常が見出されている.古第三紀根室層群活平層.浦幌町川流布川支流茂川流布沢.


既に紹介した館の岬の“白亜の地層”であるが...見る角度によってはこのような特異な様相を示す.私はこれを“ガウディ露頭”と呼んでいる.ガウディを実際に見たことがあるわけではないが,なんとなくのイメージで.まじめな話をすると,露頭面に高角で斜交する節理面に規制された選択的浸食の結果ということになる.おそらくシルト岩の硬さが微妙なレベルにあるのだろう.硬すぎても柔らかすぎても,こうはならない.乙部町館の岬.


このスライドショーでは唯一のバーチャルイメージである.バーチャルとはいえ,リアルな眼ではおそらく決して見ることのできない素晴らしい地質景観である.プレート衝突山脈である日高山脈の地球的特質があからさまに見えている.北側は大雪火山群,南側は襟裳岬.左手前に見えるのは夕張岳.右手前は日高海岸.遥か向こうには知床半島とオホーツク海も見えている.国土地理院標高データを使用しカシミール3Dにより作成.苫小牧上空2万mより.


初冬(10月下旬)の冠雪した日高山脈の峰々が神々しい.稜線の形状がいかにも衝突山脈らしく,ヒマラヤ・アルプス的である.それぞれのピークの名前は残念ながら私は知らない.新ひだか町社万部山付近より.


私見であるが,おそらく北海道でもっとも美しく妖艶な(?)火山であろう.実は,山体崩壊という危険でダイナミックな作用がこのたぐいまれな姿を作った.右手前の木の生えたところは,その際に流下してきた“流れ山”であろう.前景はもちろん,堰止湖・大沼.七飯町大沼湖畔.


左に見える駒ヶ岳の山体崩壊によって作られた美しい自然景観.中央が大沼,その右側が小沼,さらに手前が蓴菜(じゅんさい)沼である.災害と景観との複雑な関係を想起させる.現在,これらのすぐそばを通る道央高速道トンネルが建設中である.七飯町日暮山より.


西南北海道の代表的な活火山・有珠山.右側のふもとに見える赤みがかったピークが昭和新山.その右にわずかに頭を出しているのが洞爺湖中島であろう.右側に堂々と見える冠雪の山は羊蹄山.昭和新山の左には,ニセコアンヌプリがわずかに白く見えている.火山が作る雄大な景観である.北海道では5月は早春で,まだ桜も咲いていないようである.道央自動車道有珠山SAより.


このナップ構造が作る台地状地形については,既に別のスライドで紹介したので詳細は省略するが,これはその別アングル・別季節バージョン.望遠レンズによる撮影であるが,その圧縮効果で非常に分かりやすい.地質屋であれば,これを一目見れば『なんだあれは?!』と思うはず.この写真が,私が最初にそれに気づいたもので,実は趣味の風景撮影の結果であった.7月の生命感あふれる緑と白い雲も素晴らしい.2004年7月撮影.由仁町馬追山東麓より.


夕張山地のパノラマ.別スライドで紹介しているナップ構造を風景の中に含む.しかしこの中に見える地質要素はそれだけではない.右側手前に青黒く見えているのが夕張山地であるが,特徴的なギザギザの稜線地形は,新第三系中に挟在する比較的厚い珪長質凝灰岩層の堅硬な性質による.右端近くに台形に見えているのが雨霧山.中央から左奥に見えるのは,おもに古第三系・白亜系からなる山地.中央にかすかに裸地の見える山が,今は亡きマウントレースイ.それらの背後の夕張岳-芦別岳は雲に隠れて見えていない.夕張山地手前は由仁-安平低地.写真撮影場所の馬追丘陵も含めて,すべて新生代の東西圧縮による構造地形要素である.由仁町馬追山東麓より.


