山々の風景(道内編)
川村信人(札幌市清田区在住)
このページは,『札幌周辺から見える山々』からスピンアウトしたものです.札幌以外のアイテムは付録みたいな感じで入れていたのですが,あれこれやっているうちにそれが増えていき...結局別ページにまとめることにしました.内容的には,むしろこちらが本家とも言うべきものです.
なお『道内編』とタイトルされていますが,道外や海外の山々編が追加されることはおそらく未来永劫無いでしょう.
なぜ私がこれほど山々にこだわっているかというと...あちこちに書いているのでくどいですが,言うまでもなく『山は例外なく地質プロセスで形成される』ものだからです.そういう観点で,札幌の山々ページでは意識的に(?)省いた『地質学的背景』も,必要十分の範囲ですが加えていきたいと思います.
以下では,私がこれまで遭遇した北海道の山々とその写真を紹介していきます.ただし,これらのほとんどがそうなのですが,あらかじめこういうページに紹介するつもりで撮影したものではないので,中途半端なものになっているものもあります.気持ちだけで実際の写真がまだゲットできていないものも多いですが,それらは Under Planning アイコン付きで注記しています.
下の写真は私の持っている唯一の(!)日高山脈の神々しい姿を捉えた写真です.日高海岸側・新ひだか町三石からの景観ですが,日高山脈中央部から南部にかけての部分が見えています.晩秋~初冬初冠雪の日高山脈の白さが秋の青空に映えて鮮烈です.
マウスオーバーで山名を示しますが,日高山脈ばかりか山一般に詳しくない私ですので,間違っているかもしれません.特にヤオロマップ岳から 1839峰のあたりはピークの前後関係が複雑で,なかなか判断が難しいです.“1550 m ピーク?” としたものの後ろ側にコイカクシュサツナイ岳が隠れているようです.
日高山脈は,北海道の中央南部に南北方向に伸びる北海道の “脊梁” です.日高山脈は火山の連なりではありません.1,500 万年前頃(新第三紀中新世)から起こったプレート衝突により形成が始まり,北海道の西半分に千島弧の前側半分(前弧)が東から衝突することによって形成された『衝突山脈』です(例えば;木村,1985).
その上昇速度は 0.25 cm/y と見積もられています.非常に微小な数字で,その経過は人間の眼には見えません.しかし,それがわずか 100 万年続くだけで 2,500 m となります.
この衝突の影響は日高山脈の前面(札幌側)にも及び,夕張山地や馬追丘陵さらには野幌丘陵などが形成され(図中の赤点線),それに伴う活断層の発達も知られています.
木村 学(1985)白亜紀北海道の沈み込み様式.科学,55,24-31.
地球科学的にも重要な意味を持ち,さらに最近は国立公園にも指定されている北海道の脊梁・日高山脈ですが,不思議なことに私自身はそれを捉えた写真をほとんど持っていません.一つには,日高山脈の西(=札幌)側には,東側の十勝平野のような隣接した広い平野部がないため,間近に一望できるロケーションがほとんどないことがあげられます.
下に示したのは,日高山脈東側からの代表的なビューポイントである美蔓(びまん)パノラマパークから見た日高山脈の景観図です.このポイントは私は何度か訪れているのですが,観光なので日高山脈の姿をきっちり捉えるということが頭になく,単発写真は撮っていますが(右写真),少なくともその名の通りのパノラマビューはまだゲットしていません.
しかし美蔓から見る日高山脈は,景観図を見るとお分かりのように,その北半部(いわゆる北部日高)に過ぎません.南部日高のパノラマビューをゲットできる場所はいろいろ探索しているのですが,まだ見通しが立っていません.帯広市街地や更別村あたりが有力なのかも?
いずれにせよ,残雪あり・午前中早くとか条件が多くて成算はあまりないのですが,これからの話ということになります.
ついでに,ちょっと off-topic な感じもするのですが,日高山脈の南端ってどうなっているのでしょう? 下にあげたのは,あまりに有名な観光スポット・襟裳岬の突端付近から見た日高山脈の南端部です.豊似岳(1,105 m)が事実上の日高山脈の南端峰というところでしょう.
