私的・北海道地質百選
『空知大滝の蝦夷層群』
国道38号線の芦別市野花南(のかなん)を過ぎると,滝里ダム方面への道が出てくる.その道を進むと,大滝橋の手前に左に入る小さな道の入り口がある.そこを入って大滝橋の下をくぐり空知川に沿って未舗装路を行くと,空知大滝の展望場所に着く(ヘッダー・サムネール参照).
この先は芦別市によって立ち入り禁止になっている. 釣り人の踏み分けらしいものがあるが,ガレ場や川のふちを通り急斜面を這い上る所もあり,かなり危険である.見学には,自己責任による厳重な注意が必要である(推奨しない).
橋本(1955)は,空知大滝において “下部蝦夷層群” と “中部蝦夷層群” の不整合を報告し,それが『中蝦夷地変』という構造運動を示すものとした.
右写真で示したように,この露頭で観察される礫質タービダイト砂岩層と下位の砂泥互層との斜交関係は,まさに教科書的な不整合そのものである.橋本(1955)が不整合と誤認したのも無理からぬところである.
しかし彼の報告した “不整合” は,ここに示したように,実は粗粒タービダイト砂岩層と,その下位にある変形したスランプ層との堆積関係に過ぎないものであった.
この “不整合” の報告は,その後の蝦夷層群の層序学的検討を長い間ミスリードした.『中蝦夷地変の夢のあと』である.
その意味で,北海道の中生代の地層(蝦夷層群)の研究史を考えると,空知大滝は記念碑的な場所とも言える.しかしながら,その露頭の記載は橋本(1955)以降行われておらず,したがって上に書いたような否定的再評価もされていない.橋本(1955)の見解が,少なくとも形式的には現在も生きているのである.その点は,筆者も含めてであるが,蝦夷層群研究者に責任があると言うべきであろう.
注)唯一,紀藤ほか(1986)の中に,この層序関係は不整合ではない(正確な表現は不明・未確認),とだけ書かれている.しかし,記載その他はされていない.
なお,永田ほか(1987)は滝里付近の蝦夷層群から蛇紋岩礫を含む異常堆積礫岩層を見出している.空知大滝に露出する礫岩との関係が興味深いが,両者の相互関係は不明である.
(なし)
橋本 亘, 1955, 5万分の1地質図幅「下富良野」および同説明書.北海道開発庁,71p.
永田秀尚・紀藤典夫・中川 充, 1987, 蝦夷累層群中に見い出された蛇紋岩礫-神居古潭構造帯の蛇紋岩の迸入時期についての新資料.地球科学,41, 57-60.
紀藤典夫・君波和雄・新井田清信・蟹江康光・渡辺暉夫・川口通世(1986)空知層群と蝦夷累層群-北海道中軸帯の後期中生代オフィオライトと前弧海盆堆積物.地団研専報,31, 81-96.