北上山地の大規模リニアメント
Regional Large-scale Lineament in the Kitakami Mountains
川村信人(北海道総合地質学研究センター)
※ 本アーティクルは,北海道大学理学研究院在学時の着想と同在職時に内野隆之氏と行った野外調査を元に,
その後の『机上の検討』をまとめたものです.
このアーティクルで取り上げる『北上山地の大規模リニアメント』には,正確な科学的証拠が十分とは言えません.私が昔(大学院生だったころ?)見た,“雑誌の付録” がその発端です.“雑誌” というのは,おそらく『アーバンクボタ』だったと思うのですが,現物は手元にありません.アーバンクボタ(1969-2003年発行)は,驚くべきことに現在も 公式サイト があり,その一部は PDF でダウンロードできます.
“付録” ですが,おそらくレーダー画像による東北日本の地形陰影図で,ステレオ視できるいわゆるアナグリフ画像になっており,赤青のセロファンが付いた紙製眼鏡が付属していました(こんなやつ:左図).
しかし残念ながら,上記のサイトでダウンロード可能なアーバンクボタでそういった付録を見つけることはできませんでした.内容的には 1975年12月発行の『地殻』ではないかと思うのですが,1975年というと私が4年生を卒業した年ですので,どうも記憶と合いません.他の号かもしれないので,ダウンロード可能なすべてをチェックしてみましたが見当たりませんでした.そういうものに関連したようなネット記事もないし,“雑誌” に関しては私のまったくの勘違いで別のものだったのかもしれません.
※ 山口ほか(1985)には,新エネルギー総合開発機構(NEDO)が 1982 年に行った日本全国のレーダ画像が 1984 年に公開されたとあります.私が見た地形陰影図のネタもこれなのかもしれませんが,現在この画像がどこで公開されているのか発見できず,未確認です.もしこれが元ネタだとすると,私がそれを見たのは当然 1984 年以降のことになります.
山口 靖・村岡洋文・長谷紘和(1985)レーダーで見た日本の地形・地質.地質ニュース,no.373, 14-24.
で,そのギャグっぽい立体視眼鏡で私が何を見たかというと,北上山地のほぼ中央部を NNW-SSE 方向に走る,北は久慈西方から南は遠野東方まで連続する長大なリニアメント(らしきもの)でした.そんなものの存在はその時点で参照可能な広域地質図には,もちろん描かれておらず,私にとって誰からも聞いていない話だったので,なんだこれは?!と非常に驚きました.
その “長大リニアメント” の北半部は,当時の私自身はあまり知らなかったのですが,広く認知されている大規模断層(折爪断層)でした.しかし,その南半部(後述)は,誰からも指摘されていないものです.おそらく変動地形の専門家から見ると『実在しない』=素人の妄想に近いものなのかもしれません.当時の私は,それ以上この “長大リニアメント” について追究することもありませんでした.
それは野外調査で確認する機会(・能力)もなかったということもありますが,なによりも一般の研究者がこういった広域的な地形・地質特徴を検討する手法が無かったのです.我々が日本列島の デジタル標高データ を手にいれ,それを自分のデスクトップで 視覚化して検討 できるようになったのは,なんと 21世紀に入ってから(!),2005 年前後からのことでした.
以下では,この長大リニアメントについて多少の野外調査結果も加え,おもに机上の地形の検討結果を妄想混じりで書いてみたいと思います.
まずは,北上山地の地質概略を述べておきます.
北上山地は地質学的には,北部北上テレーン(North Kitakami Terrane)と南部北上テレーン(South Kitakami Terrane)に区分され,両者の境界に根田茂(ねだも)帯があります.
北部北上テレーンはジュラ紀付加体,根田茂帯は石炭紀(~ペルム紀)の付加体ですが,北部北上テレーンとの境界部には三畳紀付加体も存在するらしく,これらの付加体の地体構造区分・遷移関係は必ずしも明瞭ではありません.
右図では,根田茂帯を含む南部-北部北上テレーン境界部を “早池峰構造ゾーン” と表記しています.根田茂帯= “早池峰構造ゾーン” ではありませんので注意してください.
南部北上テレーンは古生代島弧地質体です.
これらの古生代~中生代地質体の内部・上位には,白亜紀プルトンと島弧火山岩類がそれらを “オーバーレイ(上書き)” して分布しています.
上の地質図 Navi を見ると,北上山地の地質は広域的にその詳細が明らかになっているようにも見えますが,残念ながらそうではありません.特に北部北上テレーンについては,詳細な地質構成・構造や地質年代は不明のままの部分が多いというのが現状です.
この点は,北上山地における5万分の1地質図幅の刊行状況を見るとある程度理解できます.ここで示した48 区画のうち,未刊行が 19 区画 (40 %) あります.刊行されているものでも,1970 年代以前の刊行が 11 区画あり,そのほとんどが 1950-60 年代,つまり日本列島の地質の見方が大きく変わった時期(=付加体地質学導入)以前の刊行となっています.これでは,特に北部北上付加テレーンの地質を理解するに十分なものとは言えません.近刊予定の『外山図幅』は,その状況に対する大きな意味を持っていると思われますが,それを契機として現状の進展が見られるのかは分かりません.
