火星の地層学 Mars Geology
川村信人(北海道総合地質学研究センター)
※ 本アーティクルに掲載している NASA の火星探査に関する写真・図は,特に断らない限り,すべて NASA の MARS Exploration Rovers サイトから取得したものです.それらの二次使用は Image Use Policy によって許諾されています.
- はじめに -
このアーティクルは,2004 年の火星地表探査機の着陸に触発されて行った学部生向け講義『火星の地層学』(2005年)の講義ノート(右図:表紙)を基にしたものです.
私はこれにすっかりハマってしまい,自分のブログにも 一つのカテゴリー を作ってしまったくらいです.しかし,当時の地質学関係者でこれに注目した人はなぜか少なく,あまり周りには理解されなかったように思います.『火星は惑星で惑星は天文学』というなんとなくの心理障壁があったのかもしれません.もちろん,探査機を送り込んだ NASA の科学者はそうではありませんでした.下に述べるように,火星地表探査機がその目的を探求するための手法としたのは,地質学そのものだったのです.
私は元々 “天文少年” だったこともあり,そういう障壁がそもそも無かったということかもしれません.中学生のころ小さな天体望遠鏡で見た火星は,赤い小さな単なる球体で,それ以上のものは何も見えませんでした.それがいまや...火星の地質学にハマったのも無理からぬことでしょう.
※ おことわり: 私は 2004 年からマーズ・ローバーズの活動に注目し,2009 年頃までは可能な限りフォローしてきました.それ以降,膨大なデータが蓄積されていますが,その膨大さゆえに私はほとんど系統的にフォローできていません.火星の地形・地質に関する専門的な研究報告で私がフォローできたのは,万分の1にも達しないと思います.したがって,以下に記述することには『とっくにもう分かっている』『とっくにもう否定されている』...等のことを当然含んでいます.
ということで本アーティクルは,この4基の火星地表探査機の仕事の全貌を客観的・系統的に紹介するものではありません.あくまでも自分の興味・地質屋アンテナに合致してフォローできたこと “だけ” を自分なりに咀嚼し,なおかつバイアス付きで紹介するもので,科学的な主張ではありません.あらかじご承知ください.
なお,最近の成果で目についためぼしいものは トピックス ページに単発的にいくつか紹介しています.
“マーズ・ローバーズ(Mars Rovers)” は,2003 年に打ち上げられ 2004 年 1 月に火星表面に着陸して探査を開始した2機の火星地表移動探査機,スピリット(Spirit)とオポチュニティ(Opportunity)に始まります.1ヶ月のうちに2基を打ち上げ,どちらも着陸と探査に成功しています.以下ではこれを勝手に『探査ステージ I 』と呼びます.
その8年後,スピリット・オポチュニティの後継機としてキュリオシティ(Curiosity)が打ち上げられ 2012 年 8 月に無事に着陸し探査を開始しました.スピリットは 2009 年に活動を停止していましたが,オポチュニティはキュリオシティ到着時も活動中で,その活動停止はなんと着陸から 14 年後の 2018 年 6 月のことでした.驚くべき長寿探査機です.その後 2021 年には4機目のパーサビアランス(Perseverance)が興味深いサイトに到着し探査を開始しています.この2機によるのが『探査ステージ II 』です.
※ スピリット・オポチュニティに先立つ 1997 年に,ソジャーナ(Sojourner)という地表移動探査機が着陸しています.これはローバーズの先行実験機とも言うべきものですが,カメラと分析装置を備えています.着陸後3ヶ月で通信途絶によりミッションを終了しています.なお Wikipedia によると探査機の名称はは19世紀の女性人権活動家の名前から取られたとされています.
※ 火星表面に着陸した探査機は,ローバーズが最初ではありません.1976 年に移動能力のないバイキング1号・2号機のランダーがそれぞれ火星に着陸し,写真撮影をはじめ各種のデータ取得を行っています.
これらのローバーズには,探査機自体や搭載機器の種類や性能とかいろいろな違いがありますが,もっとも大きなものは,動力源でしょう.ステージ I の2機は太陽光パネルを使っていましたが,季節的な照度不足期や,火星特有の砂嵐でのダスト被覆によるパネルの発電量不足が大きな問題でした.オポチュニティは後者の原因でミッションを終了しています.ステージ II の2機はそれに対して,プルトニウムを使った原子力電池を搭載しています.その是非を論ずることはここではやめておきますが,ローバーの活動に対する制約を大きく減少させたことは確かです.
・右に示したのは,スピリット・オポチュニティが着陸して探査を開始したころ検索にヒットしてきたウェブページです.CNN.com ニュースサイトの画面のように見えますが,実はよく見ると CNN ではなく,真っ赤な嘘の hoax サイトです.その URL などは忘れたというか,そもそも確認していません.まさか乗っ取られサイトではないと思いますが.
・その内容は,『オポチュニティによって 800 万年前のクジラ化石が火星で発見された』というものです.良くできたフェイクで,私も最初なにこれ?と読んでいたらフェイクであることにやっと気づいた,という.記事に出てくる『カルバート海洋博物館の古生物学学芸員,スティーブン・ゴッドフリー氏』というのは,調べてみると実在の古生物学者で古脊椎動物が専門の研究者です.
・当時は知らなかったのですが,実はこれは一から作ったフェイクではなく,実際の CNN の記事 を改ざんしたもので,元のタイトルは『ハリケーンで出土した古代の化石(Hurricane Unearths Ancient Fossil)』というものでした.このページはアーカイブということで既に形式が変わってしまっていて,その体裁や写真は失われているのですが,使われたクジラ化石写真はおそらくそれに掲載されていたものでしょう.
