『まぼろしの怪獣』

川村信人(北海道総合地質学研究センター・札幌市清田区在住)

たかしよいち作:まぼろしの怪獣 -デスモスチルス発見物語

 たかしよいち(高士 与市,1928-2018年)さんは児童文学者で,考古学・古生物学を題材にしたものをはじめとした膨大な著作を現している方です.


『まぼろしの怪獣』(第1刷)の箱装丁表紙.なお,出版物表紙のウェブ掲載は,発行者:偕成社の著作権ポリシーにより許諾されている.

 たかしよいちさんのデスモスチルスに関する著作『まぼろしの怪獣-デスモスチルス発見物語』(解説:長谷川善和 偕成社刊:1971,1984年)の存在については大阪市立自然史博物館の田中嘉寛氏からご教示いただきました.この著作を以降,『まぼろしの怪獣』と略記します.


※ 私が当初札幌市立図書館から借り出した『まぼろしの怪獣』は,1984年の11刷版でした.白いハードカバー本ですが,別装丁のカバーがかかっています.カバーは図書館によってテープで厳重に固定されていました.
その後 Amazon古書から中古本を購入してみると,1971年の初刷本でした.こちらは立派な箱入りで,その装丁は 1984年本のカバーとほぼ同じです.ハードカバーの装丁をやっと見ることができましたが,外国辞書風のしゃれたもので驚きました.装丁のクレジットは “AD沢田重隆・D坂野豊” となっていますが,AD・D の意味は不明です.D は Designer なんでしょうけど...
なお初刷本は,『少年少女世界のノンフィクション』というシリーズの一部になっているようで,〈27〉という連番が振られています.11刷までの間のどこかで独立したということのようです.


 『まぼろしの怪獣』は,児童向けのドキュメンタリーということで,最初は『おそらく既存の記事を題材にまとめたものだろう』程度に私は考えていました.しかし,それを図書館で借り出して表紙を開いてみて,正直驚きました.既存記事等には書かれていないことが満載だったのです.おそらく関係者に直接取材し資料の提供を受けたものではないかと考えられます.また挿入写真にも,私が初めて見るものが含まれていました(後述).

 本の前書きには,写真・資料提供者として橋本 亘さんの名前があります.発掘参加者で名前があるのは橋本さん(2000年没)だけですし,他の参加者で1971年当時御存命だったのは根本 要さんだけです.増子さんは...不明ですが.
 これらのことから,あくまでも私の推測ですが,『まぼろしの怪獣』の樺太デスモスチルス発掘に関する文章内容は,既存記事(長尾,1934;根本,1936)等に加えて,おそらく橋本 亘さんへの取材に基づき,写真も橋本さんがすべて提供されたものではないかと考えています.


新たに分かった興味深いこと

 『まぼろしの怪獣』に書かれていることで興味深いことはたくさんあります.それらについては,ぜひ原本を参照していただきたいのですが,既に絶版となっていますので,最寄りの図書館で借り出し閲覧するか,古本屋(Amazon に在庫あり)で購入する必要があります.列挙してみると,以下のようなものです.


・1933年5月に工藤政治氏によって長尾教授のもとに持ち込まれたデスモスチルス頭骨は,長尾(1934)によると “或価格” で購入されたが,その値段は『50円(3万円相当)』であった.思ったよりもはるかに安い...

※ もしこれが事実とすると,工藤さんという方は樺太から重い頭骨(少なくとも 20-30 kg?!)を持って,自費ではるばる札幌まで来られたわけですから,こういう化石資料に対する一定の見識を持っておられた方だったのではないかと推察されます.

・頭骨が持ち込まれた時,たまたま東北大学の矢部長克教授が講義で北大に来ていた.矢部教授は,その頭骨を見て古生物地理的なコメントを述べている.

・初雪沢四号提は “テッポウ堤” と呼ばれる木材流送施設の一つであった.

・1933年10月の発掘の際には,発見者(・持込者)の工藤氏も参加・同行していた.

※ このことは,長尾(1934)にも,また長尾ノートの記録にも記述されていません.『まぼろしの怪獣』の前書きには橋本 亘さんが資料提供者として載っているだけですので,このソースが橋本さんへの取材によるものだとすると,橋本さんは 1933年発掘には参加していませんので伝聞ということになります.そうでないとすると,1933年発掘参加者の多くは 1971年当時既に他界されており,不明なのは増子さんだけですが情報の出所と考えるのは根拠がありません.そう考えると,これは橋本さんからの伝聞情報なのか,たかしよいち さんの “文学的想像・創造” によるものなのか,あるいは私の知らない記事が別にあるのか...

・1933年10月11日,初雪沢に初めて立ち入った一行はそのまま “人夫小屋” (本編で造材小屋と書いているもの)に泊まっている.

・1934年9月の発掘には,長尾先生のところの学生の “大杉さん” も加わるはずであったが,急病で参加をキャンセルした.

・橋本 亘さんの参加は『自費』(!)であった.長尾教授は,自費なら参加を認める,ということだったらしい.思ったより財布の紐が...

・大岩塊を真っ二つに割ったのは,このために同行していた “石屋” の宮本さんであった.

・大石助教授は,引き揚げ装置のチェーンに掴まってとんぼ返りをうったり,ダジャレを言うような茶目っ気のある性格の人であった.シャイな人ではなかったのか...

・長尾教授が初雪沢の現地でデスモスチルスの想像図をノートに描き,根本さんがそれを参考にして,その場で拾った白樺の幹で記念スタンプ(!)を作った(後述).

・発掘の帰路,豊原に新聞記者が待ち構えていて,取材インタビューを受けた.