北上山地のリニアメントの話になんでこんな地質図幅事業の進捗状況が関係あるのかというと,このページで述べたい『リニアメント』の南半部についての詳細な地質図が存在しない(!)ということです.特に,『門』『大川』『川井』図幅の空白が痛いところで,私は『葛巻』『薮川』も含めて,これを『北部北上の広大な空白』と呼んでいます.
私の知る限り,公表論文でもこの部分の詳細な地質分布に関するものは見当たりません.地質図 Navi で表示されるものは,20万分の1地質図幅『盛岡』をベースにしたものですが,見るとお分かりのように,地質図の精度はそれなりのものとなっています.
次に,北上山地の地形をざっと眺めてみます(上図).全体として紡錘形の外形とか,三陸海岸のゴジラのヒレのような?リアス式海岸地形とかいろいろありますが,やはり地質屋として一番目を引かれるのは,N-S あるいは NNW-SSE 方向の構造地形ということになるのではないでしょうか.その多くはもちろん断層ということになりますが,褶曲軸や深成岩体の伸び方向という要素もあると思います.
岩泉から釜石の北方にかけては,この構造方向に斜交する NW-SE 方向の地形が目立ちますが,これを何を意味するのかはまったくの no idea です.上に示した広域地質図では,断層が湾曲しているようにも描かれていますが,本当にそうなのか...
※ 私は 1970 年代には世田米-日頃市地域の南部北上古生層が研究対象でしたので,その地域に卓越する NNW-SSE 方向の断層群・褶曲構造の存在は当然頭に入っていました.日詰-気仙沼断層(当時は構造線と呼ばれていた)はその代表格です.しかし一方では北部北上に分布する地質体には正直言って無関心で,その地質構造などもまったく頭に入っていませんでした.したがって,上の図であまりに明瞭な折爪断層のこともぜんぜん知りませんでした.
そういった広域地形が,もしかすると北上山地の地質構造の全体像を考えるうえで大きなカギとなるのでは?と思い始めたのは,1980 年代の初めに南部-北部境界地帯(“早池峰構造ゾーン”)に研究の軸足を移し始めて以降のことです.
上図の右に示したのは,傾斜量図です.実は傾斜量というのは,地形を評価するうえで非常に有効なパラメータです.その概要や計算方法については, DEMデータと地形・地質-傾斜量 のページに書きましたので,興味のある方は参照してください.いつもは自前で計算・図化しているのですが,この図では範囲が広くてデータの取得と処理が非常に面倒なので,国土地理院が公開しているものをそのまま使わせてもらいました.
折爪断層の東側の緩傾斜部が非常に顕著な非対称地形となっています.これは,この大断層の変位が横ずれセンスではない(後述)ことを示しているのかもしれません.
※ 本テーマとは直接の関係はないのですが,花崗岩体の分布と広い緩傾斜部がほぼ 1:1 になっているのも面白いです.これについては,このアーティクルの末尾に付記します.
やっと本題に入ります.こういう地質・地形の背景を念頭に北上山地の地形陰影図を見た時,そこには『北上山地中央部の北半部のほぼ全体を縦断するリニアメント』が見えてきます,少なくとも私の目には(右図).
この北上山地中央部に認識される大規模リニアメントを,ここでは『北上山地中央部大規模リニアメント Central Kitakami Large-scale Lineament: CKLL』と呼びます.
CKLL の折爪-葛巻-萱森-遠矢場にかけての部分を便宜上 “北セグメント:N-CKLL”,早坂峠-釜津田-夏屋にかけての部分を “南セグメント:S-CKLL” と表記します.さらにその南側延長部,小国-道又にかけての部分にも不明瞭なリニアメントが存在するので,これを仮に “道又セグメント:M-CKLL” と呼ぶことにします.
三つのセグメントを合計すると,南北 120 km に及ぶ長大な “リニアメント” です(右図).
上のどこかに “妄想” とか書いてしまいましたが,少なくとも CKLL の北セグメント(N-CKLL)は地形図上で明白なリニアメントで,その大部分はれっきとした活断層として公式に認定されているものです.『折爪(おりづめ)断層』です.
しかし,北セグメント = 折爪断層というわけではなく,北セグメントは折爪断層を包含したものです.これについては後述します.
折爪断層については,5万分の1地質図幅『一戸』に詳しい記載があります.以下では,これを参考にして記述します.
辻野 匠・工藤 崇・中江 訓・近藤玲介・西岡芳晴・植木岳雪(2018)一戸地域の地質.地域地質研究報告(5 万分の1 地質図幅),産総研地質調査総合センター,161 p.
折爪断層は,岩手県二戸市・軽米町・九戸村の境界にまたがる標高 851.9 m の折爪岳の東を走る
NNW-SSE 方向の断層で,北部北上テレーンのジュラ紀付加体と新第三系の境界断層になっています.
折爪岳東麓には,折爪岳扇状地堆積物が分布し,顕著な非対称断層地形を作っています.断層の傾斜は 25 - 70° W とされていますので,西側が上昇するセンスの逆~衝上断層ということになります.
