扇状地の魅惑 Alluvial Fan Fascination
川村信人(北海道総合地質学研究センター)
白状すると,私は『扇状地フリーク(fan-freak)』です.扇状地オタクと言っても良いのかも.もっとも,本当のオタクのように扇状地について専門家よりも異常に詳しいというほどのものではなく,単に好きなだけです.なんでそうなんだろう,と考えてみるのですが,理由は不明です.カシミール3Dのアーティクルに書いたように“最大の可視的な堆積システム”というのが魅かれるポイントなのかもしれません.
このフリークとしての立場から,『扇状地(alluvial fan』というものについて,あれこれ探索してみたいというのが,このアーティクルのテーマです.
まずは,カシミール3Dのページでも触れた岩手県北上平野南西部にある胆沢扇状地についてのあれこれ.
胆沢扇状地 (Isawa Fan) は,奥羽山脈に源流を持つ胆沢川が北上平野に流入するところに形成された日本最大の扇状地(の一つ?)です.まずは全体像が分かりやすいように,Google Earth 画像を示しておきます.
扇頂部から扇端部までの差し渡し(“扇” の半径)が 21 km,扇頂部と扇端部の標高差が 200 m あります.ということは,扇状地面の平均斜度は約 0.5 度ということになります.
日本国内ではおそらくこれに匹敵する扇状地が発達するのは富山平野で,その中でも黒部川扇状地・常願寺川扇状地が最大ではないかと思われますが,正確なサイズ比較は私にはちょっとできません.分かる範囲ですが,黒部川扇状地は扇頂部から扇端部まで最大で 13 km,標高差は 120 m でした.したがって,平均傾斜は胆沢扇状地とほぼ同じです.
ところが...“可視的”と最初に書きましたけど,では私たちがこの魅惑的な巨大堆積システムを簡単にこの目で一望できるのかというと,必ずしもそうではありません.
これは,千歳-東京便のジェット旅客機の窓から撮った胆沢扇状地です.姪の結婚式に行くというものなので,もちろん胆沢扇状地についてはなんの心の準備もなく,あっ!見える!!と慌ててコンデジ取り出してシャッター切ったものです.カメラの画質も最低ですが,大気エアロゾルによる霞みと浮かんだ雲で,まともな写真にはなりませんでした.左の写真はそのボケボケ霞んだ写真から最新技術(?)を使って,無理やりレタッチしたものです.
しかし,現実はこんなものです.胆沢扇状地の東側には北上山地があるわけですが,高い山はないので,そこから真正面に,というわけにもなかなかいきません.写真の向かって右奥には束稲山(595 m)があってクルマで登れますが,そこからのビューはどんなものなんだろう? あと真正面には大鉢森山(633 m)がありますが,アプローチがないので直登するしか...この二つの山頂からのビューをカシバードでシミュレートしてみましたが,俯角がまったく足りずダメでした.だいぶ昔の話ですが,某学会から『胆沢扇状地を展望したいい写真ないですか?』と言われて,正面の正法寺付近の林道から狙ってみたことがあるのですが,当然のことながら全然ダメでした.
ということで,胆沢扇状地をカシミール3Dで陰影図にしてみると下のようになります.実はこれはカシミール3Dの機能の一つであるカシバードを使っています.俯角を -90 度にすると,真上から見下ろした疑似オルソ画像となることを利用しています.
Google Earth 画像では建物や土地利用の模様により,地形特徴や起伏が多少見にくくなりますが,カシミール画像ではそういうノイズが無いので,実に良く扇状地の地形を眺めることができます.
まず,北上川による胆沢扇状地扇端部の浸食が非常によく示されています.胆沢扇状地の北側には,相対的に小規模ないくつかの扇状地があり,接合扇状地(coalesced fan)を形成しているのが良く分かります.さらに,胆沢扇状地の中ほどに弱く折れ曲がった南北方向の段差?があるのも気になります.これについては後にもう少し述べます.
また,扇状地の中には,幅狭く扇状に重なる地形面が見えています.その上面は南ほど標高が高く,より開析されているようです.このへんがもう少し見やすいように,段彩パレットをちょっといじくってやると下左図のようになりました.
