札幌周辺から見える山々
川村信人(札幌市清田区在住)
このテーマの発端は,つい最近のことです.私の属する某地質関係法人の会員の方から『藻岩山山頂から見える大雪山系のピークの名前が分からないか?』というリクエストを受け,カシミール3D(+カシバード)でシミュレートして景観図を作成しました.それを契機として,大雪だけではなく他のいろいろな山々についてもシミュレートしてみると,それまで自分でもちゃんと意識していなかったことが明瞭になりました.私が昔から “あ~札幌(周辺)からも見えるんだ?!” と漠然と思っていた山々が,はっきりと名前付きでその姿を現わしたわけです(下図).
こういう景観シミュレーションを踏まえて,今まで調査や趣味などいろいろな機会に撮った写真を眺めていると,『これが写っていたんだ!』『これを撮っていたんだ!』というのがいくつも出てきました.
このアーティクルは,それらを紹介するページです.対象の中には,札幌周辺から;①見た記憶だけがあっても『写真など撮っていない』もの,②見えるはずだけど見たことのないもの,が含まれます.それらは “構想中” として項目タイトルと簡単なコメントとカシミール3Dによるシミュレーション結果だけをあげておきます.いずれは撮れる(・見れる)かもしれないし,黄砂+PM レベルが異様に高まっている昨今と私の余命を考えると永久に無理かも...
ここでは,山々の景観だけではなく,それらに関係した地質学的な注目点やその解説も掲載しています.しかし地質関係者以外の一般の方にはちょっと専門的というか馴染みが浅いものですし,ページの体裁としても煩雑になってしまいますので,地質解説部分は,メニューの表示の先頭に G マークが付いていて,ページ読み込み時にはタイトル見出しを除いて非表示となっていてます.タイトルの右にあるボタンをクリックすると表示が on/off できます.なお,メニューボタンのバーからジャンプした時は自動的に表示されるようになっています.
※ このアーティクルで紹介する山々の名前の同定は,その大部分はカシミール3D(+カシバード)による景観シミュレーション中の山名表示機能によっています.しかし一部は,(山名があるにもかかわらずなぜか)山名が表示されないものがあります.また,写真中で明瞭なピークとして写っているのに,もともと山名が付されていないものもあります.このようなものについては,国土地理院地図上で見て推測したり,近接からの景観をシミュレートして見当をつけ,ピークの名前や標高を判断して描き入れています.しかし,その作業は非常に難しいというか曖昧なもので,結果が正しいか確認の持てないものあります.したがって,間違いを含む可能性もあることをあらかじめことわっておきます.
※ パノラマ合成のもとになった写真の焦点距離は『35 mm 相当・換算値』です.カシミール3Dの景観シミュレーションの設定値における “焦点距離” も同様です.
まずは,上のスペクタキュラーな景観シミュレーション図の右側にある『日高山脈』から逝ってみます.日高山脈は言うまでもなく北海道における最大の山脈で,新第三紀のプレート衝突によって形成された衝突山脈です.その神々しい姿は,十勝平野側や日高海岸側で拝することができますが,札幌からもちゃんと見えているわけです.
下の長大なパノラマ写真(11枚合成!)は,もともと芦別岳~夕張岳をターゲットとして撮影したものですが,その右手前に夕張山地があり,さらに右側はるかに日高山脈が見えています.撮影地点は恵庭市恵庭墓園です.これを撮った時は,日高山脈が見えているな~...と思っただけで,その後まじめに追究することもなく忘れていました.クリックで拡大表示を示しますが,これで見ると,驚くというか意外なほど日高山脈の山並みがぞろぞろと見えています.
ただ,札幌から遠距離にある日高山脈はさすがに haze で霞んでおりコントラストがありません.そこで,階調の回復のため自分のスキルの限界までトーンマッピングなどのレタッチを行いました(下写真).その副作用で,パノラマ合成の際不均一になっていた空の階調が強調され,不細工なまだら模様になってしまいました.最後の手段として,Photoshop で sky-replacement を施しています.嘘くさいですが,少なくとも日高山脈の部分は嘘ではありません.
山名を見るとお分かりのように,日高山脈の北部から中央部にかけての部分が見えているようです.なにしろ日高山脈の最高峰・幌尻(ぽろしり)岳(2052.4 m)が見えているのですから感動します.直線距離は 92 km(!)です.
下の写真は,芦別岳~夕張岳,そしてその前面の夕張山地を撮ったパノラマの一部ですが,たまたまというのか,なんと日高山脈がちゃんと写っていました.撮影場所が夕張山地に近いので,日高山脈はその影にほとんど隠れていてほとんど雲と区別が出きないのですが,撮った写真をよくよく見ると冠雪の日高山脈のピークが.
真ん中へんの一番高いピークが幌尻岳です.特徴的な戸蔦別岳の三角ピークもはっきりと見えます.右端にイドンナップ岳が写っていますが,特定できない不明峰もいくつか写っています.
こうなってくると,あることに思い至ります.札幌周辺から幌尻岳が見えるのなら,幌尻岳山頂から札幌周辺が見えるはず(当たり前).さっそくネット検索で探ってみましたが,まったくヒットしませんでした.誰も気づいていないとは思えないのですが,視程(約 100 km!)ということもあるのかもしれません.
しょうがないので,カシミール3D(カシバード)でシミュレートしてみました(下).当然ですが,私の自宅付近から札幌市街,さらに小樽までが遮るものなくはっきりと見えます.ワイドな設定にしてみると,これも当然ですが石狩低地帯の全体から,その背後の樽前-恵庭・札幌西方山地,さらには羊蹄山も.
私が自分で幌尻岳に登るということは未来永劫絶対にありえないので,この風景を写真に収めるということは残念ながら不可能なのですが.
幌尻岳.上のパノラマ合成に使用した元写真を HDR 化してクロップし,AI リサイズ・デノイズ・シャープンを施したもの.
上の恵庭墓園からのパノラマ写真を作成した時には気づいていなかったのですが...この幌尻岳山頂をよく見ると,山頂手前に北側に開いた馬蹄形状の凹地地形がはっきりと見えています(左写真).
これは,なんと幌尻岳北カールです.札幌近郊から日高山脈最高峰の氷河圏谷(カール)地形が見えているとは...正直非常に驚きました.
なお,雲の影に少し隠れていますが,幌尻岳の左に見えるピラミッド型のピークは戸蔦別(とったべつ)岳(1959 m)で,その右側の鞍部状の稜線の向こうが有名な七ツ沼カールですが,もちろん見えていません.幌尻岳の右奥に見える小さな三角形ピークはエサオマントッタベツ岳(1902 m)です.
幌尻岳周辺のカール群(オレンジ色矢印).俯瞰図は Google Earth による.マウスオーバーでカール群説明を消去したものを表示する.
幌尻岳東カール(茶色矢印).俯瞰図は Google Earth による.マウスオーバーでハンモック説明線を消去したものを表示する.
幌尻岳周辺のカール地形を Google Earth で南側から俯瞰してみると右図のようになっています.
幌尻岳の周囲には大きく見て4つのカール(群)があります(ピンク矢印).
幌尻岳と戸蔦別岳間の稜線の東側にある有名な七ツ沼カールは,お椀状のカール底が特によく発達し,現在も湿地状になっています(七ツ沼).
東カールは a, b, c,三つのサブ・カールからなっています.戸蔦別カールは,この角度ではあまりよく詳細が見えませんが,これも不明瞭な三つのサブ・カールからなっているようです(下の傾斜量図参照).
東カールには,その下半部~末端付近に明瞭なハンモック状の堆石(モレーン)リッジが見えています(右下図).このようなハンモック構造は,おそらく氷河の前進-後退による末端部の移動を反映したものなのでしょう.
なお,東カールの三つのサブ・カールは,南(・東)に行くほどその規模が小さくなっています.その要因は私には分かりません.
下に示すのは,幌尻岳周辺の印象的な傾斜量図です.水色シェードはカール地形ですが,自分で独自に判定したものを含みます.名称を付したものは,一般に認定されている “間違いのない” ものです.
Wikipedia の 圏谷 のページには,この図に示しているナメワッカ岳周辺のカール地形はリストアップされていませんので,単なる気のせいかもしれません.
幌尻岳周辺の地形傾斜量図に地形陰影図をオーバーレイ合成したもの(国土地理院による).水色シェードはカール地形(独自不正確判定を含む).白点線は関連した稜線の一部.マウスオーバーでシェード・説明線を消去したものを表示する.
それにしても,傾斜量図というのは,地形判読には実に強力なツールです.幌尻岳の西南方,奥新冠ダム周辺には長さ 3 km 以上の大規模な地すべり地形が発達しているのがはっきりと見て取れます.
これらのカールがいつ形成されたのかと言うと,言うまでもなく “最終氷期”(7万年~1万年前)です.澤柿ほか(2012)によると,これらのカールに分布するモレーン堆積物の中には恵庭火山噴出物(En-a:1万8千年前)があり,その直後に融氷ステージが始まったと推定されています.
澤柿教伸・松岡直子・岩崎正吾・平川一臣(2012)日高山脈北部七ッ沼カールの融氷河流堆積物と恵庭a火山灰.地学雑誌,121,252–268.
なお,上の図を見るとすぐにお分かりのように,少なくとも日高山脈幌尻岳周辺では,カール地形はピーク・稜線の北側か東側にしかありません.これは,① 降雪時の優勢な西風によって尾根の風下(東)側に積雪量が増える,② 午後の強い日差しの影になる北側斜面で融雪量が減少する,という2つの要因によるものとされています.