折爪断層の活動時期についてはさまざまな考え方がありますが,確実なことは分かっていないようです.産総研活断層データベースでは平均活動間隔が 2 万 2 千年とされていますが,最新活動時期は不明となっています.いずれにせよ,第四紀以降に活動した大規模な断層であることは間違いありません.
付け加えておくと,折爪断層は北上山地で唯一の『認定活断層』です.北上平野西側には多くの活断層が存在し起震断層ともなっていますが,その東側の “非火山性外弧” である北上山地の内部にあるものはこの折爪断層だけです.
注)辻野ほか(2018)の地質図では,折爪断層は折爪岳東麓部の新第三系との境界断層となっています.その南端は九戸村伊保内付近にあります.そこから南には断層線は図示されていませんが,南西側の山根西方に同方向の断層が描かれており,図幅外に連続しているようです.一方,折爪断層の北端は図幅内にはありませんが,名久井岳北方の馬淵川付近(諏訪ノ平)にあります.
辻野ほか(2018)の第 7.3 図には,これらに馬淵川北側の “辰ノ口撓曲”(上図左の赤点線部)を含めたもの全体を『折爪断層』としています.上に示した活断層データベースでは,これらをまとめて『折爪活動セグメント』と呼称しています.
下に,折爪断層周辺の地質図・地形陰影図・傾斜量図を示します.陰影図・傾斜量図では,この断層の作る構造地形があまりに明瞭で,いまさらですが驚きます.
折爪岳東麓の扇状地と瀬月内川の沖積地を含めた部分は一種の “地溝帯” のようにも見えてしまいますが,折爪断層は上に書いたように,正断層・横ずれ断層ではなく逆断層です.就志森東麓部の九戸村平内~高宇堂にかけての部分の直線状地形は特に傾斜量図で顕著で,非常に印象的なものとなっています.
なお就志森付近の瀬月内川対岸部には,同方向の線状地形が何条も見えていますが,20 万分の1図幅『八戸』を見る限りでは,同一走向・急傾斜のチャート岩体が作る地形と思われます.
右図上は,折爪断層の作る変動地形を東から見た俯瞰図です.視点高度は 7,000 m です.
非常にスペクタクルなもので,深く感動します.東北日本の大規模断層地形としては,阿武隈山地の畑川断層と棚倉断層が最大のものと思いますが,折爪断層はおそらくそれらに次ぐ規模のものと思われます.
俯瞰図のスケールを正確に言うのはなかなか難しいのですが,断層付近での左右幅が 25 km 弱といったところでしょう.
この俯瞰図を見て意外に感じたのは,折爪断層の西側にはすぐに第四紀火山地帯が存在しているということです.私は今までなんとなく,折爪断層は北部北上山地の中央部を縦断すると思い込んでいました.馬淵川は折爪断層の北側を回り込んでいったん七時雨山などの火山麓を通過した後,再び北部北上山地側に入り込んで折爪断層(の南延長部)をまたぎ,その東側へ入り込んでいます.よく見ると非常に複雑で不思議です.河川(地形)学には疎いのでよく分からない点があるのですが,折爪断層(と第四紀火山?)の形成と発達に伴った複雑な地形変動の影響があるのではないかと想像しています.
右上図の下は,断層を横断する東西方向の断面図です.折爪断層の傾斜は,一戸図幅では西傾斜 25 - 70 度となっていますが,活断層データベースには 60 度とあります.ここではとりあえず 45 度程度の傾斜で描画しています.瀬月内川の西岸に分布する広い扇状地(~沖積錐)の上端に明瞭な傾斜変換部があります.これは上の俯瞰図上ではっきりとした傾斜(・起伏量)変換線として現れています.この部分での断層の正確な位置は一戸図幅にも書かれているように不明です.
扇状地の東端は瀬月内川の河川浸食で沖積低地となっていますが,その流路は東方の河岸段丘との境界部に偏っており,明瞭な非対称地形を形成しています.これは折爪断層上盤側ブロックの上昇(・傾動?)を示すものと推察されます.
折爪断層の南端は,一戸図幅・産総研活断層データベースともに,葛巻町馬場付近に置いています(右図).しかし地形図で見る限りでは,そのリニアメントはさらに南へ伸びており,赤井田を越えて葛巻町本町付近の馬淵川沿いまで追跡されますが,その南の船倉山方面には続いていません.したがって,この部分が北セグメントの南端であると判断されます.この部分で馬淵川と瀬月内川との間で河川争奪を行っているようにも見えますが,詳しいことは分かりません.
馬淵川の葛巻町中村付近から上流には,萱森岳の稜線に平行した直線的な沖積平地が遠矢場付近まで伸びています.この沖積平地の西側は,山稜部-低起伏緩傾斜部(扇状地?)から成っており,馬淵川流路が沖積低地の西に偏った非対称地形を構成しています.この地形は折爪断層地形とほぼ同じ特徴を持ったもので,同様な(活)断層地形であると考えられます.しかし詳細な地質分布などは不明で,それ以上のことは分かりません.ここではこれを仮に『Xセグメント』と呼びます.
Xセグメントは東へ張り出した弱い弧状の形態を示しますが,その大まかな方向(S 31° E)は,折爪断層(S 13° E)とは有意に異なっており地形的にも不連続ですので,とりあえずここでは CKLL の構成セグメントとして扱わないこととします.