・発掘終了後,北大で岩塊から取り出されクリーニングされた骨格を組み立てるのに,“標本屋”(=北海標本社剥製部) の『信田修治郎』氏が従事した.信田氏は,“ゾウの花子” で有名な方である.デスモスチルス骨格復元に関しても長尾教授と意見を闘わせたらしい.その経緯は『修べエ回想記』(北苑社)として出版されているらしいが,まだ確認していない.なお,信田氏の起用は,“教室小使” の橋本氏から進言・推薦されたものだったという.


なお,発掘に同行した増子新太郎さんの身分は『研究室の研究員』と記されていますが,増子さんは地鉱教室付属石工室の技官でした.長尾(1934)に “教室員”(=教室のメンバー)と書かれているので,おそらくそれを読み誤ったものと思われます.もう一つ些細なことかもしれませんが,この本の中では増子さんはすべて “益子” と誤記されています.


興味深い写真

 『まぼろしの怪獣』には,他の記事論文には見られない数多くの写真が掲載されています.樺太産デスモスチルス関連の写真は,実にグラビアページに5枚・本文中に20枚もあります.その中には,本編で紹介した北大博物館所蔵の発掘写真も当然含まれていますが,それ以外の少なくとも私は見たことのないものがたくさんありました.それらの内訳を以下に示します.

・長尾教授・大石助教授のポートレイト:3枚.(含む:『10.岩塊の上で』のクロップ写真)

・橋本 亘氏のポートレイト:1枚.

・初雪沢風景:2枚.(含む:『06.団球と露頭』

・参加者集合写真:2枚.

・初雪沢河原:1枚.

・造材小屋:1枚.(『04.造材小屋』

・造材小屋の中の発掘隊:2枚.(含む:『05.地質屋達の肖像』

・四号提関連:6枚.(含む:『02.四号提』のクロップ)

・大岩塊吊り上げ・小割:6枚.(含む:『08.岩塊引き上げ』

・大岩塊運搬:1枚.

・記念スタンプ:1枚.


 この充実度は驚きです.他の論文・記事では見られない貴重な写真が満載で,特に四号提の “改造” や,大岩塊の引き上げから小割の場面などは圧巻です.139ページの『発掘隊の面々』は “タコ部屋風” で,野外地質屋として苦笑してしまいます.右の二人が根本・増子氏,その左で居眠りしているのは大石助教授,左端で半分隠れている眼鏡の人物が橋本さんでしょうか.となるとこの写真の撮影者は長尾教授自身の可能性が.
 惜しむらくは原版を見たいものだと...橋本さんがこれらのすべてを保存していたのでしょうか? それは今どこにあるのか? もしどこかにオープンな形で保存されているとしたら,ぜひ閲覧したいものだと切に思います.これは一般論ですが,特にデジタル化以前の(&主要学術雑誌に掲載されていない)さまざまな地質資料の保存(・オープンアクセス)の現状を考えると,少し悲しくなります.愚痴はこのくらいにします.


※ 『まぼろしの怪獣』初刷本(1971年)135ページには『発掘隊に参加した学生の橋本亘さん』の写真がありますが,実際にはこの写真は大石助教授のポートレイトです.腕まくりしたラフなシャツ姿で,1934年9月の写真と思われますが,この写真も私は初めて見ました.1984年の第11刷では正しい橋本さんの写真に差し替えられています.


 これらの写真は他の記事や論文には掲載されていない『初見』のものが多く,どれも非常に興味深いものですが,発掘作業に直接関連のない写真の中で,私が特に興味深かったのは,以下の2枚です.

※ この2枚の写真(「まぼろしの怪獣」著たかしよいち 解説長谷川義和 120ページと145ページより)は,出版元の偕成社から無償の掲載許諾を得て掲載しています.記して感謝の意を表します.


『まぼろしの怪獣』120ページに掲載されている,稚内-大泊連絡船上の長尾教授と大石助教授.
『まぼろしの怪獣』145ページに掲載されている,根本 要さんが即興で作ったというデスモスチルス発掘記念スタンプ.

 左写真は,樺太行きの連絡船上の長尾教授と大石助教授のリラックスした記念ショットです.お二人のこういうツーショットは珍しいと思われます.撮影期日・撮影者共に不明です.しかし服装等から判断して,撮影日はおそらく 1934年8月29日,撮影者は根本 要さんと推測されます.
 右写真は,1934年9月の大岩塊発掘後に,長尾教授が気屯の宿(気屯館)で根本さんの質問に反応してノートの切れ端に描いたというデスモスチルスの推測復元図を基に,根本さんが宿の裏で拾ってきた白樺の幹に掘り込んだ “発掘記念スタンプ” です.実に驚くべきものを即興で作ったものだと,根本さんの才能というか遊び心に感心してしまいます.おそらく酒の席で,皆ハイになっていたんだとは思いますけど.


デスモスチルスの想像復元図.Wikipedia (by Nobu Tamura) による.

 ちなみに,デスモスチルスの現在の形態復元図としては,右図のようなものがあります.1933-34 年当時は,デスモスチルスの全体骨格はまだ発見されておらず,それがどのような動物なのか,まったく不明でした.

 『まぼろしの怪獣』に掲載された根本 要氏のスタンプ画像は,発掘当時長尾教授が持っていたデスモスチルスの形態復元についてのイメージが垣間見えるものです.『まぼろしの怪獣』には,”カバとバクの混血児” と表現されています.教授自身による形態復元図は,それ以降の論文・記事のどこにも示されていないと思われますので,唯一無二の貴重な資料となっています.



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