(札幌周辺から見えるこの特徴的な山については,『夕張岳百景-西側からのビュー』で紹介していますので,そちらをご覧ください.)
ここで『夕張山地』と呼んでいるのは,『夕張岳百景』で紹介した夕張岳~芦別岳と連なる急峻な山地のことではありません.その西側,夕張市街の東西にある低標高の山地を指します.地質的には,この夕張山地を構成するのは,東側ではおもに白亜系蝦夷層群(の上部),西側では古第三紀~新第三紀の地層となっています.そのことから分かるように,夕張山地を造っている地層・岩石は比較的軟質なものなので,起伏に乏しい低平な山地を構成しており,西側から見るとそのジェントルな佇まいに心が和みます.もっとも “低平” とは言っても,夕張市街東側で最高点が 800 - 900 m,西側で 500 - 600 m ありますが.
夕張山地の地形を遠望して気が付くのは,パノラマ写真左側の丸山から左に見える “テーブル状地形” です(右写真).
これは一見たいして変哲もない普通の地形にも見えるのですが,地形と地質との関係性を頭におくと,見れば見るほど不思議に思えてくる地形です.
結論としては,このテーブル状地形は地質構造を反映した “構造地形” なのですが,それについては項をあらためて『大夕張ナップ』として解説したいと思います.
右写真上では,夏雲のため隠れていますが,右写真下の冬季ショットでは,テーブル状地形の左奥に白く冠雪した芦別岳の山容がわずかに見えています.
夕張山地のパノラマ写真の右側をよく見ると,規模は小さいのですが平頂な台地状地形がもう一つあります.右端の雨霧山と鬼首山の間に見える台形の稜線(“625 m ピーク”)です(右写真).このピークは今までなんとなく気づいてはいたのですが,それ以上追究していませんでした.右写真上ではよく分かりませんが,右写真下の冬の撮影では,625 m ピークが二つに小さく割れており,そこに沢型があることがよく見えます.
このピークについては,立花幹彦さんの Web日記 中の『遠くに見える「帽子の山」を探す (2025/06/09)』という記事に触発されて調べてみると,いろいろ興味深いことが分かりました.つまり,この台地状地形は地層の構造と大規模な地すべりに関係しているものでした.それについては『鬼首山地すべり』として項をあらためて解説します.
特徴的な地形の多くは地質と密接に関係しており,平頂なテーブル・台地状地形は緩傾斜の構造を持つ堅硬な岩相からなるのが普通です.代表的なのは『平頂溶岩』の項でも紹介した “溶岩流” ですが,夕張山地には溶岩流は存在しません.
マウント・レースイの北にあるテーブル状地形の地質学的背景は,日高山脈や夕張岳の形成との関係で実に興味深いものです.これについては,私的・北海道地質百選の 大夕張クリッペ のページでも紹介していますので,興味のある方は参照してください.
夕張市丁未風致公園から見た大夕張ナップ地形.2006年5月撮影.焦点距離 75 mm.背後に見えるのは夕張岳.テーブル状地形の前面に見える起伏の多い緩傾斜地は大規模地すべり地形(下図参照).
この明瞭なテーブル状地形は,標高 870.6 m のピークを南端部とする南北長さ約 2.2 km の平坦な尾根です.この尾根を形成しているのは,中生代白亜紀後期の地層である函淵層の砂岩層です.その周囲(下位)には,新生代古第三紀始新世の幌内層と石狩層群が分布しています.幌内層は主に軟質の海成泥岩から構成されており,その分布地域には函淵層砂岩をキャップ・ロックとする大規模な地すべりが多数存在しています.石狩層群は陸成~浅海成の砂岩・泥岩を主体とします.石狩層群は石炭層を含む挟炭層として有名です.これらの地層の上下関係については下図左下に簡単な層序表を入れましたので参照してください.
函淵層は水平層というわけではなく,20 度程度の傾斜を持っていますが,その走向は NNW-SSE 方向で,尾根部を軸とする向斜構造を持っています.そのため西方から見ると,その構造は偽傾斜によってほとんど水平に見えることになります.上位の函淵層の砂岩は硬質で下位の幌内層泥岩は非常に軟質なので,函淵層の部分が風化に抵抗して尾根地形を作ったというわけです.
函淵層は中生代白亜紀の地層,その下位にある幌内層と石狩層群は新生代古第三紀の地層です.つまり層序が逆転しています.これは,函淵層→石狩層群→幌内層という順番で地層が堆積した後,水平に近い断層面に沿って下位の函淵層が古第三紀の地層の上にのし上がったためです(衝上断層).このような,上位にあって周りの地層より古く下に根のない地質体は “根無地塊(クリッペ klippe)” と呼ばれています.長尾ほか(1954)は,これを『丸山根無地塊』と呼称しています.なお,“丸山” というのは上に述べた標高 870.6 m のピークのことですが,現在の地形図には山名がありません.
衝上断層によって下底面を区切られた薄いシート状の構造性地質体は “ナップ nappe” と呼ばれています.そういう意味で私はこれを『大夕張ナップ』と呼んでいます.大夕張ナップは,古第三紀の地層が堆積した後の著しい東西圧縮運動によるもので,日高プレート衝突山脈の形成と強い関連を持つものと考えられています.
長尾捨一・小山内煕・酒匂純俊,1954,5万分の1地質図幅『大夕張』および同説明書,北海道開発庁,121 p.
ここでかなり気になるのは,上の地質図にオーバーレイした大規模地すべりの存在です.このテーブル状地形の周囲は3つの大規模な地すべり地形で囲まれており,ナップ下底(=白亜系函淵層群と古第三紀幌内層)の低角境界線は地すべり地形の中にほぼ全体が入っています.こういうケースの場合,地表露頭の地質調査から地質ユニット間のオリジナルな関係を決定することはかなり難しいことになってしまいます.
例えばの話ですが,『地すべりでスライドしてきた函淵層群砂岩塊が元は断層関係にあった幌内層泥岩の上に定置した』ということもありうるわけです.この点に関しては,その後誰かが調査を行って検討しているという話も聞きません.ナップの存在根拠になったこの部分の地層の分布・構造データが大規模地すべりの内部を見ているのだとすると,いったいどういうことになるのでしょうか...私自身なにも見通しを持っておらず no idea です.
※ このナップ(・クリッペ)の存在根拠となったのは,上に書いたように 1950 年代に出版された地質図幅です.その調査時期はおそらく 1940 年代までさかのぼるでしょう.その中では,第四系として段丘礫層と沖積層が簡単に述べられているだけです.つまり,地すべり地形(・堆積物)という項がそもそもありません.調査者の方々が無視したわけでも見逃したわけでもありません.私も身に覚えがありますが,我々野外地質屋には長い間そのようなものは(大規模なものであっても)まったく認識の外にありました.なにしろ調査領域の地形を知るには紙に印刷された(白黒の!)1:25,000地形図しか無かった時代です.
あくまでも私個人のケースですが,地すべり地形のようなものを意識するようになったのはデジタル地形データというものを知った 1990 年代からのことで,それを自分で視覚的に処理・認識できるようになったのは,21 世紀に入ってからのことです.
(2026/02/08 再構成・加筆)
上で紹介した 625 m ピークを構成する地層を各種資料で確認してみると,新第三系中新統・滝の上(たきのうえ)層などとなっています.滝の上層の岩相は海成泥岩を主体とするということで,堅硬な岩相は含まれません.しかし5万分の1地質図幅『紅葉山』を見ると,構造が非常に複雑で難しいのですが稜線部分は古第三系漸新統・紅葉山層のように見えます.紅葉山層下部は “十三哩砂岩部層” と呼ばれる『堅硬な暗緑色を呈する粗粒ないし中粒砂岩』となっていますので,おそらくこれでしょう.
高橋功二・谷口久能・渡辺 順・石丸聡,2002,5万分の1地質図幅『紅葉山』および同説明書,北海道立地質研究所,116 p.
この部分の地形をもう少し詳しく見てみます(右図).まず “625 m ピーク” としたものですが,10 m メッシュ標高データで詳しくチェックしたらその最高点標高は 630.3 m であることが分かりました.以降そのように表記します.630.3 m ピークの南北約 270 m の部分が平頂なリッジになっていて,その東西で地形はかなり異なっています.
630.3 mピークと鬼首山を結ぶ稜線の西側は馬蹄形で西に閉じた谷地形部になっていて少し気になりますが,それ以外はある意味普通の山地地形です.それに対して東側では東に拡がる裾野を持った浅い凹凸地形が特徴です.これは後に述べるように地すべり地形です(青シェード).滑落崖のようなものも見えています(茶点線).
2つの地すべりの間,630.3 m ピークの東側に伸びる小リッジと谷には,それに直交した何段もの浅いジグザグの段差地形のようなものが見えます(オレンジ色点線).この “段差地形” の説明として考えられるのは; ① 地層の互層などの成層構造,② 重力クリープ地形,③ 単なる標高データ上の artifact,などです.③ は 10 m メッシュ標高データの由来を考えるとありえないことではありませんが,ここではオッカムの剃刀に従って却下します.② は...どうなんでしょう.地すべり内にも同じような地形が見えるので,そういうこともあるのかな?とは思います.
