北海道最大の砂岩脈“春採太郎”
Largest Sand Dyke in Hokkaido, the "Harutori-Taro"

川村信人(北海道総合地質学研究センター)

※ 本アーティクルは,北海道大学理学研究院在職時に行った検討を元にしたものです.


  NOTICE  

・このページでは,北海道最大の砂岩脈である春採太郎に関したことだけを記述しています.

・砂岩脈を含む砕屑物流動貫入現象については『黒歴史シリーズ』の,その8・9に余すことなく記していますので興味のある方はその 目次ページ から入りそちらをお読みください.ただし,パスワードが必要なアクセスとなっています.


“春採太郎” とは?

 釧路市の東部,興津海岸の海蝕崖には,旧釧路炭田の挟炭層である(古第三系)始新統浦幌層群雄別層(約 3,500 万年前)の,おもに砂岩・シルト岩・礫岩互層からなる河川成層がほぼ水平に露出しています(長浜,1961:5万分の1地質図幅『釧路』).その中に,厚さ 4 m 以上のほぼ垂直な砂岩脈が存在します.この砂岩脈は,永渕(1952:釧路地区に於ける砂岩脈.炭鉱技術)によって初めて記載され『春採太郎(はるとりたろう)』という愛称が付けられています.
 ちなみに“春採”というのは,釧路市市街東部にある『春採(湖)』の地名から来たものだろうと思われます.また浦幌層群を構成する地層のうち下から2番目は “春採層” と名付けられています.
 なお春採太郎は,釧路市の文化財(天然記念物・昭和50年12月12日指定)に指定されています.私は以前調査した時,サンプルを採る可能性もあったので釧路市教育委員会に許可を申請したのですが,電話口で口頭で申請して『ああ,いいですよ』という返事で(申請書等を書くのかと思っていたので)拍子抜けしました.


春採太郎を含む露頭のパノラマ写真.釧路市興津海岸.2011年5月撮影.


Hayashi (1966).撮影時期は不明.終戦直後(1940~1950年代)か?

 春採太郎がいつごろから知られていたかについては,よく分かりません.釧路図幅によると,釧路炭鉱の坑道内に露出することが知られていたということなので,古くから知られていたものかもしれません.おそらく公式の記載論文としては上記の永渕(1952)が現存する最古のものだと思います.
 その後,林唯一先生によって砂岩脈に関するレビュー論文が書かれています(Hayashi, T., 1966, Clastic dike in Japan (1). Japan Jour. Geol. Geogr.).残念なことですが,国内では砂岩脈に関する総括的論文は後にも先にもこの論文が唯一のものだろうと思います.下にあげたのは,この論文の写真図版の一番に示されている春採太郎の姿です.この総括的論文は残念ながらその2が刊行されることはなく,未完となってしまいました.

 この論文の中で,林先生は『日本でどれが最大なのか?』などという些末なことは記していません.図版を見る限りでは,愛知県知多半島の砂岩脈がかなり大きなものだと思われますが,春採太郎よりは小さいように見えます.まあ,何が日本一かは(地質学的に)たいした意味を持たないのですが,私は勝手に春採太郎が日本一の砂岩脈だと思っています.でも確かではないので,この表題には“北海道最大”と...それも確たる根拠はないのですが.


春採一族への道

 春採太郎の場所にたどり着くには,釧路市興津(おこつ)三丁目の興津小学校向かいの小沢を降り,そこから海岸沿いに歩いていく必要があります.海岸沿いのルートには,最初に露頭の突出部があり,それを迂回する場所は普段は海面下になっています.腰まで波に浸かって行くか,あるいは大潮の干潮時を狙って行くことになります.この突出部の高さは写真で見るとそれほどでもなく,簡単に越えて行けそうにも見えますが,通常技能の人間にはとても不可能だと思われます.

 腰まで海に浸かって,という前者の方法はもちろん安全上お勧めしません.干潮を狙う場合は,気象庁のホームページで時間ごとの潮位を事前に確認しておくことになります.濡れずに帰るには2~3時間程度しか時間的余裕はありません.