夕張周辺の挟炭層の標式的な露出として有名な場所である.元は露天掘りが行われたところらしく,夕張市の体験ツァーでも使われた場所と思われるが,おそらく現在は立ち入り禁止となっている.2008年5月撮影.露頭下部に黒い挟みが見えるがこれが始新統夕張層の薄い石炭層である.その下位が細粒相を主体とする蛇行河川成層,上位が礫岩を含む成層粗粒相からなる網状河川成層となっている.露頭上部の褐色に風化した部分は,浅海細粒相の若鍋(わっかなべ)層であるが,両層の境界は漸移である.夕張市三角山.


ニセコ火山群.写真左から,目国内(めくんない)岳・前目国内岳・白樺山・シャクナゲ岳・チセヌプリ・ニトヌプリ・イワオヌプリ(硫黄山)・ニセコアンヌプリ.その右後ろにそびえるのは羊蹄山.ニセコ火山の前面には,火砕性堆積物(真狩別層)からなる平坦な台地状地形が発達する.西南北海道の第四紀“非カルデラ性”の火山地帯を代表する風景と言える.蘭越町市街地から北東方向を望む.


冬の駒ヶ岳-大沼.積雪のため地形が非常に分かりやすい.もちろん右側の高い山が駒ヶ岳.その左の二つの湖が大沼・小沼である.この角度からは,駒ヶ岳の東側への大規模な山体崩壊地形がよく見える.1640年のこの山体崩壊の先は噴火湾に流入しているはずだが,あいにくの低い雲がかかっていて良く見えないのは残念.ジェット旅客機の窓から.


特にどうということもない地質風景であるが,北海道の持つ“辺境的”な雰囲気が色濃く,エキゾチックである.なんとなく千島(クリル)っぽいというか.海岸に露出している地層は,古第三紀暁新世前弧海盆堆積体の根室層群汐見層で,泥岩優勢互層である.ほぼ水平層に近い.この地層中には,砂岩脈が随所に観察される.釧路町初無敵(そむてき)海岸.


沼前地すべり.北海道でも有数の地すべりである.幅は約 1.8 km,高低差は 400 m 近い.国道からはこの地すべりの全貌はほとんど見えず,空撮でその迫力ある姿がやっと見えてくる.平成になって対策工が行わるまで,年間 1 m 程度のすべりが起きていた.積丹町沼前.ヘリ空撮.


クッタラ・カルデラの奇跡的な地形.カルデラとしては小型なもの(径 3.4 km)と思われるが,その整った形が素晴らしい.国道・高速道からはこの外輪山を見上げる形になり,湖面はその陰になっているので,そこにカルデラ湖があるとは言われても信じがたいほどである.湖面標高は 258 m.白老町倶多楽湖.ジェット旅客機の窓から.


ソールマーク(フルートキャスト)の断面.この付近に露出する新第三系中新統は,古日高山脈の上昇による砕屑物供給を受けた粗粒重力流堆積物からなる.そのソールには,しばしば見事ななフルートキャストが認められ,時にその断面も観察できる(中央下の凹凸面).層理面を見ると,これが荷重痕(ロードキャスト)ではない事が分かる(参考画像リンク).地層はほぼ垂直層で,このスライドは90度回転したものである.新冠町判官館.


札幌西方~西南北海道の火山地形全体を俯瞰した画像.このスライドショーでは2番目のバーチャル画像である.中央がもちろん支笏カルデラ.その手前に広がる火砕流地形が目覚ましい.支笏カルデラの左奥には洞爺カルデラ,その右に羊蹄山-ニセコ火山群が見えている.その向こうは,噴火湾~渡島半島~日本海~積丹半島~石狩湾.画面右端が札幌市街地.バーチャル画像ならではの雄大な風景である.国土地理院標高データを用いてカシミール3Dで作成.地表マッピングは国土地理院地形図.早来上空 7500 m から.