仮に ① だとすると,ジグザグ形状は『西に緩く傾斜した硬軟を持つ地層の層理面』によって作られたものと考えることが可能です.その地層は紅葉山層の硬質砂岩層で,630.3 m ピークの平頂リッジは一種の “ケスタ地形”(厳密にはちょっと違いますが)ということなのではないでしょうか?
これらの憶測を証明(or 否定)する唯一の方法は,『現地に行って(登って)地質調査する』ことなのですが,私にはもはや不可能なので残念です.
630.3 m ピーク~鬼首山のリッジを作っている地層が紅葉山層の硬質砂岩層だと仮定すると,その下位には各種図幅で示されている古第三系漸新統・幌内層の軟質な泥岩があります.そうすると紅葉山層砂岩層は,軟質で風化浸食を受けやすい幌内層泥岩の上の “キャップ・ロック cap-rock” となって不安定な状態になり,地すべりが発生するでしょう.いわゆる『キャップ・ロック型地すべり』です.こういった状況は,上位にある地層の年代や地質関係を除くと,大夕張クリッペと同様なものです.
630.3 m ピーク~鬼首山の東側斜面には,防災研地すべりデータベースによると,二つの大きな地すべりが存在しています.ここでは鬼首山東方の大規模な地すべりを仮に『鬼首山地すべり』と呼んでおきます(右図).鬼首山地すべりの上部滑落崖地形(赤線)は連続性が良く,地形陰影図で地すべりの形態をはっきりと認識することができます.
防災研地すべりデータベースによると,鬼首山地すべりは多数のサブ地すべりの複合体ですが,全体としては滑落崖長 2.9 km,すべり長は最大 1.5 km です.滑落崖からすべり先端までの標高差は約 350 m あります.防災研地すべりデータベースには数値データが公開されていない(?)ようなので正確には分かりませんが,北海道では中程度の大規模地すべりの一つと思われます.
下に,この鬼首山地すべりを札幌とは反対側-夕張側から見たものを示します.撮影地点は上の陰影図をご覧ください.一番右に見えるのが 630.3 m ピークで,その直下の地すべりは陰になって見えていません.この斜面のほぼ全体が鬼首山地すべりです.下から見上げた広角ビューを地形図と照合するのは至難の業で,地すべり地形を示したシェード範囲はかなりいい加減なものです.いずれせよ,かなり大規模な地すべり地形であることが実感できると思います.
(2025/06/26 加筆修正,2026/02/08 再構成・加筆)
下のパノラマは,長沼町から見た樽前山~恵庭岳です.左端の冠雪した特徴的なドーム状のピークが樽前山.その右が風不死(ふっぷし)岳です.中央部のピラミッド状のピークが恵庭岳です.
恵庭岳から右側の札幌西方山地前面には緩く傾斜する平坦面が見えています.写真の右端が北広島市街で,そのすぐ右には札幌市街がありますが,写真には入っていません.恵庭岳から北広島市街までの距離は約 30 km です.
樽前山-風不死岳-恵庭岳は,数万年前に起きた大規模な火山噴火に関連して形成されたものです.その結果,支笏カルデラが形成されました.
このような樽前山~恵庭岳の風景は,札幌郊外のどこからでもよく見ることができます(上写真).これらの写真を見ていると,私には数万年前の支笏カルデラを形成した巨大破局的噴火のイメージがはっきりと浮かんでくるのですが,その全貌は外輪山などによって囲まれているため札幌周辺からは直接見ることはできません.そこで,カシミール3Dのシミュレーション機能を使って,その撮影場所から高度を 5000 m 上げて俯瞰してみると,下のような迫力ある景観が見えてきます.
まず,支笏湖とその周辺の樽前山~恵庭岳からなる支笏カルデラの形状がはっきりと見えます.その前面には火砕流台地が広がっています.それらの向こうには,火山活動とは実は関係ない噴火湾とそれを囲む渡島半島が望めます.駒ヶ岳は活火山です.噴火湾の手前には,第四紀活火山地帯を構成する,いずれもカルデラ湖の倶多楽湖・洞爺湖があります.雄大な風景です.この景観を実際に見ることができないのが返す返すも残念です.
支笏カルデラの地形・地質的なことについては,下の『支笏カルデラ』の項で多少詳しく紹介することにします.
恵庭岳.上:札幌市南区滝野霊園から焦点距離 200 mm で 2020年11月撮影.中:長沼町ながぬま温泉付近から焦点距離 200 mm で 2005 年4月撮影.下:千歳市支笏湖温泉付近から焦点距離 25 mm で 2009 年4月撮影.
恵庭岳(1320 m)は,実は札幌市内の多くの場所からその特徴的な鋭い山容を望むことができます.個人的にはそのジャストなビューポイントは,おそらく南区滝野霊園です(右写真上).低い山の向こうに,ほぼ遮るもの無くその鋭い山容を捉えることができます.季節的には初雪の頃か雪の残る春,逆光になりやすいので曇りの日が狙い目です.
札幌の東側郊外に出れば,上のパノラマ写真にあるように恵庭岳はモロ見えとなります(右写真中).山頂部の形状を見ると視線の違いがこんなにも山の見え方を変えるのかと驚きます.恵庭岳の右手前に重なっているのはイチャンコッペ山(828.8 m)です.
恵庭岳のベストビューポイントは,当たり前なのですが支笏湖畔です(右写真下).南側からのビューなので,その見え方はまた変わっています.向かって左手前には,この火山活動の賜物である丸駒温泉の建物が小さく見えています.恵庭岳の両側に見える丹鳴岳・漁岳は,平頂溶岩の項 で紹介した鮮新世大規模火山活動による古い火山帯の南端部です.
樽前山-風不死岳.長沼町ながぬま温泉付近から焦点距離 200 mm で 2005 年4月撮影.
樽前山(1041 m)は札幌郊外からはよく見えますが,恵庭岳と違い札幌市内からは案外見えません.距離が遠いのと標高が少し低いせいでしょう.札幌駅からの距離で言うと,恵庭岳が 30.5 km,樽前山は 41.6 km です.札幌の南方にあるので,たいがいの時間帯には逆光になることが多く,なかなかその姿を捉えられません.
右写真は,長沼町から見た樽前山-風不死岳です.二つの火山の山容の違いが印象的です.その間に見えるのは,932 m ピークです.
札幌市南区北ノ沢から見える樽前山.カシミール3Dによるシミュレーション.焦点距離設定 100 mm.
藻岩山山頂から樽前山.焦点距離設定 120 mm で 2018年9月撮影.
ところが...私も最近ある方からの問い合わせで初めて知ったのですが,札幌市南区北ノ沢周辺の住宅地からは,その山頂だけが奇跡のようにかろうじて見えています(左図).溶岩ドームだけではなく,火口原の一部もなんとか見えます.その右にあるはずの風不死岳はイチャンコッペ山の影になっていて,恵庭岳は硬石山で完全に隠されています.
考えてみると当たり前なのですが,標高 530 m の藻岩山頂まで行くと樽前山はきっちりと姿を表し,風不死岳もイチャンコッペ山の後ろにかろうじて見えるようになります(上写真下).自分の写真を見直していて初めて気づきました.この右側には恵庭岳もその勇姿を現わすのですが,なぜかこの写真には入ってませんでした.
支笏カルデラは,約4万年前に破局的噴火を起こした支笏火山の頂部が陥没したもので,直径は約 15 km です.そこに雨水が溜まって支笏湖となりました(右写真).その噴火で発生した火砕流は札幌市街まで達しています.恵庭岳から北側に続く札幌西方山地前面の緩傾斜平坦面は,支笏火砕流の作る台地です.
なお支笏湖の東側にある紋別岳は,支笏カルデラに関係した外輪山などではなく,その基盤をなす古期(鮮新世?)の火山体です.
恵庭岳山頂部.札幌市南区滝野霊園から焦点距離 600 mm で 2020年11月撮影.
支笏カルデラの北側外輪山である恵庭岳山頂の近接写真です.山頂に見える黒い岩塔は溶岩ドームです.右に見えるピークも多分そうでしょう.山頂から左に伸びる凹地は 17 世紀の水蒸気爆発によって形成された爆裂火口で,現在も噴気活動を行っているのが分かります.この爆裂火口は,上に掲載した長沼町からの写真にほぼ正面からの姿が捉えられています.
Wikipedia によると,恵庭岳の火山活動が始まったのはおよそ2万年前からで,1万8千年~1万5千年前には大量の降下軽石質火山灰の噴出があり,広域的なテフラ層準となっています.その後,溶岩流の流下ステージがあり,顕著な溶岩流地形が形成されています(右図).約2千年前には,この溶岩流がオコタンペ川を堰き止めてオコタンペ湖ができました.
なお恵庭岳の西方では,漁岳-小漁山-フレ岳-丹鳴岳と連なる稜線の西側が平坦となっていますが,これは札幌西方山地の項でも紹介した鮮新世の平頂溶岩によるものです.フレ岳直下には,それを要因としたキャップ・ロック型の大規模な地すべり地形が確認できます.
上:神々しい新雪の樽前山.苫小牧市・道央道樽前SAから焦点距離 135 mm で 2023年11月撮影.下:樽前山山頂の溶岩ドーム.苫小牧市・道央道樽前SAから焦点距離 600 mm で 2020年10月撮影.