・つまらないフェイク記事の話なのですが...これを作った “犯人” は,①マーズ・ローバーズの目的(火星の生命探索)をよく知っていて,②それをわざわざフェイクにしてネットに載せるに足る社会的関心が存在することを知っていた,ということになります.ローバーズがその当時の地球科学関係者からどう見えていたかということでしょう.なんとなく地質専攻の学生の仕業?かとも思うんですが...
上にもちょっと触れましたが,単なる(視野の狭い)ローカル地層屋であった私が,なぜこんなにも火星地表探査機に入れ込んでいるのでしょうか? それは一言で言って,この探査機たちが紛れもなく『フロンティアにおける孤独な地質調査者』(右図)だからでしょう.私はフロンティアでの地質調査に従事したことはありませんが,多くの場合 “孤独な地質調査者” でしたから,彼らに共感しないはずがありません.
なおご存じかもしれませんが,火星表面の平均気温は - 40 ~ - 50 度.赤道の夏季最高気温は約 20 度まで上がりますが,夜間は - 70 度以下まで下がるという厳しい世界です.右の図をそういう目で見ると,ますます入れ込んでしまいます.
アポロ宇宙船で月面に降り立った宇宙飛行士たちが高度な地質調査の訓練を受けていたというのは有名な(?)話ですが,火星地表探査車は『地質調査者』であるばかりではなく,われわれの夢である “その場分析装置” を備えた『移動地質研究室』でもあるわけです.つまりヒーローです.
なお,地質屋が必ず持っていて探査車に無いのはハンマーとクリノメータですが...ハンマーはこの探査車に搭載するには力学的に無理があるように見え,掘削ドリルに置き換わっています.クリノメータはというと,テクトニズムが無く地層はすべてほぼ水平層の火星では,面の姿勢を測定する必要は無いと言ってよいでしょう.
- 火星の水路地形 -
※ このアーティクルで記述する距離・標高は,カシミール3D(Mars Global Surveyor による地形測距データ:1/128解像度)・Google Earth: Mars View・ Global CTX Mosaic of Mars の測定ツールを使用したものです.ただし前二者は解像度が低く,小地形についてはすべて Global CTX Mosaic of Mars を使用しています.
火星には(少なくとも現在は)海水面が存在しないので,地球のように標高を海抜高度として表現することはできません.火星の標高基準面としてはジオイド相当面が用いられているようですが,不可視な面を基準としているせいか,その標高値は我々地球人にはかなりの違和感があります.標高の絶対値はここでは無意味なので使用せず,すべて “標高差” のみを記述しています.
2機のステージⅠローバーズの着陸と成果を述べる前に,火星表面で認識される大規模な水路地形について触れておきたいと思います.
右図は,MARS Global Surveyor の取得した DEM データを可視化したもの です.左はクレーターに流入するもの,右は平原上を網状流路を形成して流下するものです.いずれも長さは 600 km あるいはそれ以上という非常に大規模なものです.
このような火星の水路地形が認識されたのは,火星周回衛星が火星表面の標高データ(DEM)を取得し,精細な地表写真を撮影し始めたためでしょう.右の図は前者の大きな成果です.
水路地形というからには,それを形成したのは『流水』です.現在の眼で見るとそれは当然すぎることのようですが,スピリット・オポチュニティが着陸した 2004 年当時には,このような流路地形は『固体二酸化炭素(ドライ・アイス)粒子を含んだ風による浸食』でも形成されうるので水路地形かどうかは分からない(!)という無理筋の考え(出典は失念)もあったと記憶します.オッカムの剃刀に反するように思いますが.
左図は,Mars Global Surveyor や Mars Odyssey によって撮影された Mars Digital Image Model 2.1 (MDIM) を 可視化したもの で,上の図に示したグセフ・クレーターに流入する水路地形の詳細です.
水路の幅はもっとも広いところで 17 km,水路底部の深さは 1,500 m 以上で最大 2,000 m に達します.全長は直線距離で 670 km 以上あり,源流部と流入部の高低差は 2,700 m,まさに火星のグランド・キャニオンです.
この “グセフ水路” は,地球上の河川峡谷とほとんど同じ形態・構造を持っていることが分かります.既存の隕石クレーターの侵食・段丘状地形・中州(bar)構造などです.グセフ・クレーターへの流入部には,デルタのような堆積体の形成は認められません.源流部はクレーター平原の中で自然に分岐尖滅しており,特段の地形的特徴はありません.
面白いのは,水路を埋積する堆積物上に新規の隕石クレーターが見られることです.しかしその数は非常に少なく,確認できる限り4~5個です.また水路地形の幅全体を破壊する規模のものはありません.水路の形成はクレーターの主要な形成時期の後ということになるでしょう.
着陸地点はメリディアニ平原(Meridiani Planum)と呼ばれる広大な平坦地で,大小の隕石クレーターが散在する場所です.
下のパノラマ写真は,エンデュランス・クレーター(Endurance Crater)と呼ばれる小さな隕石クレーターで,オポチュニティ着陸地点のすぐそばにあります.直径は 130 m,深さは 20 m 程度の最小クラスのクレーターです.
オポチュニティは,このクレーターの内部に入り込み,おそらく火星探査史上最大の発見をしました.『地層の発見』です.地球以外の惑星で地層が発見されたのは(たぶん)これが最初です.
右の写真は,エンデュランス・クレーターー内壁部の地層露頭を捉えた最初の写真です.この写真を見た時の感動と言うか驚きは忘れることはできません.解像度が非常に低いのですが,640 x 480 ピクセル以外のものを見つけることはできませんでした.最初から(撮影時から)そうなのかは不明です.