Xセグメントは,国境峠を越えて岩泉町小本川方面へ伸びる湾曲したリニアメントを形成しているようにも見えます.小本川上流部の直線的な谷地形は,この章の最初に掲載した地形陰影図で示したように,北部北上山地に見られる WNW-ESE 方向のリニアメント系の一つです.20万分の1地質図幅『盛岡』では,小本川上流部には北部北上付加体を不整合に覆う(上部白亜系~)古第三系の分布があり,リニアメントはそれに規制されているようで,同方向の断層も何本か描かれています.
いずれにせよ,このXセグメントについては考慮すべき地質データが参照できず,所属不明の地形セグメントとしか言えません.河川(・変動)地形関係の論文等がどこかにあるのかもしれませんが,私には到達不能です.
北セグメント(≒折爪断層)については,このへんにしておきます.というか...もし話がこれだけで終わっていたら,南部北上と早池峰しかやっていなかった(&変動地形には素人の)私には,北部北上のしかもその北端部の活断層について,ふーんと思う程度でそれ以上の興味は正直出てこなかったと思います.しかし,上で紹介した広域地形陰影図を見て『これって南部北上-早池峰までつながっているんじゃないか?』と.その思い付きが次に書く “南セグメント” へとつながりました.
“南セグメント” は,北セグメントとは異なり,一般には認知されていない(=私が勝手にそう言っているだけの)リニアメント地形です(下図).北部北上テレーンの中生代付加体コンプレックスの地質についての総括的レビューとしては,ちょっと古いものですが,大上・永広(1988)があります.しかし,その中でも S-CKLL に該当すると思われる断層や地質体不連続についてはなにも言及はありません.
大上和良・永広昌之(1988)北部北上山地の先宮古統堆積岩類に関する研究の総括と現状.地球科学,vol. 42,p. 187-201.
葛巻町樋渡~岩泉町早坂峠~釜津田~宮古市夏屋川~道又にかけての S-CKLL, M-CKLL に関する地質図・地形陰影図・傾斜量図の “3点セット” を上に示します.特に中央の地形陰影図を見れば,私の言っていることが少しわかってもらえるかもしれません.なお地形陰影図は,カシミール3Dで作成した夏屋川上流藍洞沢上空 4 万 m からの垂直俯瞰画像です.
地質図は,20万分の1地質図幅『盛岡』を基にした地質図 Navi のものですが,S-CKLL の南半部には,それと対応する断層線が描かれています.しかしそのデータソースは不明で,断層の性格等の詳細についてはまったく分かりません.
傾斜量図ではっきりと分かるのは,S-CKLL は N-CKLL のような『傾斜変換線・緩傾斜域』を伴わないということです.リニアメントは沢型(・尾根線)によってのみ表現されています.このことは,S-CKLL が単なる “弱線” であって,それに沿った地形変動が起きていないということだと思われます.なお M-CKLL は弱い・短い傾斜変換線を伴っていますが,それが変動地形を意味するのかは不明です.
右図は,北セグメントの南端部から南セグメントの北端部にかけての部分を俯瞰してみたものです.セグメントと呼んでいることから自明ですが,北-南セグメントは連続していません.
しかし,南セグメントの北端がどこにあるのかは実際不明瞭です.それはなぜかと言うと,南セグメントは,北セグメント・Xセグメントのような『傾斜変換線』『高低起伏境界線』を持っていないからです.要するに,南セグメントは変動地形の特徴を持たず,直線的(・不連続)な沢筋・尾根筋の “断片” の連なりによって表現される(だけの)ものということになります.
前章の『折爪断層の南端と “Xセグメント”』に掲載した図に示したように,南セグメントの北端は,葛巻町萱森岳南東方・遠矢場西方付近のどこかにあると思われますが,上記の理由で確定はできません.
葛巻町三巣子沢と岩泉町ウドウゲ沢は直線性が強く S-CKLL を構成していますが,それらが連続した一つのリニアメントをなしているとは言い難いものです.
※ この俯瞰図の上部では,北セグメントが途中で折れ曲がっているように見えています.その程度はもちろん斜め俯瞰のパースペクティブによる見かけのものですが,実際北セグメントは折爪岳の付近で反時計回りに折れ曲がっています(前章の図参照).地形図で測定してみた限りでは,その折れ曲がり角は約 13 度で,意外に大きく驚きました.この折れ曲がりの要因は皆目不明です.
もう少し視点を南に引いて見てみます.右図上は,遠野市新田牧場上空からの南セグメント(S-CKLL)および道又セグメント(M-CKLL)をストレートに南側から見下ろした斜め俯瞰画像です.マウスオーバーで説明線を消せますが...なかなか微妙ですね.これだけを見ると,『なにがリニアメントなの?』と思われる方も多いことでしょう.自分でそう言っておいてなんですが,私もそう思います.
そこでもう少し分かりやすいように,遠野上空から両セグメントを斜め横(南西側)から見た俯瞰画像を作ってみました(右図下).葛巻の北東側に小さく見えているのが N-CKLL になります.早池峰山の東方を NNW-SSE 方向に走る S-CKLL ~ M-CKLL の “リニアメント” が分かっていただけるのではないかと思います.