支笏カルデラ南側の外輪山である樽前山は,独特な山容を持った火山です.左写真上は,札幌側からではなくその反対側,樽前山の南麓を走る道央自動車道の樽前SAからのビューです.初冠雪の樽前山が神々しい感じです.臼状になった広い山頂部は火口原を形成していますが,その中央に黒く見えているのは樽前山を特徴づける溶岩ドームです(左写真下).
Wikipedia によると,樽前山は約 9,000 年前に活動を開始した火山で,大規模な火砕物噴出を繰り返しています.17-18 世紀には2回の大規模な噴火を起こし,その噴出物は広域テフラともなっています.ある程度の規模の噴出物を伴う最新の噴火は 1978 年というバリバリの活火山です.
この地域のランドマークともなっている山頂の溶岩ドームは 1909 年の噴火に伴って出現したもので現在でも活発な噴気活動を示し,直径は約 470 m,火口原からの比高は約 140 m で頂部は平坦になっています.これが火口原の形状を保った隆起によるものかは分かりません.
右図は,樽前山周辺の地形を傾斜量図で表したものです.樽前山の南西側には支笏火砕流の明瞭な台地が見えています.樽前山噴出物は山頂からおもに東側を覆っていますが,西側の苔の洞門方面にもその広がりがあります.樽前山の南東麓には3~4個のローブ地形が見え,その上にはシワ状地形を伴います.おそらく 16-17 世紀の噴火に伴う火砕流地形と思われますが,正確なところは分かりません.
風不死岳は,樽前山とはまったく異なった山容を示し,風不死岳溶岩からなる成層火山です(右図).噴火活動は約 4 万年前から始まったとされ,8,500 - 4,000 年前にも噴火している活火山です.その位置は支笏カルデラ内にあり,外輪山ではありません.カルデラの中央火口丘に相当するという見方もあるようです.
なお,風不死岳の南麓部には大規模な地すべり地形があります(右図)が,その発生要因・時期等は不明です.火山活動とは無関係なものかもしれません.
支笏湖周辺の陰影地形図(上図)は,支笏カルデラの作る大規模な火山地形を表現しています.もっとも印象的なのは,カルデラの東部に広がる広大な支笏火砕流台地でしょう.支笏火砕流は美笛峠以西にも広がっていますが,開析によるものかあまり目立ちません.
もう一つ気づくのは,恵庭岳-風不死岳-樽前山が NNW-SSE 方向の直線上に並んで “火山列” を構成していることです.これは当然,マグマの通り道となる “弱面” の存在を示唆しますが,その詳細は不明です.
なお,この図ではあまり表現されていませんが,支笏カルデラ周辺・内部には,いくつかの小規模な溶岩ドームと思われる地形が存在します.モラップ山(506.4 m)・“野鳥の森” ピーク(470 m)・多峰古峰(たっぷこっぷ)山(660.9 m)・その周囲にある 646 m・580 m・614.2 m ピークなどです.いずれも,その底面からの比高は 200 - 300 m のものと思われますが,これも詳細は分かりません.
最後に,支笏カルデラの火山活動とは直接の関係はないのですが,『千歳川上流部』について紹介しておきたいと思います.
実は支笏湖の唯一の流出河川はもちろん東岸からの千歳川ですが,西岸の流入河川も千歳川と呼ばれているのです.そもそも連続していない別の河川なのになぜ同じ名称が付けられているのかは分かりません.ちなみに支笏湖の流入河川は,千歳川の他にオコタンペ川があります.
支笏湖は恵庭岳と風不死岳があるので “鼓型” の形状になっていますが,その西岸には湖に張り出した広い平坦部があります.千歳川の流入によって形成されたデルタ地形(“千歳川デルタ”)です(左図).
この流入河川である千歳川上流部を見ると,ちょっと面白いことが分かります.千歳川は旧千歳鉱山付近から北に流路を変えてフレ岳西麓の源頭部へ向かっています.この源頭部では,北側の尾根線との最小高度差がわずか 30 m しかありません(水色シェード部).この尾根のすぐ北側には,なんと札幌市のシンボル河川・豊平川の最上流部があります.その高度差は約 40 m です.つまり,このわずか 30 - 40 m の高さの尾根が侵食されてしまうと,千歳川と豊平川との間に河川争奪が起きることになります.どちらの河川が勝者となるかは分かりません.もっとも,いずれにせよこの場所の上流側が短いので,たいしたことにはなりませんが.
で,支笏カルデラ絡みの話になりますが...私は某博物館展示で『支笏カルデラ形成前は豊平川は現在の支笏湖の場所に源流があった』というのを読んだ記憶があります.つまり,かつて(数万年前以前)そこに豊平川と千歳川(=石狩-胆振)の分水嶺があったということになります.支笏カルデラ形成以前の地形がどのようになっていたかを知る具体的なデータは今のところ(AI に聞いてみても)見つからないので,これが本当なのかどうかは不明です.
『札幌西方山地』というのは,札幌市の西部を構成する山地のことで,その最高峰は赤井川村との境界に位置する余市岳(1488.0 m),2番目が京極町との境界に位置する無意根山(1460.2 m)です.
札幌市の南はじにある滝野霊園からは,上の札幌西方山地の山並みをほぼ真横から見たビューを得ることができます.ここでは,手稲山のはるか右に藻岩山が見えています.これは札幌市民の感覚とは真逆で,南側から見ているので当然とはいえ,ちょっと驚きます.手稲山の形もいつも見るとはかなり違っています.一番左に見えるのは烏帽子岳と神威岳ですが,特徴的なデビルズ・タワー神威岳は残念ながら烏帽子岳の前に重なっていて目立ちません.手稲山と藻岩山の間には,いくつもの低い三角形ピークが見えていますが,特定はできていません.
実はこのビューの左側には,札幌西方山地の南側本体である札幌岳-空沼岳-漁岳,さらには支笏カルデラ南端の恵庭岳までが見えています.しかし非常に残念なことに,このパノラマとの間はまったく邪魔な林で遮られていてダメでした.
最近(2024/10)気づいたのですが,当別町周辺は広大な札幌西方山地を一望できるもう一つの良いロケーションだと思います(上の景観図参照).しかし,私がこの場所にいるのはいつも午前遅くか午後に入ってからなので,南を見るこのビューは逆光とその haze でいま一つクリアではありません.そのため,思うような写真はまだ撮れていません.おまけに,送電線とかの邪魔なオブジェクトもけっこう多い...まあそれは generative AI でなんとかなるかもしれません.季節的なものもあると思うので,そのへんを考慮してチャレンジしてみたいと思っています.
※『札幌西方山地』は,おそらく正式な名称ではありません.Google/Bing で検索してみると,ヒットしてくるのはほとんどが私自身のページ(!)ですが,しかし私の造語でもありません.例えば岡村ほか(2010)にもはっきりと使われています.この論文では『...を札幌西方山地と呼ぶ』と書かれているのですが,私がこの言葉を知って使うようになったのはもっと前の話なので,どこかにオリジナルがあるのかもしれませんが,不明です.
岡村 聡・八幡正弘・西戸裕嗣・指宿敦志・横井 悟・米島真由子・今山武志・前田仁一郎(2010)北海道中央部に分布する滝の上期火山岩類の放射年代と岩石学的特徴-勇払油ガス田の浅層貯留層を構成する火山岩の岩石化学的検討-.地質学雑誌,116,181-198.
初夏残雪の無意根山(1460.2 m).左に見えるのは中岳(1387.5 m).札幌市清田区・平岡公園付近から焦点距離 250 mm で 2021年6月撮影.
札幌西方山地の大部分は新第三紀の火山岩類からなり,後に述べる手稲山もその一部です.この新第三紀火山岩類の中でも,その上部には大規模な溶岩流が発達し,流走面が水平に近いため平頂なピークを造る場合があります.空沼岳・札幌岳・無意根山・朝里岳・手稲山などはその代表的なもので,遠目にもすぐに分かる特徴的な山容を示しています(右写真:無意根山).
この溶岩は『平頂溶岩(flat lava)』とも呼ばれます.
※ “平頂溶岩” という名前は,私が学生時代にどなたかからそう教えられたもので,Google 等で検索してみてもそんな言葉はヒットしてきません.例えば松田義章さんによる『手稲山の形成史』では,この溶岩を “平坦面溶岩” と呼んでいます.これが正確な呼称かもしれません.しかし私はなんとなくですが “頂” の部分に思い入れがあり,低平な台地とかではないという意味で,ここでは平頂溶岩という言葉を使用します.そういう意味では,英語表記だと “flat-peak lava” なのかもしれません.
札幌西方~支笏湖北西方にかけての平頂溶岩の分布.平頂溶岩をアニメーションで強調表示する.地質図・溶岩分布は,産総研1:20,000地質図幅『札幌』による.“平頂溶岩” として強調したものは,その図幅中で “更新世火山岩類(An)” とされたもの,および “鮮新-更新世火山岩類(Ap)” とされたものの一部.
札幌西方~支笏湖北西方にかけての平頂溶岩の地質分布を右図に示します.1/20万分の1地質図幅『札幌』によるものですが,発行時期が 1980年とやや古く,年代論には曖昧な点があるので,そこで使用されている層準分類のどれを平頂溶岩類としてよいのかは,よく分からない点があります.ここでは『札幌』図幅で標高の高い山地において “更新世溶岩” とされたものに “鮮新-更新世溶岩” の一部を適当に加えてあります.もちろん,そのような判断が専門的に妥当なものかは確信はありません.