左写真:大潮干潮時の“ゲートウェイ”.大潮干潮で開いたところ.2011年5月撮影.右写真:通常潮位・悪天候時.2008年6月撮影.


2011年5月撮影.“ゲートウェイ”を抜けたところから釧路市市街方面(西方)を見たもの.

 ゲートウェイを抜けると,天気がよければですが,眼前に左写真のような素晴らしい風景が広がります.
 写真中央部の沢型から流下する滝のようなものは,“春採の大滝” とも呼ばれているらしく,旧釧路炭鉱からの坑内排水と思われます.鉄分・石灰分の沈殿物が厚く堆積しており特徴的なランドマークになっています.その左方遠くの露頭中に縦に細く白っぽく見える部分が,目的の春採太郎です.


霧中の興津海岸.2008年6月撮影.

なお,釧路は“霧の街”でもあり,上の写真のような天候に恵まれる機会は,なかなか無いのが実情です(右写真).
 この時は霧が深く,露頭の上で鳴いているウミネコの姿も良く見えないほどでした.しょうがないので,春採太郎のぼやけた写真だけアリバイ的に撮って撤退する羽目になりました.

 露頭下部の黄褐色の海藻付着部は通常の海面高+αを示していると思われ,あらためて見ると『潮が満ちてきたらどうなるのか?!』と,かなりビビります.


春採太郎

 海蝕崖の下をしばらく歩くと,迫力のある春採太郎の姿が見えてきます(下写真).砂岩脈は最大幅 4.6 m で,ほぼ水平層の雄別層の中に垂直に貫入しています.母岩の中には,春採太郎貫入に伴う変形や乱れのようなものはまったく認められません.


2011 年5月撮影.左写真は,『日本の地質構造100選』優秀写真賞.右写真は少し引いて,春採太郎がなるべくオルソに見えるように撮ったもの.

春採太郎の左半部と右半部.2011 年 5 月撮影.

 春採太郎の内部は,貫入壁に垂直な方向に明らかに分化しており,左右壁面近くが対称に細粒になっています.脈内部には粒度の違いやシルトリボン構造・ラミナ様構造などを確認することが出来ます.
 脈の向かって左側には,繊細なラミナ状構造をよく見ることができます.母岩のシルト岩には水平な層理が発達していますが,変形・乱れはまったくありません.向かって右側には,厚さ 数十 cm 以下の複合脈構造が見られ,その脈壁部での粒度変化もはっきりと見られます.

 これらのことから,春採太郎は複合砂脈(composite sand dyke)であると思われます.しかしその内部構造の形成メカニズムや形成順等については,記載も議論も十分には行われていません.そのへんのことは『黒歴史ページ』その9に,あることないこと含めて好き勝手に書いていますので,興味ある方は参照してみてください.


春採次郎

 春採太郎の露頭からさらに西へ進むと,規模は小さいのですがいくつもの砂岩脈を観察することができます.その中で比較的規模の大きなもの(幅約 1.3 m)は“春採次郎”と呼ばれています(下写真).しかし露頭表面の状態が悪くて気づきにくく,私は 2008 年に訪れた時には,霧のせいもありますが,見落として通り過ぎてしまいました.
 最近,春採太郎については市民対象の見学会が開かれるようになり,その写真はウェブに溢れていますが,さすがにそこからさらに海岸線を奥(西)へ進む人は(地質屋でもない限り)あまりいないようで,春採次郎の写真は googling してみてもどこにも見当たりません.そういう意味で,露頭状態もありあまり良い写真ではないのですが,ここで春採次郎の写真を公開しておきたいと思います.


“春採次郎”.2011年撮影.

春採三郎四郎

 さらに奥へ進むと,小規模ですが twin になっているものもあり,砂岩脈形成メカニズムの観点からちょっと興味深い点があります.私はこれを勝手に“春採三郎四郎”と呼んでいます(下写真左).
 この小砂岩脈を仔細に観察すると,下写真右のような“裂罅充填構造”が見いだされます.裂罅の間にはそれらを互いに接続する“ハシゴ状構造(ladder structure)”も見られます.このような構造は,砂岩脈を形成した砂流体中の高い間隙水圧の存在を示唆しています.