『襟裳岬は日高山脈が太平洋に没するところ』といった感じで一般に時々誤解されることがあるのですが,この写真で実感できるように,襟裳岬は日高山脈の南端ではありません.地質関係者なら誰でも知っていることですが...私はある道路トンネル関係の見学会でこの話を軽くしたところ,道外の工学屋さんから “そうだったの!(≒ 地質屋の見方は独特だね?!)” とすごく感心されてしまい,逆に驚いたことがあります.
右の Google Earth 画像は,襟裳岬南方上空から北を俯瞰したものです.日高山脈の主稜線は広尾の西方付近から東南方向へ伸びており,そこから分岐した稜線が豊似岳へと続いています.
豊似岳の南麓部には,北西-南東に伸びる大きな断層があり,日高山脈を構成する日高深成・変成岩類はその断層で切断され南側の日高累層群と接しています.襟裳岬付近には,さらに北北西-南南東方向の断層があって,その北西側に古第三系襟裳層が分布しています.
この俯瞰図で見ると,日高山脈は帯広西方で大きく折れ曲がっているように見えます.それは,高高度俯瞰により強調されたものですが,実際に日高山脈は西方に張り出した弧状形態を持つ山脈です.この弧状形態は,千島弧の本州弧への衝突によって形成されたと考えられます.
日高山脈の南部を切断する上記の断層(群)は,5万分の1『幌泉』図幅では “衝上断層” とされていますが,その断面図でも示されているように高角北傾斜の逆断層です.ただし,その垂直変位はそれほど大きなものとは考えられません.Kusunoki and Kimura (1998) は詳細な岩石変形構造の検討から横ずれセンスの顕著な変形を明らかにしており,基本的には衝突に関連した横ずれ断層と考えるのが妥当なところでしょう.
Kusunoki, K. and Kimura, G., 1998, Collision and extrusion at the Kuril-Japan arc junction. Tectonics, 17, 843-858.
※※ この特徴的な山系については『夕張岳百景』で余すことなく紹介していますので,
興味のある方は是非そちらをご覧ください.※※
とある出張の帰りに八雲付近の高速道を走っていて,目の前に見えた神々しい山々の姿にはかなり驚きました.今まで何度も走っているところですが,不思議なことにその山々に気づいたのは今回が初めてでした.何が見えたかというと,下のパノラマのようなものです.いったいこれはどこの山を見ているのか...北に走っていると思い込んでいたので,え?八雲の北にこんな山々が?と思いました.
とりあえず高速を途中下車してあちこち走り回り,三か所ほどビューポイントを見つけ撮影しました.持っていたのがコンパクト・デジカメしかなかったので画質はいまいちでしたが,25 - 250 mm 相当の高倍率ズームデジカメだったので,なんとか撮れました.
札幌に帰ってカシミール3Dで景観シミュレーションを行い,自分の完璧な勘違いに気づきました.これは八雲の西方に位置する,日本海側との境界山地だったのです.
写真中央から右に見えるのが,遊楽部(ゆうらっぷ)岳(別名・見市岳:1,277 m)を中心とした山塊です.左に冷水(ひやみず)岳(1,175 m),右に太櫓(ふとろ)岳(1,053.6 m)が鎮座しています.冷水岳のすぐ右側には白水岳(1,136 m)というピークがあるはずなのですが,手前のピークで隠されているのかよく分かりません.
なお,ネットであれこれ情報を調べていて,この山塊を『道南アルプス』と呼んでいる山屋さんがいることが分かりました.趣味は違っても感じることは同じなんだなと思います.
“道南アルプス” の左側には,ピークの無い部分を挟んで三角山,その左奥に特徴的な山容の雄鉾(おぼこ)岳が見えています.三角山の右側に日本海側へのパスである雲石(うんせき)峠があります.
雄鉾岳は,なんでこんなに鋭い岩塔状なのか?と地質図で調べてみましたが,相沼火山岩類(中新世~鮮新世)という道南のどこにでもありそうな安山岩質火山岩のようで,ちょっと不思議です.もしかすると,フィーダー・ダイクのようなものが見えているのかもしれません.
右写真は,中央に遊楽部岳を見た望遠写真です.撮影場所は上のパノラマ写真撮影場所から少し西にあってしかも標高が高くなっており,ピークの見え方がだいぶ異なっています.遊楽部岳の右下に見えるこんもりとしたピークがペンケ岳です.いつも思うのですが,ちょっとしたビューポイントの移動でこんなにも見え方が変わってくるのかと驚きます.