平頂溶岩の噴出年代は 3.7 Ma(鮮新世)前後とされていますが,それより古い 10 - 5 Ma(後期中新世)の噴出年代を持つものも含まれているようです.20万分の1地質図幅『札幌』では更新世溶岩という表現が使用されていますが,第四紀更新世の噴出年代を持つものは平頂溶岩の中には確認されていません.
平頂溶岩の分布を大まかに見ると,①札幌西方山地と ②支笏湖北西方山地の二つがあります.その間の奥まったところに,③無意根山の平頂溶岩分布があります.なお,①は右図では東西二つに分かれているように見えますが,あとに述べるように一体のものである可能性があります.
それぞれを構成するおもなピークとその標高は次のとおりです.
① 春香山(906.7 m)・奥手稲山(948.9 m)・手稲山(1023.1 m)迷沢山(1005.3 m)・屏風岳(752 m)・朝里岳(1280.6 m)・白井岳(1301.3 m)・余市岳(1488.0 m)
② 札幌岳(1293.0 m)・狭薄(さうす)山(1295.7 m)・空沼岳(1251 m)・漁(いざり)岳(1317.5 m)・小漁山(1234.9 m)・丹鳴(になる)岳(1039.5 m)
③ 無意根山(1460.2 m)・中岳(1387.5 m)
つまり,少数の例外を除いて,平頂溶岩地形は標高 1000 ~ 1400 m の “開析されてはいるが全体として平坦な地形” ということになるでしょう.
これらの平頂溶岩が単一の噴出源を持つ溶岩流とはとても思えないので,多分複数の噴出源から流出した複合的なものと思われます.その噴出源はどこにあるのでしょうか?
下の写真は,札幌周辺からというわけではないのですが,長沼町から見た ②支笏湖北西方・③無意根山の平頂溶岩地形です.向かって左(南)側には,現世の活火山である支笏火山の北端,恵庭岳が見えています.支笏火山の噴火活動の開始はおよそ6万年前頃と言われていますので,平頂火山の活動が終わってから 300 万年以上の長い休止期を挟んで新たな火山活動が開始したことになります.この風景は,本州火山弧の北端部とも言える札幌周辺の火山活動の長い歴史を実感させてくれます.
上の図は,札幌西方山地の平頂溶岩地形を傾斜量図で表現したものです.マウスを置いてみるとすぐにお分かりと思いますが,朝里岳から春香山-奥手稲山-迷沢山と続く山地の平坦地形は非常に顕著なもので印象的です.これがまさに平頂溶岩の作る地形です.この平頂地形の東には,手稲山山頂から東(南)へ流下する二つの顕著な溶岩流地形が見られます.
なお,手稲山の北東側に見られる平坦地形は,上の20万分の1地質図幅『札幌』では溶岩流の分布域となっていますが,実は大規模な地すべり地形です(青シェード部:後述).
上で述べたように,地質図幅『札幌』では朝里岳-屏風山地域と迷沢山-春香山地域は平頂溶岩の分布としては分離しているように見えますが,傾斜量図では両者は明らかに連続した一連の平頂・平坦地形を形成しています.この分離部がもしかすると二つの溶岩分布の間の地すべり地形となっているのではないかと防災研地すべり分布図を見てみましたが,大きな地すべりはありませんでした.5万分の1地質図幅『銭函』を見ると,この分離部分は平頂溶岩の下位層の分布となっていますが,その中には安山岩溶岩類を含んでいます.そもそも噴出年代がそれぞれの溶岩ごとに細かに分かっているわけではないので,下位層とされたものも含めて本質的には同時代の溶岩類に属するものではないかと今のところは考えています.
手稲山山頂部から東側にかけて分布する溶岩(“手稲山溶岩類”)は,この平頂溶岩の分布からはある程度分離しており,地形特徴もかなり異なるため,同一の平頂溶岩ユニットに属するものかは不明です.いずれにせよ,この二つの溶岩流地形に匹敵するものは他の場所には見られない特異なものです.これについては次の項で少し詳しく述べます.
手稲山西方の平頂溶岩が作る地形を手稲山頂上空 1000 m から俯瞰したシミュレーション画像(カシミール3Dによる).マウスオーバーで平頂溶岩地形(茶色シェード)を表示する.茶色の山名は平頂溶岩地形内のピーク.
このページは『札幌周辺から見える』ものが対象なので,この見事な平頂溶岩地形がどこから見えるのかということなのですが...結論から言うと,私のような人間が通常アクセス可能な場所(=登山ルート以外)からは見えません.
札幌市街からはもちろん全然無理ですが,少し東に離れて東野幌や長沼町から遠望してみても,ピークは見えているのですが平頂な地形としてはまったく認識できません.それでは,と手稲山山頂の手稲神社奥宮からカシミール3Dでシミュレートしましたが,手前の尾根等がじゃまになってほとんど無理でした.平頂地形を見るには,神社の 1000 m 上空に視点を設定する必要がありました(上図).こういう視線は非日常的なものですが,もしかすると函館空港行きの旅客機便とかなら希望はあるのかもしれません.
『手稲山』は札幌の多分どこからでも見えるシンボルのような山です.その頂上は緩く左(南)に傾いたテーブル状の特徴的な形をしています.これは “平頂溶岩” が作る一種の古火山地形であることは既に述べた通りです.
しかし,札幌中心部から見える山々は手稲山だけではありません.札幌市街地のビルの向こうには手稲山から南へ続く山並みが鮮やかで,札幌という都市のイメージとなっています(下写真).
手稲山とその裾野の山々.上のパノラマの右を切り出し Adobe Photoshop により “空置換” を施したもの.
右は,パノラマの右端を切り出して手稲山山頂部を拡大表示し,ちょっと “盛った” ものです.これを見ると,手稲山がなぜ札幌のシンボルと言われるのかが分かるような気がします.存在感というか,ボリューム感というか.
なお,下に述べる巨大地すべり地形は,この手稲山頂から向かって右に伸びる尾根筋の向こう側にあり,札幌市中心部からは隠れていて見えません.
下の写真は手稲区前田から見た手稲山です.北海道大学から見たものとは視線が大きく異なっていて,山頂から向かって右下へ伸びる稜線を右側から回り込んで見た形になります.手稲山とネオパラ山の左右関係が逆になっていて,奥手稲山が見えるようになっています.手稲山の右に見える鋭い岩塔状のピークは 991 m ピークです.手稲山の前面に見える緩傾斜の広い平坦面は大規模な地すべり地形ですが,これについては『手稲山地すべり』の項で紹介します.
手稲区前田からみた手稲山.焦点距離 120 mm で撮影した3枚をパノラマ合成.2025年1月撮影.
上の写真のさらにクローズアップしたもの.マウスオーバーで手稲山を構成する溶岩流の概略分布を表示する.
手稲山の山頂部が平坦・台形になっている(右写真)のは,もちろん新第三紀火山活動による平頂溶岩(手稲山溶岩)の構造が見えているものです.
手稲山山頂の右手前にある “お饅頭型” のピークはネオパラ山(838 m)です.よく見るとやや平頂なので,多分平頂溶岩地形の一部ということなのでしょう.北海道地質百選の このページ によると,手稲山溶岩の下位にあたるネオパラ山溶岩が作る地形となっています.ネオパラ山溶岩の末端が 495.1 m ピークですが,その下の斜面には溶岩流の露岩らしいものが見えています(赤矢印).
手稲山溶岩の噴出年代は 3.7 Ma(前期鮮新世)とされていますので,西方山地の平頂溶岩 “主部” の年代とほぼ同一です.
※ “ネオパラ山” というのは正式な地名ではなく,もちろん地理院地図にもありません.これはサッポロテイネスキー場にあるパラダイス・ヒュッテ付近の斜面の名称から由来したもの(=ネオ・パラダイス)のようで,単なる俗称です.
手稲山周辺の傾斜量図(国土地理院地図による).地形陰影図を半透明度で合成している.マウスクリックで説明入りの図(3枚)に進み shift+クリックで戻る.
手稲山周辺を傾斜量図で表現してみると,これらの溶岩流が作る非常に興味深い地形が見えてきます(上図).
まず,手稲山山頂付近とネオパラ山付近から東へ流下する明瞭な溶岩流地形があります(右図1枚目).上に書いたように,手稲山溶岩・ネオパラ山溶岩です(右図2枚目).ネオパラ山溶岩の地形は多少複雑です.標高 750 m 付近の部分にやや明瞭な傾斜変換線があり,フロー境界の可能性があります.ネオパラ山は標高 800 m 前後の部分に傾斜変換線があり,その上がドーム状になっています.最上部が平頂になっていますので,もしかすると手稲山溶岩流の一部が開析により切り離された残丘なのかもしれません.ここではよくわからないので,とりあえず “ネオパラ山ドーム” と呼んでいます.
この二つの溶岩流地形は非常に見事なもので,溶岩流上面のシワ状・小リッジ状構造らしきものもはっきりと見えています(右図3枚目:灰色点線).噴出から 400 万年近く経過した溶岩流の上面が浸食も開析も受けずにほぼそのまま残っているというのはとても考えられないので,これは私にはかなり大きな謎です.例えば,溶岩流上部にかなり厚い自破砕部(クリンカー?)があって,浸食でその部分が失われて...というのも考えてみたのですが,どうも不自然な感じがするというか,真相は私には分かりません.