支笏火山噴出物露頭.露頭下半部の塊状部が支笏火砕流堆積物.その上が何枚かの腐植土を挟む降下火砕堆積物.専門外で正確には分からないが,支笏~恵庭降下軽石堆積物で,最上部が樽前火山灰と思われる.土採り場のファンタスティックな露頭であるが,その後の改変で失われた.支笏火砕流堆積物中には,しばしば炭化樹幹が含まれている(参照リンク:苫小牧市美沢東方で撮影).苫小牧市ペンケナイ川北方.


かつて1950-1960年代に脚光を浴びた『中部蝦夷-下部蝦夷層群不整合』の露頭としておそらくほとんど唯一のものと思われるが,なぜか1990年代末まで30年以上も誰にも記載されることがなかったという不思議な露頭.写真右の塊状部が厚層礫岩層.参考リンクに礫岩層下底部のアップを示す.川村ほか(1999)および高嶋・西(1999)によってはじめて記載され,不整合基底礫岩ではなく,単なる重力流堆積物とされた.日高町滝の沢.


屈斜路(くっしゃろ)カルデラ.カルデラの幅は約 26 km で,日本最大(級)である.ここから見えている屈斜路湖は,屈斜路カルデラの西半分に過ぎない.中央に見えるのは中島.その向こうに,本来の(?)中央火口丘であるアトサヌプリなどのカルデラ東半部に位置する活動的な火山群が見えている.屈斜路カルデラは,千島列島西端部の知床半島から雌阿寒岳に連続する火山帯の中に位置している.美幌町美幌峠より.


白亜紀前弧海盆堆積体根室層群中のドレライト岩床(上半部).その下位は太田村層(?)の砂泥互層.ドレライト岩体の下底は凹凸を持ち不規則で,岩体内部には不明瞭な枕状構造が認められる.このドレライトはもちろんのちの時代の貫入岩ではなく,ほぼ堆積同時的なものである.前弧海盆の中に,なぜこのような大規模な貫入岩体があるのかは新井田清信氏らによる研究があり“未成熟な島弧火山活動”と意義づけされているが,私には(ノッカマップ層の火山活動と共に)正直どうもよく分からない点がある.根室市花咲岬.


白亜紀前弧海盆堆積体蝦夷層群中の浅海成貝殻礫岩.地層は白亜紀中期の三笠層.チャート・緑色岩などの円礫を含み貝殻は離弁で,ストーム礫岩と考えられる.この層準は河川成層も含み,斜面相を主体とする蝦夷層群中ではある意味特異な地層であるとも言える.三笠市三笠市立博物館前に置かれた岩塊.産地はおそらく桂沢原石山.


巨大な石灰質ノジュール.スケールが無いが,大きな方のノジュールの長径はおそらく 1 - 2 m 程度であろう.ノジュールが層理方向に伸びた楕円体になるのは,化学的拡散異方性のためとも考えられるが,圧密の影響もあるのだろうか.地層は新第三紀中新世望来層の硬質頁岩・シルト岩互層.石狩市望来海岸.


沼前地すべり.空撮スライドでは“国道からはこの地すべりの全貌はほとんど見えず”と書いたが,対策工事後にできた駐車場から見上げると,かろうじてこのように見える.地すべりをある程度知っている人間にはそう見えるが,一般にはそうではないだろう.向こうにすごい崖があるな...程度で.なお,滑落崖に bedrock である成層火砕岩の緩傾斜層理がはっきり見えている.参考画像として,横5120ピクセルのものを掲載しておく.積丹町沼前.


浅海相中の貝化石床.合弁・離弁の二枚貝殻と円礫からなり,基質は砂である.地層は新第三紀鮮新世~第四紀更新世の瀬棚層.化石床の外形は長さ数m以上のレンズ~マウンド状で,なんらかの掃き寄せ作用によるものと思われる.乙部町貝子沢公園.露頭は地面から数 m 以上高いところにあり,見学のための梯子・櫓が組まれている.