この記念すべき露頭は Burns Cliff と名付けられ,さらに詳しく調べられました(右下写真).
露頭の主体は成層した葉理砂岩ですが,公開された写真を見る限りではその粒度はかなり粗く見えます.正確なところは分かりませんが,地層屋としての経験から言うと,おそらく粗粒砂あるいはそれ以上です.葉理は平行葉理で斜交しているところはありません.露頭下部ほど粗粒なように見えますが,撮影された写真での見かけ上のものかもしれません.
この平行葉理砂岩の下位には,明確な不連続面を持って斜交層理砂岩が露出しています(右下写真の下).
露頭上部には,角礫化した砂岩ブロックが集積しています.この部分はおそらく隕石クレーター生成時の衝突(fall-back)堆積物なのではないかと思われるのですが,ネットのどこを見ても Burns Cliff についてそう言っているものが見つからないので,もしかすると単なる風化部(レゴリス)なのかもしれません.
Burns Cliff の地層はその岩相から,当初『火星表面の流水環境を示す堆積物』として注目を集めました.私もそうでしたが,この地層を見て誰しもが『浅海性砂質堆積体』と直感しました.要するに海浜成ということです.そうだとすると,メリディアニ平原は文字通り平原ですから,そこに広い海が過去に存在していた証拠ということになります.これは 2004 年当時十分に衝撃的な発見でした.しかしその後の検討により,現在これは『砂漠成・風成』の堆積物であるということになっています(後述).少しがっかりです.負け惜しみではありませんが,今でも私はこの露頭写真を見ると浅海成砂岩に見えてしまいます.目が曇っているということでしょうか.
※ 2011 年に公開された NASA のこのページ には,Burns Cliff の地層が上位から “過去の流路堆積物(ancient streams)”,“過去の地下水堆積物(ancient groundwater)”,“過去の砂丘堆積物(ancient dunes)” と説明されているのですが,どうなんでしょうか? 最後は別として,前二者はさすがにちょっと意味が分かりません.
なお付け加えると,地球のような地形変動がなく流水浸食も限定的な火星では,隕石クレーターは地表の内部構造を見る一種の『窓』です.これが無かったら,平原の地下に存在する地層の認識は非常に難しかったでしょう.後述する Victoria クレーターもその一つです.実は,探査ステージ II の2機の調査エリア選定はこの制約を抜けたところにあり,非常にクールな探査プランと思われます.
これも,探査ステージ I の初期に我々を驚かせてくれた発見でした.
右の露頭写真は Endurance クレーターの底部の葉理砂岩露頭です.砂岩の中や露頭の上などに『小さな球体』が見えています.右写真下では,露頭上部がすべて砂岩中から風化浸食で抜け出したおびただしい小球体でほとんど覆われています.
これらの写真は,特定の目的によってカラーバランスを自然光下ではないものに処理した “false-color” 画像で,そのため小球体は青く,砂岩は白っぽく見えています.NASA の科学者たちはこれを “blueberry ice cream” という愛称で呼びました.
右下の写真は,オポチュニティ搭載の “顕微鏡カメラ” で露頭表面を撮影したもので,スケールは写真右下に示されています.繊細な葉理を示す砂岩の中に直径 数 mm 以下の小球体が多量に含まれているのが分かります.形態は球体のものもありますが,葉理方向にやや伸びた楕円体状のものも認められます(写真右上).
小球体の鉱物組成はスペクトル分析装置によってすぐに調べられ,赤鉄鉱(hematite: Fe2O3)に富んだものであるとされました.小球体の “実際の色” は分かりませんが,酸化鉄に富んでいるのでおそらく赤褐色~暗褐色なのではないでしょうか?
このブルーベリーの正体は,地球上の地質現象との比較ですぐに明らかになりました.つまり,地球の地層中にもまったく同じものがあったのです.
下写真は,ユタ州などに分布しているジュラ紀風成砂岩層(180 - 190 Ma)ですが,Moqui Marbles(モキのビー玉)あるいは Navajo Berries(ナバホ・ベリー) などと呼ばれる小球体が多量に含まれています.これらは砂岩中に生じた酸化鉄質のコンクリ―ション(concretion)です.
Moqui Marbles の形成は地下水(・地層間隙水)の働きによるものです.KAUSHIK PATOWARY による Moqui Marbles And Martian Blueberries に非常によくまとめられていますので,以下はその記述を基に紹介します.
風成砂岩中には,もともと酸化鉄鉱物の粒子が相当量含まれています.堆積後の砂質堆積物には間隙水が多量に含まれていますが,その化学的状態の変化によってこの鉄分が溶解-沈殿を繰り返し地層中にコンクリ―ションを形成します.ユタ州のジュラ紀風成砂岩層の場合は,季節的な変化で地層中の地下水面が上下することも要因の一つとされています.
火星のブルーベリーとモキのビー玉が同じ過程で生成されたものだとすると,火星の地層中にも多量の間隙水が存在したことになります.モキのビー玉の場合は,その形成は堆積からずっと後の話で,25 Ma(古第三紀末)より古くはないとされています.ブルーベリーの形成時期はもちろん分かっていませんが,アマゾニア代以降は火星の少なくとも地表面からは液体の水は失われているはずですので,それ以前,つまり 30 億年前あるいはそれ以前ということになるでしょう.
ビクトリア・クレーター(Victoria Crater)は,オポチュニティ着陸地点から約 10 km 南に位置する直径 800 m,深さ 70 m の隕石クレーターです(右写真).