手稲山山頂西側には,二つの馬蹄形急崖が見えます(右図3枚目).手稲山周辺には,下に述べる手稲山地すべりを始めとしていくつかの大規模な地すべりが発達しています(右図4枚目・紫色シェード).馬蹄形急崖のうち東側のものは,その地すべりの滑落崖とされていますが,西側のものはそうではないようです.形状としては,多くの火山に見られる爆裂火口やそこから発達した崩壊壁にも似通ったところがあるのですが,それは多分妄想というものでしょう.
手稲山の東麓には,最大幅 4.5 km の巨大な地すべり地形があります.地すべりの発生時期は分かっていませんが,支笏火山の噴出以前で少なくとも5万年前より古いものです(宮坂ほか,2007).
宮坂省吾,山崎 茜,岡村 聡,英 弘,石井正之,小板橋重一(2007)鮮新世溶岩台地縁辺の地すべり地形:手稲山山体崩壊と天狗岳地すべり.日本地質学会第114年学術大会見学旅行案内書(地質学雑誌第113巻補遺),19-28.
※ 宮坂ほか(2007)では,この “地すべり” を『岩屑なだれ(rock avalanche)』と呼んでいます.地すべりと岩屑なだれ等の高速斜面変動との関係は私のような素人には難しいものがあります.多分,地すべりは移動速度が遅く移動体にはある程度の連続性がある,岩屑なだれは移動速度が非常に速く移動体は分離していて不連続,といった違いがあるものと推測されます.ここでは,一般的な通称として『地すべり(landslide)』という呼称を使用しており,専門的な立場から分類的にそう呼んでいるわけではありませんのでご了解ください.
下の写真は,札幌市手稲区新発寒付近の土手の上から見た手稲山と地すべり地形の景観です.実はこの地すべりのベストな撮影ポイントをまだ見つけていません.この場所はまあまあなのですが,地すべり地形を俯瞰できる高度がないため,その広がりが実感しにくいのが玉に瑕です.午前遅くなると,もろに逆光になってしまうのもお出かけ写真撮影にはきついところです.あと手前が住宅地なので,電線が邪魔です.Photoshop のワイヤ消しAI機能で可能な限り除去していますが,完全ではありません.
札幌市 手稲区新発寒付近 から見た手稲山と地すべり地形.焦点距離 120 mm で撮影したもの7枚を合成.2025/01 撮影.説明は下図参照.マウスホイールで拡大・縮小表示する.
カシミール3Dによる手稲山地すべり地形.北区新琴似新川付近より.上の写真とはやや視線が異なるが,同様なビューとなるように設定したもの.焦点距離設定 50 mm.
手稲山地すべりを高度 2000 m から正面俯瞰したシミュレーション画像.焦点距離設定 35 mm.マウスオーバーで地すべりを消去したものを表示する.
この大規模な地すべり地形は,例えば地質研『北海道の地すべり地形分布図』などを見ると分かるように,札幌市域最大級の地すべりです(上図・右図).札幌市の南西部には,無意根山東麓や空沼岳北麓に密集した大規模な地すべり地形が見られますが,市街地隣接地域としては手稲山地すべりはダントツに大規模なものです.
軟質な地質の上位に溶岩流などの堅硬な岩盤がほぼ水平に載るという地質状況からくる不安定性が原因となる,いわゆるキャップ・ロック型(cap-rock type)の地すべりと考えられます.しかし,なぜこの場所で大規模な崩壊が起きたのか,そのトリガーは?といった specific なことについてはよく分かっていないのが実情でしょう.
最初に述べたように,この地すべりは5万年以上前に発生したもので,その後活動した形跡はありません.しかし宮坂ほか(2007)によると,その崩積土塊の厚さは約 30 m あり,その末端は現在の住宅地まで達しています.現在は安定していても地震や降雨などにより再活動しないという保証は必ずしもありません.
この “札幌市街から見える” 巨大地すべりについては, 私的・北海道地質百選のページ でも紹介していますので,興味のある方はそちらもご参照ください.
藻岩(もいわ)山(530.9 m)は,言うまでもなく札幌のもっともポピュラーなランドマーク(のひとつ)です.おそらく札幌市街のどこからでもビルの間とかに見える山だと思います.札幌を訪れるインバウンドの方々の定番観光地にもなっているそうです.
ところが...というのか,それだからというのか,私にとって藻岩山はあまりにも身近な存在なので,『ほとんど写真を撮っていません』.私の写真ライブラリの中に,藻岩山をメインの被写体とした写真は見つかりませんでした.
下の写真は,どちらも藻岩山自身を撮ったものではなく,札幌西方山地を目的として東側から撮ったもので,その手前にたまたま藻岩山が写っていた,というものに過ぎません.背後の山々については上のリンクに掲載したものをご覧ください.撮影地点と藻岩山との直線距離は約 12 km です.
この場所は,札幌の西に広がる山地を一望できる私のお気に入りの撮影ポイントです.藻岩山の前にはプレミスト・ドーム(旧札幌ドーム)が輝いています.こうやって見ると,藻岩山というのは向かって左(南)側に裾野を引いた著しく非対称な山型を持っていて,その頂部はやや平坦な形をしているのが分かると思います.
そのへんの地形特徴をもう少し詳しく見るために,藻岩山山頂部のクローズアップを右に示します.
藻岩山山頂から向かって左に傾斜する平坦な稜線は非常に顕著で,ここではこれを “平坦稜線1” と呼びます.この左端はやや傾斜の急な段差状になっていて,その先に非常に長い “平坦稜線2” が続いています.段差の高低差は 30 - 40 m 程度と思われます.
平坦稜線1の手前側・兎平(うさぎだいら)の奥には,やや標高の低い平坦稜線3がほぼ平行に走っています.平坦稜線1との標高差は 40 - 50 m 程度と思われますが,正確には見積もれません.平坦稜線3は短いものですが,兎平の手前側の稜線とほぼ同じ高さ・傾斜になっていて,同一の “面” を形成している可能性があります.
※ 誤解のないように断っておくと,これは現在の藻岩山にこのような平面的な平坦面があるという意味ではありません.下に示す地形陰影図を見ると分かりますが,単に稜線の頂部が横から見ると凹凸のない直線状になっているということです.これはおそらく,元々あった平坦面が浸食・開析された結果ということでしょう.
写真では少し分かりにくい点もあるので,カシミール3Dを使って写真の撮影ポイントからの景観シユレーション図を作成してみました(下図).藻岩山とその周辺だけを浮き立たせるため,シミュレーションの視程設定を 15 km として背景の山々をオミットしています.向かって左(南)側の平坦稜線2の裾野が非常に長く,画面左端の 250 m ピークまで続いていることが分かると思います.平坦稜線3は連続性が悪く断続的で,南側延長はよく分かりません.
これらの平坦稜線は,“藻岩火山” の項で述べるように,藻岩山を構成する火山岩体(溶岩流)の構造を基本的に示しているものと考えられます.なお,藻岩山の東麓斜面には比較的大規模な地すべり地形も見えています(後述).
下の写真は,ちょっと趣向を変えて藻岩山をほぼ南側から見たものです.札幌市民が見慣れている藻岩山の形状とはかなり違っています.山頂から右へ流れ落ちる稜線は見えていますが,“平坦稜線” はあまり印象的ではありません.藻岩山の左側奥には,特徴的な円錐形ピークがいくつも見えています.これらのピークが実際地図上でどこにあたるのかは,おそらく藻岩山西方~幌見峠周辺のピークを見ていると思われるのですが,特定はできていません.
上に書いたように,札幌のランドマーク・藻岩山に関しては,まともな写真がまだ撮れていません.近場にいくらでも撮れるポイントがありそうなのですが,あまりにも札幌市民にとってポピュラーすぎて,写真撮る!という考えが発生しなかったというのが正直なところです.ということで,藻岩山の勇姿については『計画中』ということにしておきたいと思います.
実は,藻岩山は『札幌市で一番新しい火山=第四紀火山』です.札幌市で第四紀火山であることが分かっているのは藻岩山だけで,その噴出年代は 2.6 - 2.4 Ma(= 260~240 万年前:第四紀更新世前期)です.その火山を造っているのは藻岩山溶岩(地質図幅『札幌』)と呼ばれる火山岩類で,岩相は両輝石安山岩です.
北海道地質百選『札幌の象徴 藻岩山』によると,藻岩山溶岩の噴出年代は 2.8 - 2.6 Ma となっています.これをそのまま現在の地質年代チャートに当てはめると新第三紀鮮新世末期に入ってしまいます.新第三紀-第四紀境界年代は 2.58 Ma です.年代測定手法(K-Ar 法)の問題もありそうなので,実際のところどうなのかは私には判断できません.
いずれにせよ,絶対年代で表現された地質年代境界というのは arbitrary なものですから,『札幌で一番若い火山』ということには間違いありません.
藻岩山周辺の地形陰影図.白点線は藻岩山の主稜線.マウスオーバーで地形・地質説明を消去したものを表示する.白矢印は本文参照.陰影図は国土地理院地図による.
藻岩山周辺の地形特徴を地形陰影図で見てみると左図のようになっています.地質図幅『札幌』によると,藻岩山全体が藻岩山溶岩からなっており,その山麓部や藻岩下付近の沢状部は崖錐堆積物からなっています.藻岩山の西・南側には新第三紀鮮新世西野層(約 400 万年前)の溶岩・火砕岩類が分布しています.
