私的・北海道地質百選
『有珠山・昭和新山』

注)本家・北海道地質百選には,言うまでもなくこの有名な火山に関連したサイトがたくさん掲載されています.ここに掲載するものは,それらを参考にしてはいますが独立したもので,すべてオリジナルです.


 洞爺カルデラのサイトと同じく,筆者は火山学には素人であり,このサイトの目的は,これらの有名な活火山の噴火史や噴出物についての火山(地質)学的なことを紹介するものではない.それらについては,あまたの学術論文や報告・紹介サイトを参照されたい.
 したがって,以下の記述の中で火山地形や噴火に関する部分は,不正確だったり誤りを含む可能性が十分にある.あらかじめご了解いただきたい.


有珠山のパノラマ.上:山頂からは噴気が上がっている.右に昭和新山.右端に見える丸い二つのピークは洞爺湖中島.2001 年 12 月撮影.下:右端は冠雪の羊蹄山.山頂からの噴気は確認できない.有珠山の右に昭和新山.その左に見える冠雪ピークはニセコアンヌプリ.有珠山の左奥に見えるのは蘭越町・幌内山.2004 年 5 月撮影.いずれも道央自動車道有珠山SA(上り線側)から.

 有珠山は,洞爺カルデラの南麓部に形成された活火山である.おそらくそれを展望する最適な場所は,個人的には道央自動車道有珠山SA(上り線側)と思われる.
 この場所のどこが良いのかというと,なんと言っても道南火山地帯の代表的な火山である羊蹄山が一緒に見えるという点ではないだろうか.


有珠山.道央自動車道有珠山SAから.2004 年 5 月撮影.
有珠山火口原.2002 年 5 月撮影.

 有珠山は,時と共に形を変えている火山である.それは,この火山がいくつかの溶岩ドームから形成されているということなのだろう.
 右写真の有珠山向かって右側のもっとも大きな山体部が『大有珠』,その左肩が『有珠新山』,その手前のリッジ状の部分が『オガリ山』,その左のカルデラ状の凹地の中にあるのが『小有珠』である.有珠新山は 1977 年噴火で形成された溶岩ドームである.
 なお,“オガる” というのは,北海道弁かどうかは知らないが,草木が新たに生えてくる・なにかが大きく成長することを意味する方言(?)である.

 下に述べる 2000 年噴火からあまり時がたっていない 2002 年に,この有珠山頂(火口原)に立ち入ることができる機会があった.右の写真はその際撮影したものである.

 有珠山頂は小規模なカルデラ状になっているが,右上写真はその外壁に当たる部分で,激しく噴気している.右下写真は火口底で,右側の斜面はおそらく有珠新山の麓部と思われる.
 これらはおそらく小有珠の北側から撮影したものと思われるが,記録が無く詳細は不明である.

 いずれにせよ,噴火後2年程度しか経っておらず,溶岩ドーム上部の噴気活動がまだ活発なことを示すと思われる.


※ 有珠山火口原は現在立ち入り禁止となっている.有珠山ロープウェイ・有珠山頂駅あるいは有珠山登山道から外輪山遊歩道を歩き,『有珠山火口原展望台』『南外輪山展望台』から展望することになる.





有珠2000年噴火.左上:洞爺湖温泉街と金毘羅火口.右に西山火口が見えている.手前の岬は月浦.2000 年 4 月撮影.右上:同上.手前の集落は洞爺湖町三豊.2000 年 4 月撮影.左中:金毘羅火口.2001 年 10 月撮影.右中:西山火口の状況.黒いのは溶岩ではなく泥である.2001 年 10 月撮影.左下:国道230号線の変状.溶岩ドームの上昇による地表隆起による.2001 年 10 月撮影.右下:泉地区の幼稚園の被害状況.火山弾で爆撃を受けたようになっている.噴火前に避難できたのはある意味奇跡的であった.2001 年 10 月撮影.