見事な柱状節理を示す玄武岩質安山岩溶岩.地質図幅『相沼』によると,硬質頁岩からなる江差層と泥岩・シルト岩からなる館層との境界部に形成された突符火山岩類中の貫入岩体とされている.柱状節理の方向によって上下二層に分かれているように見えるが,近寄って観察すると柱状節理の湾曲による断面形状によるもので不連続面があるわけではないことが分かる(参考画像).横から見た岬の形状が魚体のように見えることから“鮪”(しび)と名付けられたらしい.乙部町鮪の岬.


この軍艦みたいな露頭は何かというと...軍艦岩である.地層は新第三紀鮮新世の中頓別層で,このような石灰岩層を挟み,その中に鍾乳洞が形成されている.石灰岩と鍾乳洞とは言っても,国内で普通に見られるのは付加体中の海洋性石灰岩中のものであるが,これはそれとはまったく違って,浅海相中の貝殻石灰岩層である.関連画像に示したのは,鍾乳洞内部で見られる成層構造と,某所に展示(?)されているホタテガイを主体とする貝殻石灰岩の岩相である.円礫を多量に含んでいて,瀬棚層中の貝化石床のように掃き寄せ作用(あるいはストーム?)による形成と思われる.中頓別町中頓別鍾乳洞.


ジュラ紀付加体渡島帯中の特異な形態を持つ砂岩脈.写真右側に膨縮したポッド(タコの頭?!)状の部分がありそこから数条の分岐脈が左に伸びている.比較的高い封圧下にある付加体砕屑岩(=海溝充填堆積体)中に発生した異常間隙水圧を示すものと考えられるが,正確な成因・メカニズムは分かっていない.松前町折戸浜海岸.


ジュラ紀付加体渡島帯砕屑岩(=海溝充填堆積体)中の未固結時変形砂層.『ball-and-pillow 構造』と呼ぶのがもっとも適切であろう.主に荷重変形によるもの(と言うより“密度逆転構造”とするのが適切?)と考えられる.この写真で示したものは,付加体の構造変形をほとんど被っておらず未固結時変形そのもののように見えるが,同一露頭でも層面平行伸長変形を強く被った部分もあり,なかなか手ごわい.周辺には膨縮砂岩小脈も多く,こういった堆積層の未固結時変形と区別が難しいものも多い.松前町折戸浜海岸.


新第三系館層中の大規模なスランプ層.厚さは数 m,幅は少なくとも数十 m ある.黒色層は粗粒スコリア質タービダイトで,スランプ層中で層理が回転し上部は浸食されている.右側に褶曲・破片型のスランプ・ブロックが見えている.スランプ層の上面から上に伸びる二本の砂脈らしいものが見えているが,確認はできなかった.現在はこの露頭は風化等でスランプ層はよく見えない.館層には,このような大規模なスランプ層がいくつか認められる(滝瀬くぐり岩など).乙部町館の岬北方.


白亜系根室層群尾幌川層中のコンボルーション層.厚さ約 10 cm の小規模なもので,元は火山砕屑性葉理砂岩層である.根室層群は,スランプ層は随所に認められるが,どういうわけかコンボルーション層はあまり多くない(ようだ).浜中町奔幌戸海岸.


大規模な地震岩(seismite)層.垂直な壁でスケールを置けなかったが,変形層の厚さは 1 m を優に超える.地層は礫岩・砂岩からなり,根室層群昆布森層(古第三紀暁新世)に属する.自分が学生の頃は,こういう地層を表現する言葉(・概念)が無く,大規模なコンボルーション層とか呼ぶしかなかったが,今は便利(・雄弁)な用語があるものだ.『岩石名に成因を入れるのは不適切』と感じる地質屋もいるが...我々には『タービダイト』という強い味方がいる.釧路町知方学(ちっぽまない)海岸.