藻岩山の周辺には,地形図上でドーム状の構造を持つピークが散在しています(オレンジ色シェード).なんらかの火山性地形と推測されますが詳しくは不明です.
藻岩下から兎平にかけて “平坦稜線” で囲まれた NNW-SSE 方向の凹地は地形的に非常に印象的です.このサイトには『藻岩火山の山頂下での割れ目噴火(260-230 万年前)による』と分かりやすいイラスト付きで書かれています.魅力的な仮説ですが,その根拠・原典は不明です.
なお,藻岩山東麓には幅 1.5 km 程度のやや大きな地すべり地形があります(緑色シェード).その東端は白矢印で示されるように豊平川の河食を受けていますので,現在は活動していない古い地すべり跡と思われます.
南区藤野周辺から南方を見ると,ポップな形をしたいくつかのピークが並んでいるのが目につきます.その形状から,なんらかの古火山性地形であることは私にも推察できましたが,それ以上追究することは今までしていませんでした.
最近になって,札幌市在住の木村則子さんから,この山が『藤野三山』と呼ばれていることと,そのビューポイントを教えていただきました.残念ながらそのポイントからのビューは季節的なこともあり確認できませんでしたが,ほぼ正面にあたるところから藤野三山の姿を捉えることができました(下写真).
以下では,藤野三山についてその地質学的な成因・性質も交えて紹介したいと思います.
札幌市南区硬石山南から見た藤野三山.豊平川段丘面の手前を豊平川が流れている.焦点距離 60 mm で撮影した3枚をパノラマ合成.2026/01 撮影.電線と電波塔を Photoshop の Generative Removal 機能で除去している.
藤野三山で国土地理院地図でピーク名が付されているのは,焼山(662.3 m)だけです.焼山とその両側にある 579 m,562 m ピークが藤野三山です.なお,フッズ・スキー場のある 562 m ピークの向かって左側斜面は急崖となって形状が著しく非対称になっていますが,これはその山腹が採石場となっているためです.
ところが Google Map でズームインしてみると,これらのピークには向かって左から豊見山・豊平山・豊栄山という山名が表示されます.その名前から藤野三豊山と呼称されている場合もあるようです.これらの正確な読み(とよみやま? とよひらやま? ほうえいざん?)は不明です.
なお,藤野三山の左奥には美しい富士山型の 651 m ピークが見えています(上写真).これは Google Map では藤野富士と表示されますが,1955 年発行の5万分の1地質図幅『石山』では三角山という名前が付されています.
こういった山名がいつどのようにして付けられ使用されているのかは不明ですが,今昔マップサイトを見ると,1950-52 年発行の国土地理院地図では既に焼山の山名が使用されています.つまり,藤野三山の山名が元々あってその後消えていったということではないようです.地元住民によっていつからか伝統的に使われているものということなのでしょう.
藤野三山周辺の地形陰影図(国土地理院地図).マウスオーバーで溶岩ドームと判断されるもの(オレンジ色シェード)と大規模地すべり地形の一つ(茶色シェード)を表示する.赤点線は藤野カルデラ外縁(後述).
これらのピークは,地質図幅『石山』・八束ほか(2009)によると大部分が紫蘇輝石普通輝石安山岩溶岩から構成されており,一部に角閃石デイサイトを含んでいます.その特徴的な形状は安山岩(・デイサイト)の堅硬な岩質によるものです.
しかし,それが平面的な溶岩流であれば,このようなピーク形状になるはずがなく,いわゆる火山岩頸(volcanic neck)の可能性が考えられます.八束ほか(2009)は,これらの安山岩体は溶岩ドーム(溶岩円頂丘 lava dome)であるとしています.その形成時期は,およそ 400 万年前(新第三紀鮮新世前期)です.これは,周囲に分布する新第三紀の海成層のうち一番若い西野層の年代とほぼ一致しており,西野層堆積直後に上昇・露出したものと推定されます.
これらの溶岩ドームは 400 万年も前に形成されたものなので,その形態がそのまま現在の藤野三山の山形になっているというわけではありませんが,基本的な形態は残っているのかもしれません.藤野三山の周りを見渡してみると,651 m ピーク(藤野富士)もそうですが,その他に数個の溶岩ドームと思われるピークが点在しています(上図).
現在は溶岩ドームの周囲はそれに由来する崩壊岩屑からなる崖錐堆積物によって広く覆われています.藤野三山の周囲には長さが 2 km を越える大規模な地すべり地形も見えています(上図).防災研地すべりマップ で見ると,藤野三山周辺は図示したもの以外に地すべり地形で埋め尽くされており,支笏湖西方から続く地すべり密集地帯の北端部となっています.
実は,藤野三山の周囲にはカルデラの存在が指摘されており,藤野カルデラと命名されています(渡辺,1993).私はそのことを今回知って非常に驚きました.上図にはそのカルデラ縁の一部を図示しています.
藤野カルデラの推定形状.オレンジ色シェードは溶岩ドーム(推定を含む).地形陰影図は国土地理院地図による.マウスオーバーでカルデラ形状と溶岩ドームを消去したものを表示する.赤点線:渡辺(1993)による藤野カルデラの外縁を推定した線.
藤野三山周辺を広く見渡してみると,形状は不明瞭ですがカルデラの全体らしきものが見えてきます(右図).地図上でそれらしいところを測ってみると直径は約 6 km あります.原著には詳しい地図が示されておらず,このカルデラ縁は私が “適当に” 推定して描き入れたもので,おそらく不正確なものです.渡辺(1993)は藤野カルデラの直径を 3.5 km としており,私の推定との整合性は不明です.
カルデラはやや馬蹄形の形態を持ち,北側の形状は不明瞭で開いています.豊平川による河川浸食・開析の結果と考えられます.カルデラ内の溶岩ドームの分布には,渡辺(1993)が指摘しているように北西-南東方向の配列が見られますが明瞭なものではありません.カルデラの形成はもちろん溶岩ドーム形成前で,西野層堆積時かその直後と考えられます.
八束 翔・田嶋 祐一・嵯峨山 積・岡村 聡(2009)札幌市南部,藤野-簾舞地域の新第三紀火山岩類と珪藻化石層序.北海道立地質研究所報告,第80号,7-13.
渡辺 寧(1993)岩脈・火口配列に基づく西南北海道北部の新生代後期の応力場.地質雑,99,105-116.
カルデラと溶岩ドームの例:洞爺湖に浮かぶ中島は,洞爺カルデラ中の溶岩ドーム群である.2009年3月撮影.
カルデラ中の溶岩ドームの典型例としては,北海道民なら一度は見たことがあるだろう洞爺湖中島があります(右写真).これは,洞爺カルデラの中心部に上昇した溶岩ドームの複合体です.こういったものは屈斜路カルデラなど他のカルデラでも普通に見られるものです.しかし,カルデラ形成期の後期に溶岩ドームの形成が起きやすい理由はどういったものなのでしょうか? ちょっと分かりません.
藤野カルデラが西野層などの堆積場である海中で形成された海底カルデラか,あるいは陸上火山で形成されたものかは,よく分かりません.溶岩ドーム形成以降にその上・周辺に堆積した地層も知られていません.
下の図は,カルデラと溶岩ドームの形成に関する一般的な模式(・勝手)想像図です.藤野カルデラに関するスキームを示したものではありません.
カルデラと溶岩ドームの模式想像図.単なる一般的な想像図で,実際の藤野カルデラについてのスキームを示すものではない.
一般に巨大カルデラは,爆発的な噴火による大量噴出によって地下の質量が失われて陥没を起こすものですが,そこはこの図にはまったく表現されていません.藤野カルデラのケースでは,そのような大量の噴出物は周囲の地層の中に見当たりません.もしかすると,複数の溶岩ドームの形成によって地下に質量欠損が生じたという可能性も考えられます.その場合,溶岩ドーム形成後にカルデラが形成されたことになり,上に書いた形成順とは逆になってしまいますが,それが火山学的に妥当なものかは分かりません.
また,溶岩ドーム形成後にはそれを覆うあるいはそれにアバットする後カルデラ堆積層が形成されているはずですが,藤野カルデラの場合はそれに対応するものが見当たりません.カルデラ外縁形状はかなり開析されていますので,それらが 400 万年という長い期間の間に浸食で失われた可能性もありますが,溶岩ドームがある程度元の形状を保持しているように見える点とはなんとなく矛盾します.西野層堆積後に陸上でカルデラ形成が起き,その後湛水もしていない(=堆積域になっていない)ということなのでしょうか?
どうも,よく分からないことばかりなのですが...いずれにせよ藤野三山という札幌市民にとって身近な山に着目した結果,興味深い火山地質学的現象が我々の眼前に存在していることに気づくことができました.
南区藤野から定山渓方面に国道 230号線を走り,簾舞(みすまい)を過ぎた頃から右前方に鋭い稜線を持った山が見えてきます.八剣山(はっけんざん)です.
札幌市民にはお馴染みの山ですが,地理院地図等には正式名称として観音岩山の名前で記されており,八剣山は括弧付きの “副名称” となっています.そのへんの由来は分かりませんが,私を含めて札幌市民には八剣山の山名が一般的ではないかと思われます.
南側から見た八剣山.焦点距離 120 mm で撮影した2枚を合成.豊滝除雪ステーションから,2022年8月撮影.
豊滝付近まで来ると,八剣山の裏(南西)側が見えてきますが,こちらは鋭い岩峰とむき出しの青黒い岩肌が,ほかには見られないような風景を作り出しています(上写真).