クレーターの内部や周囲は風成砂によってほぼ覆われており,クレーター壁は浸食が進みギザギザになっています.この一見雨裂(gully)状の浸食がどのように形成されたのかは不明です.
クレーター壁の Cape St. Vincent と呼ばれる突起部の内壁には,メリディアニ平原に分布する地層がスペクタクルな露頭となって現れています(右下写真).クレーターの深さが 70 m なので,この露頭の高さは少なくとも 数十 m あると判断されます.
この地層は,Hayes et al. (2011) などの詳細な検討によって,砂漠性の風成層であると結論付けられました.
A.G. Hayes, J.P. Grotzinger, L.A. Edgar, S.W. Squyres, W.A. Watters and J. Sohl-Dickstein (2011) Reconstruction of eolian bed forms and paleocurrents from cross-bedded strata at Victoria Crater, Meridiani Planum, Mars. Journal of Geophysical Research: Planets Volume 116, Issue E7.
露頭の大部分は斜交成層砂岩からなり,その上位は砂岩ブロックなどからなる衝突堆積物が覆っています.既に述べたエンデュランス・クレータ Burns Cliff の最上部の角礫化部は衝突堆積物の可能性があると勝手に推測しましたが,それは当たっていたようです.
斜交成層砂岩の最上部 数 m の部分は白く変色しており,衝突以前の地表面の風化帯と考えられます.Hayes et al. (2011) はこの部分を “Diagenetic Banding” と表現していますが,なぜ表層風化ではなく続成によるものとしたのかは不明です.
Hayes らは,この斜交成層砂岩の詳細な記載検討から,他の研究者が示唆した火山性の base surge 堆積物といったものではなく,乾燥した砂丘域で堆積した風成層と結論付けました.
そうなると,当初海浜成と示唆された Burns Cliff の葉理成層砂岩との関係が気になります.私もすべてフォローできていないので分かりませんが,2010 年前後に公表された Hayes 等の研究以来,メリディアニ平原の地層はすべて風成層とするのが一般的な見方のようです.個人的には,そういう見方にはちょっと違和感があります.水付きというだけならば interdune lake でもよいのかもしれませんが,粒度を考えるとやはり海(・湖)浜成層もあるのではないかと感じています.このへんは次のスピリットの項で少し触れたいと思います.
着陸地点は,上述の大規模水路が流入するグセフ・クレーター(Gusev Crater)の内部です.スピリットはオポチュニティよりも1ヶ月ほど早く着陸し,着陸地点も水路が流入していたと考えられるグセフ・クレーターの中という格好のロケーションなのですが,不思議なほど目立った成果物がありません.ネットで検索をかけてもオポチュニティよりも圧倒的に少ないです.なぜなのか no idea です.ミッションも『深い砂にトラップされて動けず終わる』という運の悪いもので,活動期間もオポチュニティの 1/3 です.少し同情と言うか “お前もか” という共感も.
とはいえ,もちろんスピリットの成果がないわけではありません.スピリットは,グセフ・クレーター内部の Home Plate と呼ばれるマウンド状の部分でかなりの調査時間を費やしています.そこを離れるときに撮影したのが右の写真です.繊細な葉理を持ったトラフ型斜交層理砂岩で,おそらくローバーズが撮影した斜交層理の中ではベスト写真の一枚と思われます.
スケールは示されていませんが,散在する破片の大きさなどを見る限りでは,写真の横幅が 数十 cm ~ 1 m 程度と判断されます.したがって,斜交層理のセット厚は薄く,最大で 20 cm 程度と判断されます.
右写真は,地球上の風成層の代表格と思われる Navajo 砂岩層の斜交層理です.セット厚の大きな双方向性の斜交層理が発達します.セット厚は 数 m あるいはそれ以上の大規模斜交層理です.
オポチュニティの項で紹介した通り,火星で発見された斜交層理砂岩層は,風成層と見るのが一般的になっています.おそらくそれはその通りでしょう.しかしスピリットが撮影した斜交層理の写真を見ていると,そのセット厚が薄いのが個人的にはどうも気になります.もちろん風成層にセット厚の制約などはないと思うので,薄いセットがあって何の不思議もないわけですが.
右に示したのは,潮汐チャネルの堆積物中に見られる斜交層理です.スピリット撮影の斜交層理もこれなんでは?...とか言うつもりはありません.しかし,少なくとも風成層以外の堆積物の中にもこういう斜交層理があり,その形態や規模だけでは判断が難しいということではないでしょうか.
これは,今回このアーティクルを書くにあたってスピリットのデータを再確認している時に見つけたものですが,正直非常に驚きました.なにかというと,粗粒砕屑岩層の存在で,2006/01 に公開された NASA のページ の掲載写真に写っています.おそらく公式に火星で粗粒砕屑岩が発見が報告されたのは,このずっと後,後述するキュリオシティによる礫岩層の発見(2013 年)です.
写真の説明には “a range of grain sizes and textures that change from the lower to the upper part of the outcrop.” と書かれており,この粗粒砕屑岩層を認識していたと推察されますが,それ以上の具体的な記述はなく,その後これに触れた記事も見つかりませんでした
この露頭で何が見えているのかというと,最下部にある『粗粒成層砂岩層』です(茶色矢印).上部には繊細な葉理を持つ細粒砂岩層が露出しています.一部低角の斜交層理を持っているように見えます.スケールが不明ですが,下のクローズアップ写真で横幅が 2 m 程度でしょう.