なんと言うこともない,直立した蝦夷層群の泥岩の上に単に河岸段丘礫層が載っているだけの露頭である.しかしその形態は,まぎれもなく『典型的な斜交不整合』,しかもそのハイアタスは ~100 Ma(1億年)ということになる.Hutton が記載した歴史的な不整合露頭(Siccar Point ではないどこかの採石場?のやつ)もこんな感じだったような.平取町振内東方.


北海道でもっとも有名な(?)枕状溶岩露頭.地層は古第三紀付加体沙流川層.枕の垂れ下がり・枕内部の空隙充填・枕表面の亀甲状収縮割れ目・枕表面のしわ(wrinkle)・枕の流れ出し構造,など...枕状溶岩の様々な構造が観察できる(参考画像).水平層で変形もほとんどなく,付加体の中とは思えないくらいである.巡検の定番となっているが,この河床には急斜面を降りる必要があるのでけっこう怖い.平取町岩知志発電所付近.


豊浜トンネル岩盤崩落事故(1996年2月)以後,海岸急崖地域の国道維持管理のあり方は大きく変化した.このトンネル風景はそれを象徴的に示すものかもしれない.右側に現在の武威トンネル抗口が見えている.真新しく,おそらく供用開始直後であろう.トンネルの左側には旧道が見えており,その先にコンクリート蓋で閉じられた旧トンネルが見えている.さらにその左を見ると旧道跡が延びており,覆工のない古いトンネル坑口跡が見えている.つまり3代のトンネルが見えていることになる.しかし驚いたことに,そのさらに左側では,岩盤に空洞が穿たれておりその向こうが見えている.“波蝕洞”の可能性もあるが,もしかすると,非常に古い手掘りトンネルの跡なのかもしれない.つまり...国道トンネルは,時を追うごとに確実に快適で安全なものとなっている.2004年11月撮影.積丹町武威トンネル.


北海道では日本海側の急崖地帯の国道トンネルの安全性が大きな問題となったわけだが,それだけではない.日高山脈東麓にも急崖斜面の下を通る国道336号線,通称『黄金道路』がある.この写真はヘリ撮であるが,なんとも凄まじい.写っている箇所の地質の大部分は新第三紀の花崗岩類であるが,なぜか風化が進まず急峻な地形となっている.『なんでわざわざこんなところに? 他に通すところがあるはずでは?』...無いのである.覆道だらけであるが,それでも防げないものは防げないので,現在はこの路線の大部分は“別線回避トンネル”となっている.広尾町黄金道路.


おそらく黄金道路で起きた最大の岩盤崩落事故である(2004年2月).しかし不幸中の幸いというのか,崩落時には,その危険性が察知され通行止めとなっていた.しかし,監視中の開発局職員が崩落岩塊の下敷きになって亡くなっている.堅硬な『ホルンフェルス岩盤』の尾根部崩落である.えりも町咲梅川河口付近.


北海道の観光地として有名な,溶結凝灰岩の柱状節理による風景.写真の場所ではないが,“天城岩”で1987年6月に岩盤が大規模に崩落して,岩塊が対岸道路まで達し,3名が亡くなっている.剥離した長大柱状岩盤の転倒(toppling)によるものである.この写真を見ても,いたるところ岩盤剥離面だらけである.天城岩周辺は,滝を含めて数多くの絶景観光名所があったが,事故後長さ6km以上の銀河トンネルが作られ,国道39号線は回避別線となり,川沿いの遊歩道も廃道となった.安全と地質景観(≒観光)の両立というテーマが見え隠れする.上川町層雲峡付近.


豊浜トンネル崩落事故の少し前(1993年12月)にすぐ近くで,こういう大規模岩盤崩落が起きていた.ご覧の通り,海に突き出した岬の突端で起きたので,崩落直下には道路も構造物もなく,誰も問題視していなかった.すぐ近くにあるの民宿では夜中にドスンという大きな音と振動があったらしいが,それだけであった.いつも思うのだが,アクシデントというのは,起きた後に『そう言えばそういうことがあった』ということがあるものである.余市町ワッカケ岬.