なお,上に S-CKLL は変動地形の特徴を持たないと書きましたが,M-CKLL は折爪断層に類似した傾斜変換線と非対称地形を示しています.ただしその規模は小さく連続性も悪いため,これをなんらかの変動地形とするには,難しい点があります.
それにしてもこういう俯瞰図を見ると,北上山地の中には南部-北部を問わず,この NNW-SSE 方向のリニアメントの発達がなんと顕著なことかと思います.これらは,それぞれ断層と認識されて名前が付いているものもありますが(後述),そうではないものもあるということでしょう.
S-CKLL の状況がもっともよく分かる宮古市夏屋川~岩泉町石峠にかけての地域をもう少しクローズアップみると,S-CKLL は一本の連続したリニアメントではなく,長さが 数 km のリニアメントが雁行状に配列しているように見えます(左図).
この雁行配列は,見ようによっては “ミの字型雁行” のようにも見えますので,もしそうだとすると左横ずれセンスの可能性がありますが,もちろん詳細は不明です.
夏屋川とその上流の藍洞(らんどう)沢ではリニアメントがもっとも明瞭で,その東側には平行した弱い隣接リニアメントが見えます.下に書いた現地調査では,この箇所周辺で剪断帯に貫入した火成岩脈を観察していますが,リニアメントとの関係など詳細は不明です.
その他に,S-CKLL に低角斜交するリニアメントも何本か見られます.特に NW-SE 方向のものが目立ちます.それらが断層-破砕部によるものか,それとも特定の岩相分布によるものかは不明ですが,広域地質図を見るとチャート岩体の分布の伸びがその方向に描かれていますので,後者の可能性があると思われます.いずれにせよ,当該地域の詳細な地質図が参照できない(存在しない?)ので,その実態はよく分かりません.
上のパノラマ写真は,この大規模リニアメントが実際に野外でどう見えるのだろうかと,当時北大理学研究院生だった内野隆之さんといっしょに確認しに行った時のものです.
夏屋川~藍洞沢のリニアメントは野外でも非常に顕著なもので,その地形展望は,下にあげた日詰-気仙沼断層並みのものとなっています(上写真上).
一方,その北側ではリニアメント地形はそれほど顕著なものではありません.上写真の下は岩泉町石峠から北(早坂高原方面)を見たものです.中央を走るのは関沢で比較的はっきりとしたリニアメントとなっていますが,その北側ではやや不明瞭で,早坂高原東のウドウゲ沢へと続いています.
岩泉町大川沿いの釜津田(かまつだ)付近の八重沢下流部で,S-CKLL に伴う剪断帯を露頭で観察することができます(右写真).
剪断帯を構成するのは著しく剪断面の発達した黒色/灰色バンドを持つ泥質強片状剪断岩で,片理の走向傾斜は N 14° W 85° E です.八重沢の本流は直線的でその方向は N 7° W ですので,片理の走向とほぼ一致しています.
剪断帯内部には多くの剪断面が発達しています(右写真).露頭面(立面)上で観察されるこれらが S-P-R 面であると仮定すると,剪断は (S)W 側が上昇するセンスを持つと判断されますが,観察例ばかりか筆者の判定スキルも不足しており,もちろん確証はありません.
この露頭から 数 m 離れたところには通常の付加体岩相である灰色片状泥岩が露出しており,剪断帯の幅は 10 m オーダー以下のものと判断されます.
これらの観察から言えることは,この露頭がクリープ等で二次的に転位していない限り,S-CKLL に随伴した剪断破砕面は,高角(・垂直)傾斜だということです.もちろん転位のセンスは不明ですが,少なくとも低角衝上ではなく,またおそらく横ずれでもないということになるでしょう.
上に述べてきたことを要約すると以下のようになります.
・N-CKLL の少なくとも北半部は,地質学的に認知された大規模断層=活断層である.
・S-CKLL は N-CKLL 南端の延長に位置するリニアメントであるが,線状地形以外の地形的特徴を伴わなわず,連続性・明瞭性も N-CKLL ほどではない.
・N-CKLL の南側にさらに不明瞭に連続する M-CKLL は,遠野花崗岩体の分布によって切られ,その南には連続していない.
これらのことから,あくまでも素人考えですが,『北上山地中央部大規模リニアメント』について私はこう考えています.
まず,S-CKLL については,断層崖やその前面の崖錐・扇状地地形などを示唆する地形特徴がまったくなく,少なくとも第四紀以降に活動した変動地形とは考えられません.北部北上テレーン付加体中に形成された剪断ゾーン(≒ 剪断帯の集中部)ということになると思われます.
その形成時期は明らかではありませんが,北上山地全体に卓越する NNW-SSE 方向の断層群と平行で,その一つと考えることも可能です.この断層群は,一般に白亜紀前期に形成された横ずれ断層と考えられていますので(永広,1977 など),S-CKLL (と M-CKLL)もそうだと考えるのが妥当なところでしょう.これは上に書いた M-CKLL と白亜紀花崗岩との関係と調和的です.