粗粒砂岩の粒度は,写真で判断する限りは極粗粒砂~細礫程度で,リズミックな互層構造を示しています.写真右側では,粗粒砂岩と互層しているのは細粒砂~シルト岩のように見えます.粗粒砂岩層の上位,細粒葉理砂岩層との間には,塊状不淘汰砂岩を挟んでいるようにも見えるのですが(黄色矢印),単なる露頭表面の付着物かもしれません.
この部分の近接写真が公開されていないかと探してみたのですが,見つかりませんでした.詳しく調べるべき対象とはされなかったのかもしれません.可能性としては,これが粗粒砕屑物ではなく,ブルーベリーのような小コンクリ―ションの密集部ということも考えられます.しかし,上で紹介したオポチュニティによるブルーベリーの産状は,層内(strata-bound)ではなく互層中に散在しているように見えるので,ちょっと違う感じがします.
もしこれが粗粒砂岩だとすればですが,このような産状はやはり流水環境下でのいわゆる “水付き” としか思えませ.他の可能性としては,サージ堆積物のようにも見えます.いずれにせよ,このような粗粒な地層のすべてが砂漠成風成層と見るのは無理があるのではないかと考えられます.
キュリオシティは,2機の先輩ローバーズの後継者として,一段と充実した装備で火星表面に降り立ちました.降下地点はゲール・クレーターの内部です.キュリオシティは,ここからクレーターの中央にそびえるシャープ山の中腹を登っていくという驚くべきミッションを遂行していきます.
ゲール・クレーター(Gale Crater)は,直径が約 150 km という大型の隕石クレーターです(右写真).
クレーター底とクレーター壁最高点の高低差は約 2,800 m で,北側のクレーター壁はかなりの程度開析されていて,クレーター外側との境界が不明瞭な部分があります.
クレーターの中央にはシャープ山(後述)がありますが,隕石衝突時のリバウンドによる通常のクレーター中央丘(central peak)とは形状が大きく異なっています.具体的には,クレーターの直径に比べて非常に大きく,斜面も緩傾斜で台地状形態となっています.
下の図はゲール・クレーターの断面図です.シャープ山のボリュームが非常に大きくクレーター底が狭くなっているのと,『シャープ山がクレーター壁よりも高い』ことが特徴です.
ゲール・クレーターの内部および周辺部には,大規模な水路地形が認められます(この項の最初の写真および右写真).
水路には,クレータ壁を侵食して流入するものとシャープ山の北麓を流下するものとが認められます.これらの水路の規模は,幅は 2 km 前後,深さは最大で 数百 m と推定され,長さは少なくとも 数十 km に及びます.
これらの水路が形成された時期は正確には分かりませんが,少なくとも後者はシャープ山が形成された後ということは自明です.これについては,後に別の観点で述べたいと思います.
シャープ山(Mount Sharp: aka Aeolis Mons)は,ゲール・クレーター底部からの標高差が最大で約 5,500 m という高山で,クレーター底から見上げた姿は雄大な景観となっています(上写真).
シャープ山の山容は一見火山のようにも見えますが,シャープ山の最大の特徴はその底部から頂部まで,すべて砕屑性の地層からできているということです(上写真).もちろん地層はほぼ水平層です.
地層は,砂岩と泥岩の互層からなり,その量比の違いによって層序区分が行われています.その層序の少なくとも下部は水成層で,ゲール・クレーターが過去に湛水し “ゲール湖” だった時の湖成層です.上部層準は風成層とされています.
これらの地層はシャープ山のふもとからクレーター底部まで良好に分布・露出しており,キュリオシティによってさまざまな地層学的発見が行われています(後述).
なお,あまり注目されていないようで,詳しい記載報告を見つけることはできませんでしたが,シャープ山の北東麓には巨大な地すべり地形(群)があります(右写真).
少なくとも三つの滑落崖が確認でき,クレーター底に向かって崩積デブリ(地すべり土塊)が流下しています.地すべり3の崩積デブリは三つに分かれてローブ状になっています.通常の地すべりとは異なる何か特有の成因があるのかもしれませんが,no idea です.その手前のクレーター底付近にもデブリ状部がありますが,それに対応する滑落崖が認められず詳細は不明です.
これらの地すべりの規模ですが,滑落崖の最上部はクレーター底から少なくとも 4,600 m の高さにあると思われます.長さは 30 km に達し,平均傾斜は 9 度前後です.それぞれの地すべり幅は 10 km で全体として幅 26 km に及ぶ大規模なものです.
崩積デブリの前面のクレーター底は,色調が周囲に比べて明るく,崩積デブリからの二次堆積物かもしれません.
地すべりの発生を考える上で,重力・地下水圧・地盤物性などが制御パラメーターになりますが,過去の火星で(重力は別として)これらは実際どうだったのでしょう.また氷層の融解といった火星特有の現象が関連している可能性も考えられます.地球上の地すべりとは全然違っているということもあり得ますが,残念ながら私には判断できません.
キュリオシティの探査開始後すぐに,ゲール・クレーターが過去のある時期に湛水して湖となっていたとする考えが提出されました.右図は 2014 年に公開された “ゲール湖(Gale Crater Lake)” の印象的なイメージ・イラストで,そのインパクトによって広く引用されている図です.その後,ゲール湖での堆積作用とシャープ山の形成に関する 興味深いモデル も提出されています.
すでに述べたように,このゲール湖の発達モデルを考える上で重要なポイントは,①シャープ山はすべて水平な地層からできている,②その地層の少なくとも大部分は湖成層である,③シャープ山はクレーター壁よりも高い,④クレーター壁をカットする水路が存在する...等でしょう.
これらのポイントから,自分なりにゲール湖の発達モデルを考えてみました(下図).