ある意味重苦しい岩盤崩壊のスライドが続いたので,“気分直し”に,1億年前のタービダイト互層を.見事な“等層厚互層”である(参考画像).単層上部が泥質部と入り組んでいるのは生痕なのかも(or 未固結時変形?).均等な間隔で均等な厚さのタービダイト互層が続くということは,一定の間隔で一定の規模の崩壊堆積作用が起きていたということに...なるのだろうか? それはいったいどういう意味があるのだろうか.私には no idea である.なおこれは蝦夷層群中部層準であるが,葉理の発達した Tb-c タービダイトが非常に多い.なぜ Ta ディビジョンが悉く欠如しているのか...分からない.新ひだか町春別川上流クリノ沢.


札幌市街西方の山々.4月下旬の残雪により,山容・地形がよく分かる風景となっている.写真左が砥石山.右はしの平頂でテレビ塔の立っているのが札幌のランドマーク・手稲山.中央手前のおにぎり型が三角山.左に大倉山ジャンプ台が見える.その奥が百松沢山である.いずれも新第三紀~第四紀の火山およびそれに関連した山地である.この背後に西南北海道の第四紀火山地帯が広がっているわけだが,それは残念ながらこの視点からは見えない.北海道大学理学部6号館10階より.


新第三紀末から第四紀の浅海~河川成層である材木沢層と伊達山層(高位段丘堆積物)との不整合露頭.特に地球構造的な意義を持つ不整合とは言えないが,視覚的に非常に見事な,教科書的不整合露頭である.当別町材木川.


西南北海道第四紀火山地帯のほぼ全貌を表現するパノラマショット.中央右はもちろん洞爺湖(洞爺カルデラ)で,中島が見える.右端は有珠山.左奥に雲をかぶっているのが羊蹄山.その右に “ニセ羊蹄”(尻別岳)が見える.写真左端に見える白い雪のピークはニセコアンヌプリ.洞爺湖町ウィンザーホテル駐車場より.


北海道中央部の “脊梁” の一つとも言える夕張岳-芦別岳山地の初冬風景.典型的な構造山地であり札幌郊外のほとんどの場所からよく見え,地質・地形に多少とも興味のある人間にとっては.極めて魅力的な地質風景である.写真左に見えるシャープな山塊は芦別岳.右に見える特異な山容は,もちろん蛇紋岩メランジュの山・夕張岳である.この山地の向こう側に富良野盆地がある.南幌町郊外より.


初夏の芦別~富良野山地を北西側から見たもの.中央右に富良野スキー場のゲレンデが見える.その左のマッターホルンのような鋭いピークは富良野西岳.珪長質貫入岩体の山である.左に見える残雪の山は芦別岳(関係スライド参照),写真左端に夕張岳が見えている.中富良野町ベベルイ付近より.


芦別山地初夏.残雪と緑が鮮やかである.中央左が芦別岳山頂で,その南北にいくつもの鋭いピークが連なっている.白亜紀付加体中の堅硬な緑色岩を主体とする海洋性岩石の山である.富良野市八幡丘西方より.


実は札幌市からも “北海道の最高峰” 大雪山が見える.これは,藻岩山頂上空 50 m から見た大雪-十勝連峰のCGである.国土地理院 DEM データを使用しカシミール3D(カシバード)で作成した.視程の良いときであれば,藻岩山頂展望台からこう見えるはずである.中央手前の水面は江別付近の石狩川屈曲部.


札幌から見えるのは,前のスライドの大雪山系だけではない.視程さえよければ,大雪-十勝岳火山群・芦別-夕張山地,そして日高山脈がこのシミュレート画像のようにはっきりと見えるはずである.北海道とその周辺のテクトニクスが作り出した雄大な景観と言える.