永広 昌之(1977)日詰-気仙沼断層 : とくにその性格と構造発達史的意義について.東北大学理学部地質学古生物学教室研究邦文報告,77,1-37.
そうなると,N-CKLL は,S-CKLL を含む北部北上テレーン中の横ずれ剪断ゾーンの北半部の再動(・“再利用”)によって形成された活断層ということになるのではないでしょうか.なぜこの場所で北上山地唯一の活断層が形成されたのか? その形成機構・テクトニクスは?...等々については,まったくの no idea です.辻野ほか(2018)でも特にその点の言及はないようです.
北上山地の浅部地震活動を気象庁震度データベースを用いて概観してみたいと思います(右図).これは,震度1以上の有感地震の震央分布を示したもので,検索条件は図上部に記した通りですが,1919/01~現在(2023/08)まで・震源の深度 30 km まで,検索範囲は矩形で図示の通りとなっています.
これを見る限り,S(M)-CKLL については地震活動との関連はまったく見られません.遠野花崗岩体北縁部から宮古にかけての部分に活動集中部があるのですが,これが何を意味するのかは不明です.
N-CKLL に関しては認定活断層ということもあり,その西側に震央散在部があります.震源深さは 10 km 程度のようです.特に辰ノ口撓曲の西側によく見えています.マウスオーバーで表示されるように,1932 年には M 4.6 の地震が折爪断層上で発生しています.その震源深さは 0 km となっていますが,実際にそうなのか,あるいはなんらかのデータ欠損なのかは私には分かりません.
折爪断層は西傾斜の逆断層なので,断層線西側近傍にある震央は断層面付近の震源を示すということにもなります.断層面の傾斜が仮に 45 度なら 断層線からの離隔 = 断層面の深さ となりますが,そのへんの詳細はもちろん分かりません.
あと,折爪断層から西に 20 - 30 km 離れた部分に深さ 20 km 以下の震源集中部がありますが,この意味も私にはぜんぜん分かりません.
パレイドリア効果(Pareidolia)というのは,『抽象的・不明瞭・無意味なパターンの中に意味を読み取ってしまう』心理学的な現象を指します.19 世紀の Schiaparelli による “火星の運河” はその典型の一つでしょう(右図).
ここで紹介した “大規模リニアメント” のうち『折爪断層(≒ N-CKLL)』を除く S-CKLL, M-CKLL については,『あなたそれ,パレイドリアというものなんでは?』(某先生口調)と言われるとなかなか 100 % の反論は困難です.野外のエビデンスとしては露頭1個だけで,広域的に野外詳細地形・露頭・サンプルを確認したわけでもありませんし.
もちろん,この “大規模リニアメント” が,文字通り『抽象的・不明瞭・無意味な』ランダム・パターンから読み取られたということにはなりません.北上山地にこの方向(NNW-SSE)のリニアメントが遍く存在することは明白なので,もしパレイドリアだとしても『ランダムに散在する同一方向のパターン群の中から』ということになるでしょう.
思い込みだろ?!と言われたら...それを否定するつもりはありません.そうかもしれないし,そうでないかもしれない.しかし正直な話,地質屋の勘として自分なりに確信してはいます.絶対になにかあるよね,と.
※ ちなみにぜんぜん違う関係ない話ですけど,上で例示に使った “火星の運河” パレイドリアについては,21 世紀に入って周回衛星画像とマーズ・ローバーの活躍によって,まったく別の形ですが『河川流路の存在』として復権しています.科学の歴史というのはそんなものなのかも.
上でちょっと触れた『日詰-気仙沼断層』ですが,これは古くから南部北上山地の地質構造を代表する大規模断層として有名なものです.古くは(私が学生の頃)『盛岡-気仙沼構造線(tectonic line)』と呼ばれていた時期もありました.
その長さは,地表露出部分だけで(気仙沼大島西岸を入れて)約 92 km という長大なものです.
日詰-気仙沼断層は,右図に示されるように顕著な大規模リニアメントを構成していますが,活断層ではなく,その活動時期は前期白亜紀の花崗岩プルトン貫入以前とされています(永広,1977 など).変位センスは左横ずれです.
したがって,そのリニアメントは折爪断層のような変動地形ではなく,単に前期白亜紀以前の地質体中に存在する断層破砕帯が地形に反映されている(だけ)ということになります.傾斜・起伏変換線も見られず,気仙沼周辺でやや幅の広い線状沖積平地が見られるだけです.気象庁震度データベースで見ても,断層周辺には震源集中域はまったくありません.
※ 遠野市長野川地域では,日詰-気仙沼断層に沿って山地-前面扇状地-沖積低地-現河床流路という非対称地形が見られる部分がありますが,全体の形状が湾曲していて西へ離れていき,日詰-気仙沼断層とマッチしません.日詰-気仙沼断層に伴う(成因関係を持つ)ものかどうかは不明です.
ということで,日詰-気仙沼断層は遠い過去の地質時代(1億2千万年前!)に活動した断層ということになりますが,北上山地に見られる同方向(NNW-SSE)のリニアメントの中には,かなり新しい時期に活動したのではないかと思われるものが無いわけではありません.