このモデルを経時的に説明すると以下のようになります.
1.まず隕石クレーターが形成された.このクレーターに中央丘があったかどうかは定かではないが,クレーターの規模を考えるとあって当然という気がする.実際,シャープ山の下に中央丘が隠れているように描かれているネット記事を見た記憶もある(が思い出せない).
2.クレーターに流水が侵入し湛水が始まった.どこからどのように水が浸入したかは明らかではないが,上に紹介したクレーター壁を浸食して流入する水路を経由したのかもしれない.右の図では水路がクレーター壁の下部を通っているように見えるが,これは断面描画手法の限界?で,実際は『断面部の向こうでクレーター壁を侵食する水路谷』という意味である.
3.湛水域が全体に広がり,広大な湖水域- “ゲール湖” となって湖成層が厚く堆積した.湖の周縁部には比較的粗粒な砂質層が,中央部には distal な細粒泥質層が堆積した.
4.ゲール湖は埋積され,次第に消滅した.湖成層の上位には砂丘成風成層が堆積した.
5.全体に浸食が進行したが,クレーター中央部の浸食量が相対的に小さく,シャープ山が形成された.その際クレーター壁も浸食され,部分的にシャープ山よりも低くなった.
このモデルにおける問題点・不明点は以下の通りです.
① 莫大な砕屑物質はどこからどのようにして供給されたのか?
② いつどのようにして堆積期から浸食期へ移行したのか?
③ 短期間に莫大な浸食量をもたらした営力はなにか? 浸食された物質はどこへ行ってしまったのか?
④ なぜ中央部の浸食量が相対的に小さくシャープ山が形成されたのか?
③ の補足ですが,シャープ山の山腹に流路が形成されているということは,シャープ山を造った主要な浸食は『流水が消滅する以前』に完了していなくてはいけません.つまり,この浸食は現在までの(20 ~ 30億年といった)長い期間にわたって定常的に進行したものではなく,過去の短期間に起きて完了したイベント的なものということになるでしょう.
これらの問題点はいずれも重要ですが,個人的にもっとも気になるのは ① です.ゲール・クレータの周囲を見回しても,少なくとも現在の時点ではこれだけの砕屑物質を供給できる部分(例えば,大規模な火山とか)はありません.クレーター壁がその主要な供給源となり得るとは思えません.そういう言った観点で周囲の地形を見ていると,火星の専門家ではない私の眼に,ちょっと不思議なものが見えてきました(下図).
ゲール・クレーターの北方には,アイオリス高原(Aeolis Planum)が広がっています.その南は 2,500 m 前後標高の高い平坦な高地になっており,ゲール・クレーターはちょうどそれらの境界部に位置しています.気になるのは,その付近に位置するアイオリス卓状台地(Aeolis Mensae)とアイオリス・ケイオス(Aeolis Chaos)です.いずれも不規則なブロック状地形が散在する特異な形態を示しています.その成因・起源に関してはいろいろな意見があるようですが,溶岩台地とする説と氷河成地形とする説とが有力なようです.私の素人目には,『氷床・氷層崩壊』地形のようにも見えるのですがどうなんでしょうか?
ゲール・クレーターの西には,Robert Sharp クレーターがあります.規模としてはゲール・クレーターとほぼ同じですが,特異なのはその形態です.内部はアイオリス・ケイオスに類似した混沌としたブロック散在地形で,クレーター壁はほとんどその原形をとどめていません.Brossier et al. (2021) は,これを “fretted terrain(格子状地形)” と表現し,河川・湖環境での堆積と浸食という複雑な地質過程を経て形成されたものとしています.
J. Brossier, L.Le Deit, J. Carter, N. Mangold and E. Hauber (2021) Reconstructing the infilling history within Robert Sharp crater, Mars: Insights from morphology and stratigraphy. Icarus 358, April 2021, 114223 .
しかし素人考えですが,アイオリス・ケイオス-アイオリス卓状台地(-ゲール・クレーター)-Robert Sharp クレーターと WNW-ESE 方向に続くこれらの(地球上にはほとんどないような)複雑な地形が,単に河川-湖環境でできるものなのかはちょっと確信がありません.そう思って見ると,なにやら “リニアメント” 状の地形も見えてきます.もちろん火星には大規模なテクトニズムは存在しないわけですが,直感的にはもっと複雑でカタストロフィックな過程を考える必要がありそうな気がしています.
キュリオシティはゲール・クレーター内で膨大な地層露頭写真を撮影し,火星の地層に関する新たな知見を数多く報告しています.右に,その中から勝手に選んだアラカルトを示します.
A・Bは,おそらく火星で最初に発見された礫岩です.Aではその単層厚はおそらく 20 cm 程度と推察されます.Bでは不淘汰な円磨度の低い礫を含み,その礫種は大部分が玄武岩質火山岩です.中央部にあるのは大型の卓状斜長石結晶を含むドレライト礫です.
なお Heydari et al. (2020) によると,これらの礫岩層は,“ゲール湖” の湖成層メンバーではなく,シャープ山形成後に起きた “flash flood” による洪水堆積物のメンバーとされています.
E. Heydari, J.F. Schroeder, F.J. Calef, J. Van Beek, S.K. Rowland, T.J. Parker and A.G. Fairén (2020) Deposits from giant floods in Gale crater and their implications for the climate of early Mars. Scientific Reports 10, Article number: 19099 (2020) .