左:“春採三郎四郎”.尖滅方向が左右の砂岩脈で上下逆になっていることに注意.右:“春採三郎四郎”尖滅部の裂罅におけるハシゴ状構造.


春採太郎の貫入方向とメカニズム

 この大規模な砂岩脈の最大の問題点は『貫入の方向』です.永渕(1952) や釧路図幅等では上方からの開口割れ目充填が示唆されていますが,過剰間隙水圧による下方からの貫入も(定番の砂岩脈発生メカニズムとして)捨てがたいものがあります.しかし,どちらにも矛盾・短所があり,悩ましいところです.


上方からの充填: 母岩は河川成層で,その上は浅海成層なので,もともと傾斜の緩い(滑り崩壊要因が極小の)海岸線付近に,幅数m,深さ 100 m 以上,長さ数 km 以上の“地割れ”が開かなくてはいけない.そういうのって果たして,ありなんだろうか?! また,上に示した春採三郎四郎の脈形態は,とても上方からの割れ目充填とは考えられない.
下方からの貫入: 下方にある古第三紀の地層は厚さが 200 m 以下で,その下位で不整合に覆われる白亜系根室層群は当然固結していた.砂岩脈形成時に雄別層の上位にどの程度の上載層があったかは分からないが,砂岩脈が生じるための含水埋没体の厚さが雄別層の下には最大でも 200 m 程度しかなく,過剰間隙水圧の発生層が存在する“ふところ”が狭すぎるのではないか?

 いずれもかなりの否定要因に思えるので,どちらも難しいということになると,春採太郎を無かったことにするくらいしか解決策が思いつきません...(joking) 砂岩脈発生メカニズムに関して,私たちはなにか大きなことを見落としているのかもしれません.


砂岩脈の水理地質

 右にあげたのは,Jolly and Lonergan (2002) による砂岩脈の発生メカニズムを岩圧・水圧と埋没深さの観点から説明した図です.これが普通に考えられている砂岩脈の発生メカニズムということなので,参考までに説明しておきたいと思います.

 地層が堆積して埋没していくと,その静岩圧(Lithostatic Pressure)は言うまでもなく堆積物の密度(≒ 2.5 g/cm3),静水圧(Hydrostatic Pressure)は水の密度(≒ 1.0 g/cm3)の勾配を持って増加していきます.
 圧密の過程で間隙水の連続性が徐々に絶たれていくと,間隙水圧は静水圧線から離れていきます.これが過剰間隙水圧(Excess Pore-fluid Pressure)です.過剰間隙水圧がどのような増加率を持つかはよく分かりませんが,ここでは静岩圧と同じ増加率を持つとされています.
 堆積体の内部の垂直応力(σV)(=静岩圧)と水平応力(σH)の比は条件によって変化すると思われますが,多くの場合は 0.7 程度とされているようです.そうすると間隙水圧が水平応力の増加線と交わる点が出現します.仮に堆積物の引張強度≒ゼロに近いとすると,この点において堆積物は垂直に近い面に沿って破断します.その破断面に過剰間隙水圧を持った堆積物が貫入し,砂岩脈が形成されます.


注)付けくわえると,この図は,砂岩脈(sand dyke)が形成されたあと,上昇する流体の間隙水圧が静水圧勾配で減少するため,それが静岩圧(垂直応力)線と交わり,そこで岩盤の垂直強度を越えるため水平な面に沿って破断が起こり“砂岩シル(sand sill)”が形成される,ということを示しています.Jolly and Lonergan (2002) はこのことから,地層中に形成される砂貫入現象は,砂岩脈-砂岩シルのペアを形成する,ということを指摘しています.私の個人的な経験では,少なくとも北海道ではそういうペアに遭遇したことは今までないのですが...まあ春採太郎とは関係のない話かと.


(2019/04/16:2019/06/08 加筆)(2023/12/07 再構成および加筆)



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