なんだかフラクタル集合の画像みたいで surreal なものになってしまいましたが,胆沢扇状地のマクロな地形特徴がより見やすくなっています.どうでしょう.
まず,扇状地内部の扇状パターンが非常によく分かります.実はこれは数段の河岸段丘地形と言われています.胆沢川の流路が海水準の低下(=基準浸食面の低下)とともに北に移動して行って,このような構造が形成されたものです.もちろんこの地域の構造的上昇という要素もあるのかも.その場合,基準浸食面の低下は“相対的な”ということになりますが.いずれにせよ,標高の高い南側の地形面ほど年代が古くなるので,より開析されているということになります.
これらの地形区分スキームについては,胆沢ダム工事事務所HPに掲載されているものが分かり易いので,それを元に編集したものを上図右に示します.もっとも南側の開析の進んだ段丘面は一首坂(なんと読むんでしょう?)段丘と呼ばれています.
ちょっとページが長くなってしまうのでどうかな?とは思いましたが,頑張って作ったものなので,ここで『胆沢扇状地3態』を,しかも Google Earth 版とカシミール3D(カシバード)版を一挙掲載してしまいます.左から;正面俯瞰,斜め俯瞰,背面俯瞰,です.私のスキル的な問題により, Google Earth とカシミールとで完全に同等のビューにはなっていませんが,ご容赦.
この扇状地の私的な『ベストアングル』は,やはり斜め俯瞰です.下にカシミール3Dによる俯瞰画像をちょっとレタッチして大きめの表示で上げておきます.視点は奥州市北縁部から南西を見たものです.
シビレますね.このような画像の作成を可能にしてくれるカシミール3Dには,感謝してもしきれません.上に書いた胆沢扇状地とその周辺のさまざまな地形特徴はすべて,この画像でもよく表現されています.何度見ても見飽きません.どろりと流れ出したような扇状地の質感がたまりません.使用した DEM データは 10 mメッシュなので,よく見るとちょっと粗が目立ちますが,まあ大したことはない.
ちなみに画面左上端の山は束稲(たばしね)山で,私にはなんとなく思い入れのある山です.亡くなったSF作家の光瀬龍さんがこのへんの出身だったかと.その対岸が世界遺産(中尊寺など)で有名な平泉になります.
上に “ちょっと粗が” と書きましたが,それじゃ,とすぐに思いつくのは『 5 m メッシュならどうなんだろう?』ということになります.単純に 5 m メッシュだとデータ量は 4 倍になりますので,自分で面倒なデータ処理を新たにやるべきかどうかちょっと判断できなかったので,とりあえず国土地理院提供の DEM ビューア FGDV で表示させてみました.
5 mメッシュ DEM の,このすさまじいばかりの表現力...東北自動車道のトレースまではっきり見えています.恐れ入りました.しかし返す返すも残念なのは『欠損データ部分』です.これはどこかにも書きましたが,国土地理院 5 m DEM の一番のデメリットです.おそらくレーザ測量で得られた LiDAR データだと思いますが,国土交通省データは道路や川の周辺に限定されている場合が多く,少なくとも私がゲットした時点では『全国津々浦々遍く』というわけにはなっていませんでした.オタクとしては早期のデータ充実を望むばかりです.それにしても上の胆沢扇状地の上部付近にある台形・三角形のデータ欠損はどうしたことなんでしょうか? これは国土地理院提供の DEM データをそのまま表示しているだけですから,まさか元データ作成時のミスじゃないですよね...
ということで,この 5 m DEM をカシミールや Surfer にデータ変換して取り込んで可視化したり,自前コードで解析処理を行う企ては,当分の間頓挫しています.
最後に,胆沢扇状地上およびその周辺に見える『ヘンなもの』について軽く触れておきたいと思います.断っておきますが,これは地形素人である私の気のせいかもしれないし,逆に “みんなもうとっくに知っていること” なのかもしれません.しかしどこを探してもこういうことに触れたものが見当たらないので,半信半疑ですが思い切って上げてみることにします.下図左に示したのは,既にお見せした胆沢扇状地の垂直俯瞰図です.なにかヘンなものが見えます...