この写真は豊滝除雪ステーションからのビューですが,八剣山にかなり近いので下から見上げたようなパースが付いています.
八剣山の季節.上:焦点距離 200 mm.2022年9月撮影.下:焦点距離 250 mm.2025年11月撮影.いずれも小金湯さくらの森から.
八剣山のベスト・ビューポイントは,おそらく『小金湯さくらの森』でしょう.ここからは,遮るものなく八剣山をほぼ真正面から見ることができます(右写真).
八剣山の岩峰の下は深い広葉樹林になっていますので,季節に応じたカラフルな風景を楽しむことができます.
岩峰はナイフエッジというのか,鋸の刃のようになっており,その岩壁には縦方向に大きな割れ目が入っており,迫力があります.
岩峰のほぼ中央に見える最高点ピークが八剣山の山頂で,その標高は 498 m です.南側ふもとの段丘面の標高が 195 m 前後ですので,比高は約 300 m ということになります.段丘面の縁から山頂までの水平距離は約 500 m で,平均傾斜はなんと 30度にもなります.八剣山の際立った険しさが分かると思います.
八剣山ピーク.焦点距離 400 mm で撮影した一部をクロップしたもの.小金湯さくらの森から 2024年11月撮影.
左の写真は,八剣山の山頂の望遠写真です.山頂には二人の登山者が立っていますが,見ていると恐ろしくなるような絶壁の傾斜と高さです.
八剣山は札幌近郊でポピュラーな登山対象で,日曜日にその写真を撮ると,たいがい登山者の姿が写り込んでいます.
しかし,滑落などの事故が多発する危険地帯であることも事実で,2016-2020 年の間だけでなんと4件の死亡事故が起きているそうです.つまり,毎年誰かが亡くなっている...このページにも注意喚起があります.
神威岳.左奥の平らな稜線は烏帽子岳.焦点距離 200 mm.小金湯さくらの森から 2024年11月撮影.
神威岳のクローズアップ.焦点距離 600 mm.小金湯さくらの森から 2024年11月撮影.
八剣山を見たその目でちょっと左に振り返ると,右写真のようなかなり異様な山容のピークというか,“巨大岩塊” が山中に見えます.神威岳(かむいだけ)です.その左奥に見えているなだらかな稜線は烏帽子岳(えぼしだけ)ですが,これについては後でまた触れます.
神威岳(983 m)は異様かつ特徴的な形状を持ちますが,その印象から私は “定山渓デビルズタワー” と勝手に呼んでいます.
右のクローズアップ写真から遠望でも分かるように,神威岳山頂は堅硬な岩体からなり,頂部は平坦になっていますので,その岩体はほぼ水平な層状構造を持っているものと考えられます.特に岩体の向かって右側では,垂直に近い割れ目(・節理)が目立ちます.
頂上下部は “ハカマ状” になっていて,岩体の崩落物が崩積・崖錐状になっています.その下位にはちょっと見た目には露岩がなく,どのような岩体からなるものかは不明です.これについては後述します.
デビルズ・タワー.アメリカ・ワイオミング州.Wikipedia による.Colin.faulkingham 撮影.
デビルズ・タワー(Devil's Tower)というのは,スピルバーグの超有名な『未知との遭遇』を見た方ならご存知と思いますが,アメリカ・ワイオミング州にある有名な “山” です.見たとおり,柱状節理の発達した円柱状の火山岩体からなるものです.Wikipedia によると,この岩体は三畳紀の陸成砂岩層に貫入したもので,その年代は古第三紀始新世と言われています.
このような柱状の火山岩体は,火山岩頸(volcanic neck)と呼ばれます.それについては,私の大好きな宮沢賢治の童話(?)の中に実に印象的な解説がありますので,下に引用しておきます.
宮沢賢治『楢ノ木大学士の野宿』(1934)より): 諸君、手っ取り早く云ふならば、岩頸といふのは、地殻から一寸頸を出した太い岩石の棒である。…(中略)… どうしてそんな変なものができるかといふなら、そいつは蓋し簡単だ。えゝ、こゝに一つの火山がある。熔岩を流す。その熔岩は地殻の深いところから太い棒になってのぼって来る。火山がだんだん衰へて、その腹の中まで冷えてしまふ。熔岩の棒もかたまってしまふ。それから火山は永い間に空気や水のために、だんだん崩れる。たうたう削られてへらされて、しまひには上の方がすっかり無くなって、前のかたまった熔岩の棒だけが、やっと残るといふあんばいだ。…(中略)… それが岩頸だ。
で...私は神威岳のその山容から,それが火山岩頸であると思い込み,長くそう誤解していました.お恥ずかしい話で,宮沢賢治にも申し訳ないです.それについては次の項で詳しく書きます.
右に,札幌周辺のいくつかのロケーションから見た神威岳の遠望写真を示します.
江別市東野幌から見た神威岳.焦点距離 130 mm.2022年7月撮影.
まず,江別市東野幌から見た超平坦な野幌丘陵を前景とした神威岳.今は亡き北海道百年記念塔の向こうに神威岳の特徴的なアタマが見えています.その右側に烏帽子岳(1109.4 m)がはっきり見えていますが,この角度から見ると,なぜこのピークが “烏帽子” 岳と呼ばれているかが分かると思います.
北海道大学理学部6号館から見た神威岳.焦点距離 110 mm.2005年4月撮影.
次が,札幌市街からということで,北海道大学理学部6号館10階(私の昔の勤務先)から百松沢山の左に見える神威岳.札幌のビル街・大倉山ジャンプ場の向こうというビューが印象的です.この角度では烏帽子岳は稜線に隠れているようです.札幌市街の西方が基本的には旧火山地帯であるということが実感できる風景です.左に見える 237 m ピークのようなドーム状の火山地形は,札幌市民におなじみの三角山や円山と同じ性格のものでしょう.
南区滝野霊園から見た神威岳.焦点距離 120 mm.2024年10月撮影.
最後が,南東側からのビューです.この角度では,神威岳は烏帽子岳のピークの左手前に重なっていて,特に積雪期でないとちょっと見には気づきません.写真右側の雲の下に百松沢山が見えています.
増毛-樺戸山地が実は札幌からも良く見えているというのは,『あの白い山は何かな?』という程度で私は今まであまり意識していませんでした.
下のパノラマ写真は,札幌市街の西端部,西区宮の森の三角山東麓にある某施設の4階サンルームから見たものです.なんと言っても,札幌市街(琴似方面)のモダンなビル風景との対比がファンタスティックです.こんな写真が撮れたのは初めてなのですが,もちろんまともなカメラなど持っていなかったため,バッグの中にあったコンパクトデジで撮ったものです.ピクセル等倍で見るとその画質は悲惨ですが,こうやって縮小して見る分には素晴らしい.
札幌市西区宮の森から見た増毛山地.焦点距離 250 mm で撮影した4枚を合成.2025年3月撮影.
この景観を見てやはり驚くのは,見えている最高ピークが『暑寒別岳』(1492 m)であるということです.なにしろ撮影位置からの直線距離は 75 km もあるのですから.浜益岳周辺の見え方はある意味予想通りでした.写真右側にはカシミール3Dで確認してみると “別狩(べっかり)岳” がなんと二つあります.最初はカシミール3Dのデータバグかと思ったのですが,確認してみたらたしかにその通りでした.知らなかったです.二つの別狩岳の間が厚田川です.
この風景の右側には樺戸山地が見えるはずなのですが,この時は降雪の影響か見えていませんでした.さらに右側には芦別岳-夕張岳があり,それは辛うじて見えていました.
実は私の住んでいる札幌南東端地域でも,視程の良いときには驚くような見え方でこの山地が見えます.もちろん以前から気づいてはいたのですが,なにしろ住宅地の中だし季節的な限定もあり,なかなか捉えることができませんでした.下の写真は最近やっとゲットしたもので,暑寒別岳とその左の増毛山地です.
札幌市清田区真栄から見た増毛山地.焦点距離 420 mm で撮影した3枚を合成.2025年4月撮影.
一番右の最高ピークが暑寒別岳で,撮影地点からの直線距離は約 82 km(!)です.その右の南暑寒別岳は残念ながら丘に隠れて見えませんでした.
羊蹄山が札幌周辺(の平地)からも見える可能性があることは このページ に詳しく述べています.下にあげたのは,その景観シミュレーションです.しかし,まだ実際にこの景観を確認できたわけではなく,したがって写真もありません. こんな話 もありますので(写真は無し),見えることは見えるんでしょうけど.もっと探ってみたら, こんなの もありました.写真は微妙すぎてよく分かりませんが.
これは,このアーティクルのそもそもの発端にもなっているものなのですが...私自身は何度も藻岩山に登っているというのに,なんの記憶も記録もありません.愛別岳~旭岳~化雲岳~トムラウシ山~美瑛岳~十勝岳~富良野岳までほぼ全部見えるはずなのですから,自分としてはこの景観シミュレーションを実証する写真は絶対にゲットしたいところです.昨今の黄砂・PM2.5 による慢性的な視程不良でなかなか難しいところではありますが.
※ これまでこのアーティクル中にあった,札幌から見える山以外の『道内の山々の風景』を分離し,他のいくつかの題材と合わせて 別アーティクル として公開しました.ただし,まだまだ工事中で部分公開です.いつ完成するかは,分かりません.
(2024/12/02)