Cはこれも火星で最初に発見された漣痕(ripple mark)です.この写真を目にした時,私は心底仰天しました.湖成層ですからあって当たり前のものですが,なにしろここは火星です.漣痕の形態は直線的~分岐形状です.断面形状はよく分かりませんが,写真を見た直感としては非対称なカレント・リップル(current ripple)のようにも見えます.
Dは,泥質岩層理面上の多角形裂罅です.一部は鉱物脈が侵入していますが,多くは泥質物を挟む単なる裂罅に見えます. NASA のページ では “possible mud crack” つまり泥乾裂(desiccation mud crack)だろうとされているのですが,形態を見る限り私には確信が持てません.後生的な鉱物脈が入っているというのもちょっと微妙なところです.実は,Youtube で火星のパノラマ写真を紹介する動画を見ていたら,裂罅の部分が乾燥収縮で反り返っていて『これは間違いない!』という泥乾裂の写真を見たのですが,NASA の公式ページでは残念ながら見つけることができませんでした.見つけたらこの写真は差し替えます.
Eは,湖成層中に見られる鉱物脈です.鉱物は白色で,分光分析で Ca に富むことが分かっており,たぶん含水 Ca 硫酸塩(gypsum: CaSO4·2H2O)であろうとされています.Gypsum は蒸発岩(evaporite)を作る鉱物として有名ですが,いずれにせよ火星の堆積物中に『間隙水』があったという証拠となるものです.場所によっては鉱物脈が尖滅端部を持っていて水圧破砕作用を想起させる部分もあり,かなりの程度の埋没深度を経験したことを示唆しますが,詳細は不明です.
NASA の最新の火星地表探査機パーサビアランス(Perseverance)は,2021/02 にジェゼロ・クレーターの中に降り立ちました.その意図は明確なものでした.火星でもっとも明確なデルタが形成されており,過去に湖だったクレーター内で生命の痕跡を探ることです.
ジェゼロ・クレーター(Jezero Crater)は,イシディス平原(Isidis Planitia)の西縁部付近に位置する直径 49 km の中型のクレーターで(右図),クレーター底はほぼ平坦,クレーター壁の比高は最大で 900 - 1,000 m です.
クレーターの北西側ではクレーター壁が開析され,外側の平原とほぼ連続しています.
ジェゼロ・クレーターの周囲には大規模な水路がいくつか存在し,西側の水路がクレーターに流入する部分には顕著なデルタが発達しています(下図:詳細は後述).
クレーターの東西および北側には大規模な水路(Neretva Vallis, Pliva Vallis, Sava Vallis)が発達し,それぞれクレーター壁を侵食して内部に流入しています.
もっとも大規模な Neretva Vallis の長さは視認できるだけで 150 km 以上あり,他の流入水路と同じように蛇行しています.ジェゼロ・クレーターに流入する部分のもっとも広いところで峡谷幅は約 1,400 m です.深さは 200 m 程度ありますが,河谷底は風成砂丘に覆われており,正確な深さは不明です.
これらの大規模な流入水路の存在は,ジェゼロ・クレーターがある時期に湛水し “クレーター湖(crater lake)” となっていたことを示します.右に示したのは,NASA によるその想像図です.20 億年以上も前の姿ですが,胸に沁みるものを感じます.Pliva Vallis の “沖積平野部” が心持ち緑色に塗られているように見えるのは思い過ごしでしょうか.
なぜか,Sava Vallis は流入河川として描かれていませんが...なにかその判断理由があるのか,あるいは単に描かれなかっただけなのかは不明です.
ジェゼロ・クレーターに西方から流入する Neretva Vallis の出口には,おそらく火星でもっとも見事なデルタが形成されています(右図).ここでは,これを勝手にジェゼロ・デルタ(Jezero Delta)と呼びます.
ジェゼロ・デルタの形態は,いわゆる『鳥趾状デルタ(birdfoot delta)』に近く,チャンネル・ローブの先端は全体として扇型に接合せず,鳥趾状に分離しています.デルタ・フロントではローブ前面が高さ 20 - 50 m の明確な段差・崖状部になっています.ローブ端部の形状から判断すると浸食崖とは思えませんので,フォアセット付加斜面がほぼそのまま保存されて見えている(!)ということなのかもしれません.
デルタの南部には,デルタ本体から分離した小チャネルが一本伸びており,その外側部には明瞭な自然堤防(levee)が形成されています.
ジェゼロ・デルタの供給チャネルである Neretva Vallis は,クレーター壁を明瞭に浸食してクレーター内に流入しています.流入口付近では蛇行が著しく河谷幅も広くなっています.
デルタ頂部から端部までの長さは約 8 km,頂部と端部の標高差は 150 - 160 m です.したがって,その平均傾斜は 1 度程度になります.
デルタ表面には,Belva クレーター(直径 950 m)が形成されています.その形状は比較的新鮮かつ印象的で,ジェゼロ・デルタの容貌の大きなワンポイントとなっています.
※ なお,デルタ西縁部とクレーター壁との間には,色の明るい平坦部が南北に伸びています.リモートでの スペクトル分析 によると炭酸塩に富んだ物質からなっているようです.炭酸塩鉱物は菱鉄鉱を主体として苦灰石を伴っています.菱鉄鉱は還元的な湖沼性環境で形成される自生鉱物として知られていますが,それは地球上での話.上の論文に述べられているように,ジェゼロ・クレーターのこの領域の生成要因はそう単純なものではないようです.
ここで,ジェゼロ・デルタの地層について紹介する前に,デルタの内部構造について少しおさらいをしておきたいと思います.右図は,一般に考えられているデルタ堆積体の内部構造を模式的に示したものです.