まずすごく気になるのは,扇状地の中央部を走る弱く折れ曲がった南北方向の段差地形です(赤矢印).段差はもちろん東下がりです.“落差” は 5 m 以下だと思います.これは(変位センスがなんだか違うような気もしますが)活断層である“出店(でだな)断層”の位置とほぼ一致しているように見えるので,興味深いところです.出店断層の北方延長部には同じく天狗森断層がありますが,それに相当する東に湾曲したリニアメントがはっきりと見えます(青矢印).
胆沢扇状地の北方には,見事な接合扇状地が発達しているのですが,その中央部には,よく見ると南北方向の“非対称なナマコ状の”撓曲地形と思しきものが2(~3?)本ほど見えている(黄色点線楕円)のですが,考えすぎでしょうか? 地震本部の活断層図では,天狗森断層の西方に多数の断層地形群が図示されているので,これに相当するのではないのかな?と思っています.
ちょっと話が脇に逸れますが,右にあげた写真はかなり昔にフィルムで撮ったもので,スキャン設定をケチっていて画質が極めて悪いのですが,露頭の前に堆積した土砂が,扇状地のほぼすべての特性・特徴を備えています.いったいどこで撮ったものだったのか...デジタルと GPS の時代のはるか前のことなのでもはや(記憶の外で)分かりません.後ろの露頭は新第三紀堆積岩みたいなので,厚田のあたりだったか...羽幌方面か??
要するに,私たちが林道とか海岸とか土取り場とか,そういうところを野外調査で歩いてるとこういう類のものは普通に見ることができるわけです.扇状地はおそらく“スケール非依存(scale-independent)”のシステムで,重層的なスケール階層性を持っていますが,その一番小さなスケール階層では,このようなミニチュアを見ることができるということになります.私はこれを『箱庭扇状地(miniascape fan)』と勝手に呼んで楽しんでいます.
手持ちの箱庭扇状地の写真はけっこういろいろあるのですが,他人に見せられるようなものはこの2枚しかありません.いずれもデジタル以前のフィルム写真を低解像度でスキャンしたものです.左はどこか道南地方の土取り場で撮ったものだと記憶していますが,これは扇状地というよりは,もっとスケールが大きくて『山地と平野のミニチュア』と言うべきものかも.もちろん山地斜面の foot には扇状地が形成されていますが.この写真は,言われなければ,どこか植生に乏しい乾燥地帯の山脈と平野を高高度から撮った写真だと思ってしまうかもしれませんね.右は上にあげた写真に説明を付けたものですが,コンパクトですけど,扇状地形成の鍵である溢れ出し流路や溢れ出しローブが見事に見えています.
扇状地システムがスケール非依存性や,ある場合には自己相似性(self-affinity)を持っている,つまりフラクタル的性質を持つということの科学的意味は,例によって『私には皆目分かりません』.
さて,ここまで扇状地フリークを自称・自認すると,ちょっとほかの場所へも探索の眼を広げたくなります.胆沢扇状地が日本最大の扇状地であることは既に述べたので...それでは『日本一美しい扇状地』なんかはどうでしょう? と言っても,私自身に日本全国くまなくの情報があるわけじゃまったくないので,あくまでも “ちょっと探索してみたら” という話です.それは山梨県甲府盆地東部,甲州市(旧勝沼町)と笛吹市の境界にある『京戸川扇状地』です.
なお,この扇状地を『石和扇状地』と呼んでいる文献・サイトもあるのですが,どちらが本当なのか確認は取れていません.石和というのは,扇状地の先端から北西へかなり離れたところの町名なので,なんか違うみたいな.扇状地を作った川は明らかに京戸川ですので,やっぱり京戸川扇状地なのでは...胆沢川の扇状地が胆沢扇状地なので,京戸扇状地?!
この地形図を見るとお分かりのように,京戸川扇状地は小粒ですが実に “端正な” 扇状地です.形が本当に美しく,ほれぼれします.現在はど真ん中を高速道路が通っているのが少し残念なような気もします.
規模は,胆沢扇状地や黒部川扇状地のそれには遠く及びませんが,コンパクトで端正な扇状地の形には強く惹かれるものがあります.扇頂-扇端の差し渡しは約 2 km,標高差は 200 m あります.扇端部は言うまでもなく人工的な土地改変で不明瞭です.もう少し大きいかもしれません.
