私的・北海道地質百選
『湯内港の岩盤崩落』
1996 年の豊浜トンネル岩盤崩落事故は社会に大きなインパクトを与えたが,その事故調査の過程で明らかになったのは,『周囲の急崖斜面にあちこちで大規模な岩盤崩落の履歴がある』ということであった.
これは,少なくとも明示的には,それまで行政側・研究者の誰の意識にもなかったことだった.今にしてみると信じられないようなことではあるが,当時(1996 年以前)の状況はそうだったのである.
余市町湯内漁港の西側斜面のパノラマ写真(2001年6月撮影)を上に示す.
注)“湯内” という地名は現在の地理院地図にはなく,この湯内川河口付近の集落は “豊浜町” とされている.Google Map ではこの漁港を『余市漁港(湯内地区)』と表記している.行政的にはそれが正式名称なのかもしれない.いずれにせよよく分からないので,特に意味はないが,ここでは従来の感覚で『湯内漁港』と表記することとする.
なお蛇足であるが,この読みが “ゆない” なのか “とうない” なのかは不明である.
急崖を作る地質は豊浜トンネル周辺とほぼ同じ『安山岩質成層火砕岩・水冷破砕岩』で,ゆるく右方(北)に傾斜している.
岩盤崩落箇所は,パノラマ写真の左端部付近にある巨大な岩塊である.その右側に見えるコンクリート構造物は,旧豊浜トンネルの外部補強構造である.“旧豊浜トンネル”というのは,1996年に崩落した豊浜トンネルのことではなく,その一世代前の 1951年ころに竣工したものである.
崩落部の正面ビューを右写真に示す.
崩落ブロックは上部剥離面から判断すると 15 m 程度は崩落している.崩落ブロックの下部には旧ノッチ地形でオーバーハングした部分があり,その部分は座屈・破断して失われたと考えられる.
崩落時期は不明であるが,豊浜事故調査委員会による土地の人からの聞き取りによれば,旧豊浜トンネルが開通してしばらくたったころ,つまり 1950 年代のことで,人的災害はなかったらしい.
湯内漁港崩壊の側面ビューを右写真に示す.崩落ブロックが意外に厚みがある(約 20 m?)ことが分かる.
また,崩落ブロックは前側に傾斜しており,崩落時に前方に転倒しかけたことを示すのかもしれない.
参考までに,道路点検調査の際にヘリコプターから撮影した湯内港岩盤崩落部を右に示す.
崩落ブロックの前はかなり広い広場状になっている.崩落時にこの部分がどうなっていたのかは,もちろん不明であるが,もしかすると崩落前は斜面の直下を道路が通っており,崩落後に付け替わった可能性も見える.
(なし)
豊浜トンネル崩落事故調査委員会,1996,豊浜トンネル崩落事故調査報告書.