それにしても道南アルプス,なかなかに雰囲気のある山塊です.気に入りました...だけではなく,実はこの山塊は地質学的にもちょっと特徴というか,意味のある山塊なのです.以下では,それについて説明します.
左は,産総研地質Navi による八雲から日本海側にかけての地質概略図です.遊楽部岳を含む『道南アルプス』は,分布幅 10 km を越える前期白亜紀花崗岩プルトンの分布地帯です.プルトンの内部や北西側には,プルトンの貫入母岩であるジュラ紀付加体コンプレックスが存在し,それらの全体が新第三紀の地層によって周囲を囲まれ不整合関係で覆われています.5万分の1地質図幅『遊楽部岳』『久遠』では,この部分を『遊楽部岳ドーム』と呼んでいます.
つまり遊楽部岳を中心とする道南アルプスは,渡島半島の地質学的基盤である約 1 ~ 1.5 億年前の古い地質体(渡島帯)の上昇・隆起によって造られた遊楽部岳ドームの山塊であるということになります.この山塊の隆起は,明確な根拠はないのですが,現在も続いている(あるいは,つい最近まで続いていた)可能性があります.
“ドーム構造” とは,基本的に地層(・群)の変形構造の一つで,直線的な軸を持って地層が折れ曲がる “褶曲” とは異なり,地層がある点を中心として盛り上がって形成される構造です(左図).一般にドーム構造は,地層の下位にある地質体が上昇・隆起することによって形成されるものですが,世界的には岩塩層の浮力上昇によって形成される岩塩ドームが有名です.岩塩ドームは日本列島には存在しません.
地層がドーム構造を持っていてそれが削剥されると,地質図上での分布形態は理想的には同心円状になります.上昇地質体まで削剥が及べば,それを地層が取り囲んだ分布となります.これが現在の遊楽部岳ドームの状態です.
渡島半島における新第三紀以前の古期地質体(花崗岩プルトン+ジュラ紀付加体)の分布を右図に示します.すぐに分かるように,その分布は非常に狭くて散在的なものです.前期白亜紀花崗岩プルトンの分布は,渡島半島北部(今金・太櫓・遊楽部地域)で規模が非常に大きいという特徴があります.遊楽部岳ドームはその一つですが,それが何を意味するのかは不明です.
これら新第三系中の古期基盤岩の分布は,おそらく日本海のオープン・拡大の時期(15 Ma 以降?)にこの地域に発生した小規模な陥没盆地群の発達と関連があるものと考えられます.それに関しては,当然詳細な研究があると思いますが...私はまったくフォローできていませんので,このへんにしておきます.
厚田・石狩海岸付近から石狩湾をはさんで見ると,海の向こうに遠く見えるものなので,なかなかそそられるものがあります.午後になって逆光になると海面上ということもあり haze で視程が厳しくなるので,冬季の午前中しかないのかなと思われます.
先日函館に出張したのですが,その行き帰りに見た噴火湾(内浦湾)周辺の山々の景観は,いまさらながら非常に印象的なものでした.帰札してさっそくカシミール3Dでシミュレーションしてみると “そうだったのか!” がゾロゾロと.代表的なビューポイントはおそらく北東・南西側に二つあります.
下にあげたのは後者で,八雲町の『噴火湾パノラマパーク』(公式認定ビューポイント?!)からのものです.山名がごちゃついてますが,望遠設定でそれぞれ確認しています.左側は渡島半島日本海側の狩場山,中央にはニセコ~羊蹄山~洞爺,右側は室蘭までがすべて見えています.その後ろには,余市岳~無意根山~札幌岳の札幌西方山地と恵庭岳(!)も頂上だけが辛うじて見えます.
反対側(有珠山SA)から見た景観も,羊蹄山~狩場山~駒ヶ岳から恵山までが見えており,壮大なものです.もちろん実際には視程が必要なので,それらの視認や写真撮影は,秋~冬季の好天時でそれぞれ午前早くと午後遅くに限られるでしょう.
しかしなにしろ,ビューポイントが札幌から遠いというのが最大のネックです.今回は天候とスケジュールの問題で写真は撮れませんでした.ということで,成算はまったく無いのですが.