この数字を見てお分かりのように,差し渡しは胆沢扇状地の 1/10 以下ですが,標高差はほとんど同じです.つまり傾斜が非常に急な扇状地ということになります.この急な斜面上に,“勝沼” の地名からすぐに想像できますが,ブドウ畑が広がっています.これを Google Earth で見ると右下のような感じです.
あと,国土地理院の基盤地図情報 5 m メッシュ DEM から自作プログラムでデータ変換し,Surfer で視覚化した3Dレリーフ図を下に示しておきます.この手法で作った3D図は,独特な雰囲気を作っていてしかも多彩なパラメータを変更できるので,私は非常に好きです.胆沢扇状地でもこれをやりたかったのですが,データ欠損が...という話を書きましたが,実はこの図も,よ~く見るとデータ欠損部があります(涙).
最後に蛇足ですが,実はここは,北大在職時に某自然科学実験の資料作成のため,2006年3月に実際に現地を訪れています.上の俯瞰図のような高度からはもちろん無理としても,盆地の対岸の丘陵地あたりから良い写真が撮れるのを期待していたんですが...残念ながら,おりしも関東地方は激しい黄砂に見舞われていました.
これが,この時に撮影した京戸川扇状地の正面像です.画質が悪いですね.ノイズでザラザラ,色もなにかヘン.2006 年ころの 600 万画素デジタル一眼の画質ってこんなものなんでしょうか? おまけに肝心の京戸川扇状地の左側が切れています.撮影地点は,甲府盆地対岸の “笛吹フルーツ公園” で,直線距離は約 7.6 km です.
実はこの 7.6 km という距離と黄砂の影響が致命的で,望遠レンズで撮影した写真は青く霞み,何が写っているか分からないようなものでした(下右写真).
ほんとうに何が写っているか分かりません.扇状地の左が切れてしまったのは,あまりに霞んでいてどこまでが扇状地なのかファインダーではよく分からなかったためです.ほとんど勘で撮ったというか.
これをどうやって上のような写真に仕上げたかはもはや覚えていないのですが,せっかく札幌から大枚の旅費使って甲府まで出かけて『写真ぜんぜんダメでした』では済まないので...レベル調整・トーン調整・ノイズ除去,その他もろもろ.必死でした.よくここまで持ってこれたものだと自分ながら感心します.
この時撮影した,京戸川扇状地の側面像パノラマです.中央に見えるこんもりした傾斜地がそれですが,扇状地のこういう姿を捉えたのは結構珍しいと自負します.この写真は,昼食を取った “ぶどうの丘” から偶然見えていたので,やったねと望遠レンズで撮影しました.空に煙が漂っているように見えるのはもちろん,激しい黄砂です.
こういうアングルで見ると,京戸川扇状地の傾斜の急さがよく分かると思います.扇状地上部で傾斜が 6.5 度,扇端部の近いところで 5.2 度と,胆沢扇状地のような大規模扇状地と比べると,一桁違う傾斜を持っています.扇状地の扇端(右側)はこの写真には納まっていません.このパノラマの 1.5 倍近く右側まで達していたと思います.なんでちゃんとそこまで撮らなかったのかは...謎です.この扇状地の横顔をカシミール3Dの断面作成機能で描いてみるとこうなります.
素晴らしい機能です.地質・地形屋にとってこんな便利なものはありません.昔は断面図って地図の等高線使って手で描いていたんですから...でも,上のパノラマ写真とは左右が逆になっています.すみません.国道 20 号線を越えたところに変曲点があり,おそらくここが扇端部と思われます.パノラマ写真では,高速道を越えたあたりで傾斜が少し緩くなるように見えますが,この断面図でははっきりしません.
『推定底面線』というのは,根拠のない,いい加減なものです.京戸川の扇頂付近の河川部の傾斜と扇端から下の平野部の傾斜で二本の傾斜線を引き,それを結合してスムースにしただけのものです.この点線から上が扇状地堆積体ということになります.扇状地の底面というのは,実際どうなっているかはボーリングでも打たない限り分からないわけですが...まあ,当たらずと雖も遠からず,ではないでしょうか?
(2021/05/26)