有珠山は,1977-78 年の噴火から 22 年後,2000 年 3 月に噴火した.これが有珠山の最新の噴火である.この噴火はまた,『噴火予知がほぼ正確に機能した』ある意味稀有な例となっている.Wikipedia によると,北海道大学有珠火山観測所が 144 時間以内に噴火すると予告した 143 時間目に噴火した.その予告に従って事前の避難が行われたため,人的被害は発生しなかった.
 筆者も,噴火直後に当時携わっていた道路防災の観点から,開発局のヘリによる空中観察を行った.その後,翌年秋に新火口周辺をはじめとした見学を行っている.上に掲載したのは,その際に撮影したものである.

 これらの写真記録を見て感じるのは,噴火位置と居住区域との近接さである.この噴火で洞爺湖温泉街は長期間の休業を強いられたが,次の噴火がどこで発生するかは誰にも分らない.前回の噴火間隔は 23 (2000 - 1977) 年,その前が 33 (1977 - 1944) 年である.2023 年現在,次の噴火がいつ起きてもおかしくない時期に入りつつあるのではないだろうか.

 なお,この噴火で有珠山の噴火活動では普通に見られる溶岩円頂丘の出現はみられなかった.しかし,上写真左下の国道変状が見られた区域を中心として,最大で 80 m 程度の隆起現象が認識されている.つまり,この部分に潜在溶岩円頂丘(cryptodome)が形成されたということである.
 ちなみに,西山火口群はこの国道230号線の上に形成された.筆者の知る限り,国道現道上に噴火口が出現したのは,国内では初めてのことであったと思われる.国道 230 号線はこれによってトンネル別線で復旧せざるを得なかった.


昭和新山南麓に設置されている三松正夫の像.2011 年 3 月撮影.
昭和新山(ヘリ撮影).2000 年 4 月撮影.

昭和新山は,有珠火山の溶岩円頂丘の一つで,1944(昭和 19)年に始まった火山活動によって形成された.三松正夫によって隆起現象が逐一記録され(右写真),そのデータから作成されたいわゆる『三松ダイアグラム』が世界的に有名である.

 右下写真は 2000 年噴火の際のヘリ撮影であるが,昭和新山の溶岩円頂丘と,その周囲の隆起した平坦面(標高 250 m 前後)が明瞭である.この平坦面は噴火前の壮瞥川沿いの畑地で,当時の国鉄胆振線の線路が走っていたのである.
 付近の壮瞥川沿いにはいくつかの段丘面があるが,高位面の標高は 110 m 前後なので,隆起量は少なくとも 140 m ということになる.

 下の写真は,2002 年に特別な許可を得て昭和新山に立ち入った時のものである.赤色に酸化した溶岩ドームの岩壁が印象的である.

 なお,筆者は北大理学部3年生の時(1973 年夏),故勝井義雄教授の引率で昭和新山の少なくとも中腹まで登っているが,その時岩壁の割れ目から内部に真っ赤な高温の溶岩を確認し,噴火後 30 年経っても高温状態を維持していることに非常に感動したのを記憶している.それから 30 年が経過して 2002 年に立ち入った時は,そのような現象を確認できなかった.それが年月経過で冷却してしまったためか,単に見えるところが無かっただけなのかは,不明である.


上:山頂を見上げる.下:山腹の溶岩壁.2002 年 5 月撮影.

※ 昭和新山は特別天然記念物であるが,新山そのものを含めて一帯は三松家の私有財産となっている.したがって,立ち入り禁止となっており,立ち入るには特別な許可が必要である.


既存の指定など

支笏洞爺国立公園

北海道洞爺湖有珠山ユネスコ世界ジオパーク(2009 年 8 月認定)

国指定特別天然記念物(昭和新山)


所在地

壮瞥町 有珠山.  壮瞥町 昭和新山.
  撮影地点: 有珠山SA(上り線側).


サイトの状態:


参考文献

(多数・省略)


関連サイト



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