簡単に言うと,デルタは砕屑物が水域に流入し斜面に堆積物を付け加えながら堆積体として前進していくというものです.図ではデルタの陸側部分は水面下にあるように描かれていますが,多くのデルタでは水面上に出ています.
デルタ前面に付け加わっていく堆積物は,前に傾いた地層(前置層:foreset bed)になっています.これがデルタを特徴づける地層です.
パーサビアランスは,ジェゼロ・デルタの全体をクレーター底から見渡す極めて印象的なパノラマ写真を撮影しています(上写真).撮影場所は正確には不明ですが,供給水路出口や左右二つのチャネルローブ,その間の低平なチャネル部などを考えると,Neterva Vallis 出口のほぼ正面ではないかと推定されます(上の俯瞰イメージ中の赤星印).
このパノラマ写真の左右には,デルタ・ローブの先端部が写っています(AとB).左側のAではフォアセットの傾きは左へ,右側のBでは右へ傾いています.これは要するに,撮影地点の左右に分岐するローブのそれぞれ左側面(A)と右側面(B)を見ているということになるでしょう.
いずれもフォアセット層の上位には水平なトップセット層が覆っています.その厚さは 15 m 程度と判断される露頭の高さの半分程度あるようです.
右の写真は,正確な撮影場所は分かりませんが,おそらくジェゼロ・デルタのフォアセット層の近接像を初めて捉えたものです.ゆるいカーブを描いたフォアセット層が明瞭に確認できます.砕屑物の供給方向は左⇒右です.
その下位にある水平な地層は底置層(bottomset bed)ということになりますが,底置層は一般に細粒で前置層に比べて薄いのが普通ですので,この写真に写っている地層はちょっと雰囲気が違うように見えます.もしかすると,デルタ下位の basin-floor 堆積層が見えているのかもしれませんが,詳細は不明です.
右の写真は,ジェゼロ・デルタ上の “Skrinkle Haven” に露出する(砂泥?)互層です.一見タービダイト互層風です.日本列島では地層がこのような形で地表面に露出するのは河床などで珍しいことではありませんが,それは『構造運動によって地層が褶曲し傾斜している』ためです.そういった構造運動の無い(・無かった)火星では,地層の構造(=走向傾斜)は堆積時から基本的に変化しませんので,このような露出はある意味珍しいことです.浸食されたデルタの前置層の上面を見ているのだと思われますが,この互層が “網状河川の堆積物” であるとする見方もあるようです.
実は火星の見事なデルタはジェゼロ・デルタだけではありません.右写真は,Eberswalde クレーター内に見られるデルタです.デルタ頂部から端部までは約 13 km,標高差は約 120 m です.ジェゼロ・デルタよりは少し大きいのですが,緩傾斜です.基本的な形状は似通っていますが,デルタ表面の分岐チャネル(・ローブ)の発達が著しく,鳥趾状というよりは樹枝状(dendritic)・網状(anastomosing)です.湖水面より上の網状河川部が見えているということかもしれません.
背後には明瞭な供給チャネルが存在します.デルタの左側にも大規模な水路がありますが,供給関係はよく分かりません.なおデルタ表面に新期のクレーター(径 730 m)が形成されているのはジェゼロ・デルタと同じです.
要するに,火星表面にデルタが存在するのは特に珍しいことでもないということでしょうか...
火星の年代区分について簡単に付記しておきたいと思います.地球の年代区分は,おもに生物(動物)の発生と消長・進化によって規定されています.『代(Era)』の名前には例えば Paleozoic(古生代)のように “-zoic” という接尾語が付いています.“zoe” というのはギリシャ語で life という意味だそうです.しかし火星ではもちろんそういう区分は不可能ですので,『隕石クレーターの分布密度』や『変質鉱物の種類(!)』によって規定されています.
右図に示したのは,一般的に用いられている前者による年代区分です.すぐに分かるように,約 30 億年前以降は全部アマゾニア代で,ほとんど解像度がありません.『特徴』の項は,私が適当にダイジェストしたもので,全然間違っているかもしれません.
本アーティクルで紹介した火星の地層が,それではこのどの時代に堆積したものなのかというと,実はどう調べてもよく分かりませんでした.多くの論文や解説には『30 億年前から 20 億年前』といったブロードな表現になっているだけです.まだ何も分かっていないというのが正解なのでしょう.
※ 火星探査機たちの撮影した数々の地層露頭の見かけは,私のような “変動帯地質屋” には,せいぜい古くて中生代以降,ものによっては新第三紀あたりの地層にしか見えません.生まれて初めて見た火星の地層 - Burns Cliff の地層などは,どう見えても新第三紀以降の固結度です.これが 20 億年前とか言われても...つまりは,埋没・続成・構造変形というプロセスを経ていない地層は,いかに古いものであってもそう見えてしまうということだろうと思われます.
- 付録Ⅱ 火星周回人工衛星 -
火星地表探査機のことを語る時,そのはるか上空を周回する人工衛星の役割を忘れることはできません.その代表的なものは,NASA による MARS Reconnaissance Orbiter とヨーロッパ宇宙連合(ESA: European Space Agency)による Mars Express です.これらの人工衛星は,火星地表面の撮影と標高データの取得という重要な役割を担っています.その基礎データなしでは,地表探査機がミッションを遂行することはとても不可能でした.
下に,火星周回人工衛星の活動期間・諸元などの一覧を示します.Wikipedia ページを見るとお分かりのように,ここにあげたのはごく一部です.抜粋の勝手な根拠としては,①写真撮影・標高データの取得が主要ミッション(の一つ),②それらがオープンに広く公開されているもの,としています.私達にとっては ② が極めて大事な点でしょう.