右図は,花巻市街南東方・猿ヶ石川下流部の臥牛付近に見られるリニアメントです.長さは最大で 4.5 km といったところですので,小規模なものですが,臥牛北西部では非常に明瞭なリニアメントとなっています.臥牛の南には不明瞭な短いリニアメントも何本かあるみたいです.北端は北上川の沖積地と人工地形の中に突っ込んでしまい,よく分かりません.南端は次第に不明瞭になって消滅しています.
この小規模リニアメントのポイントは,『そこに分布する地質体が新第三系鮮新統』ということです.つまり,日詰-気仙沼断層のように白亜紀以前の古期地質体中の断層が見えているわけではなく,少なくとも新第三紀鮮新世以降の断層活動ということになりそうです.
もちろんそうではない可能性もあるにはあります.例えば,古期地質体中の断層による線状地形が薄い新期層によって被覆されながらも見えているとか...そもそもリニアメント=断層ではありませんし.まあでも,何かありそうだなという地質屋勘は働いてしまいます.単なる勘なのでこのへんでやめておきます.
右の図は,カシミール3Dで作成した気仙沼上空1万mからの俯瞰画像に日詰-気仙沼断層のトレースを描き加えたものです.なお,気仙沼~生出峠のリニアメント(おもに鹿折(ししおり)川)は非常に明瞭ですが,その西に明らかにもう一本あるようです(八瀬川).
生出峠を越えて田瀬湖の東(鱒沢)あたりまでは明瞭に追跡できますが,それ以北は距離が遠いこともあって俯瞰図ではあまり明瞭ではありません.地図を見ながら無理やり描き入れてみると左に曲がってしまったのですが,これが現実かどうかは確信がありません.
※ 関係ない話ですが室根山の東麓斜面は何やら地形が怪しい点があります.大規模山体クリープ跡? 防災研の地すべりマップを見ても何も無いようなので,考えすぎかもしれませんが.
そこで,広域地質図で見てみると,遠野の西を通るあたりでわずかに左に折れ曲がっています(右図).単純に地形図上で測ってみると,日詰ー気仙沼断層南半部の走向は N18°W(①),北半部が N34°W(②)となりますので,16度程度反時計回りに曲がっていることになります.意外に大きな屈曲です.
屈曲点は遠野市小友付近にあります(右図).この付近は,人首(ひとかべ)花崗岩体の分布(方向①)と低角斜交する宮守超苦鉄質岩体の分布(方向②)の南端部にあたりますので,それと何か関連があるのかもしれませんが,この点に関する議論はどこでも行われておらず詳細は不明です.
永広(1977)では,日詰-気仙沼断層の走向は広域地質図上で明らかに屈曲して描かれているのですが,文中では NNW-SSE としか記述されておらず,広域的な走向変化についての言及はないようです.
日詰-気仙沼断層のリニアメント展望風景を左写真に示します.撮影地点は,住田町-陸前高田市境界にある生出(おいで)峠です.その位置は上に掲載した地形陰影図・地質図を参照してください.
非常に古いスライド写真を低解像度(長辺 900 ピクセル!)でデジタル化したものですが,最新の処理技術で高画質化しています.
中央左に見下ろしているのが折壁沢ですが,そこから大股川沿いの里子屋集落の右を通り鞍部を越えて小股川方面へと続いています.
この写真で分かるように,日詰-気仙沼断層のリニアメントは生出峠を越えると,それほど顕著なものではなく不連続でもあり,折爪断層のような変動地形の趣はありません.このへんは S-CKLL に似た感じがあります.
右写真は,生出峠を越える県道の工事中(1970年代!)にたまたま出現していた日詰-気仙沼断層の露頭です.確認してませんが,おそらく現存しない露頭記録と思われます.
写真左側の灰色部が石炭系仙婆巌層の石灰質泥岩~石灰岩,右の黒色部が上部ペルム系泥岩です.断層を真正面から(走向方向に)見たものではなく,断層面は二つの地層の間を露頭面に低角斜交して右手前から左奥へ走っています.断層面は高角西傾斜のように見えます.なぜか露頭近接写真がなく,断層面の形態や構造の詳細は不明です.
※ 日詰-気仙沼断層はこのようなメジャーな断層でありながら,『断層地形や露頭の写真』はほとんど公表・公開されていません.Google/Bing で検索しても私の地質アルバム写真がヒットしてくるくらいです.もっとよく探せばどこかに掲載されているのかもしれませんが.
私の知る限りでは,気仙沼市教育委員会刊『上八瀬地域化石調査報告書』(1987)に日詰-気仙沼断層の地形と露頭写真が掲載されています.撮影者は明記されていないのですが,おそらく元新潟大学の田沢純一さんの撮影と思われます.しかし印刷媒体(と公開されている PDF)の制約により,鮮明なものとは到底言えないのが残念です.
いつも思うのですが,地質学アーカイブの現状はこれで良いのでしょうか?...って私が言っても詮無いことですが.
このような大規模な左横ずれ断層(群)(永広,1977)がどのようなテクトニクスによって形成されたのかは,大槻・永広(1992)で議論されています.それによると,イザナギ・プレートの斜め沈み込み(ca. 120 Ma ~ 85 Ma)が大きな役割を果たしたということのようです.なぜ斜め沈み込みで横ずれ断層系が形成されるかというと,言うまでもなく島弧平行方向の水平分力の発生ということでしょう.
大槻憲四郎・永広昌之(1992)東北日本の大規模横ずれ断層系と日本の地体構造の成立ち.地質学雑誌,98, 1097-1112.
右の図は,川村・北上古生層研究グループ(1988)に掲載した北上山地の構造模式図を基にして描き直したもので,ここで紹介した『北上山地中央部大規模リニアメント』の S-CKLL・M-CKLL に相当するものを『釜津田-小国-道又断層』と呼称しています.
川村・北上古生層研究グループ(1988)早池峰構造帯の地質学的諸問題.地球科学,42, 371-384.
そのセンスは右横ずれ?と描かれていますが,その南側の北部北上テレーンの分布から類推したもので,特に根拠はありません.
要するに釜津田-小国-道又断層は,南部北上-北部北上の東側構造境界を説明するために導入(でっち上げ,ではない)したものですが,その発想のもとは『北上山地中央部大規模リニアメント』にあったのだ,ということです.なかなか大胆な話ですね.
もっとも,上の日詰-気仙沼断層を見るとお分かりのように,北上山地全体にこの方向(NNW-SSE)の横ずれ断層系が発達することは,永広(1977)などでも指摘されていることで,確固たる事実です.問題は,その復元と現在の地質構成・分布・構造層序との関係がいまだによく分かっていないことではないかと思われます.
※ 釜津田-小国-道又断層(≒ S-CKLL, M-CKLL)は,2013 年に刊行された早池峰山図幅の領域に隣接しており,広域地質・地形の観点から一応共著者チームの一人である私から掲載を提案したことがあります.たしか Landsat 画像もどこかから用意してもらったような記憶が.しかし結局,筆頭著者らからリジェクトされました.まあそれも無理ないというか...
最後に,これまで述べてきたことと直接の関連はない話ですが,北上山地に広く分布する前期白亜紀花崗岩プルトンと地形との関係について触れておきたいと思います.
左の図は,北上山地の地質分布図と傾斜量図を重ね合わせたものです.言うまでもなく,赤色で塗色された部分が花崗岩プルトンの分布です.原図の塗色とオーバーレイ手法の関係で,やや区別しにくい部分(前期石炭紀・前期白亜紀火山岩類・北部北上チャート)がありますがご容赦.
で,この図で一目瞭然なのは『花崗岩プルトンの分布範囲は傾斜量が不連続に小さい』ということです.誰でもが知っている当たり前のことですが,このようなオーバーレイ画像で見ると,いまさらながら非常に印象的です.
同じ花崗岩プルトンでも,先シルル紀花崗岩(氷上花崗岩体)は傾斜量が全然小さくないというのも面白いです.あと,盛岡東方には花崗岩体の分布とまったく関係ない広大な緩傾斜域があります.いわゆる “北上準平原” を示しているものと思われます.その地形学的意味は私はまったく分かっていないのですが.
これらのことは,“花崗岩は風化しやすい” という至極当たり前のことが見えているというだけで,それ以上の意味はありません.しかしその部分の地形をよく見ていくと,けっこう驚くべきものが見えてきます.
右の図は,遠野花崗岩体の内部と周辺に見られるリニアメントを抽出してみたものです.北上山地ではあまり見られない ENE-WSW 方向のかなり顕著なリニアメント群が認められます.リニアメントは岩体西方に分布する古生層-超苦鉄質岩体-人首花崗岩体,さらにはその西に分布する新第三系(鮮新統)の中まで連続していますが,岩体東側には連続していないように見えます.
このようなリニアメントを見た当初は,単純に花崗岩体内部の冷却節理系によるものかとも思われました.しかし,少なくとも西側に分布する古生層などの中にも連続していますので,花崗岩体の貫入による応力上昇や冷却中・冷却後の上昇に伴うものと考えるのが自然でしょう.しかし,新第三系分布域にも連続しているというのはどう考えたらよいのでしょうか? そういったことに言及した論文・報告は私の知る限りなく,要するに分かりません.
地質図Navi などを見ると分かるように,北上山地の地質図では暗黙の了解として『断層は花崗岩体を切断しない』ように描かれています(極めて少数の例外を除く).それが誤りであることは,この地形陰影図に現れたリニアメントを見ると明白なのではないでしょうか.折爪断層を考えるまでもなく,北上山地内部に『前期白亜紀花崗岩貫入以降の断層が無い』はずはありません.
※ 自分でこういうことを言うのも変ですが,これは北上山地で従来行われていた “野外地質手法” の限界ではないかと思われます.現在はどうなのか分かりませんが...私の知る限り1970-1990 年代当時は,野外地質調査の前・後に広域的・地域的な地形特徴を確認し考慮するということはまずありませんでした.というか,その手法自体が(紙印刷の地形図を見る以外に)無かったので,そういうことに思い当たることがそもそも無かったということになるでしょう.
私自身,1970-80 年代の北上古生層調査中に地形について検討したということはありませんし,誰かからそういうサジェスチョンを受けたという記憶もありません.要するに『そういうことは誰もいっさい考えてもいなかった』のです.