世田米地域地質図ライブラリ

    

はじめに

 このライブラリには,1970-1980 年代に私が世田米地域の下部石炭系の層序と岩相を検討した時の基礎データ:地質図・断面図・ルート別柱状図・模式柱状図を掲載します.
 これらの図は,川村(1985a,b,c)に公表されたものの原図からデジタイズ・編集されたものです.その取得・編集方法は以下の通りです.①~③が “デジタル化以前” のものです.

① 大型トレース紙に手描きされた原図(A1 サイズ?)の縮小コピーを,業務用コピーサービスにより作成.

② 縮小コピーの必要部分に色鉛筆により彩色.

③ マクロレンズ装着の一眼レフカメラによりリバーサルフィルムに撮影.

④ フィルムスキャナによりデジタル化.

⑤ デジタル画像の解像度をAIリサイズソフトを使用して長辺 5120 ピクセル程度に高解像度化.

 ここには,いくつもの問題があります.まず②ですが,なぜ色鉛筆なんでしょうか? そのために,彩色した部分ではハッチ・パターンが随所で彩色により潰れてしまいました.我ながら意図不明の愚かなことをしたと思いますが,当時はそれしか選択肢が無かったんでしょう.覆水盆に返らず.③では,もちろんフラッドライトと撮影スタンドを使用してレリーズ撮影しましたが,照明の照度・色むらばかりか,わずかなパース(・像面湾曲)も生じてしまいました.④では,リバーサルフィルムの限界と当時(2000年代初め)のハードウェア環境の貧弱さにより,最大でも長辺ピクセル数が 1600 ピクセルと非常に低解像度のものになっています.そのため,細かな塗分け部やハッチ・パターンが潰れています.それを⑤で可能な限り高解像度化・復元処理しましたが,潰れてしまったパターンを復元できるわけではありません.
 原図は,もちろんすべて私の手元にありますが,それをデジタル化する設備も手段も,もはや私にはありません.可能な限りさまざまなデジタル復元処理を施しましたが,結局は artifact だらけで,クォリティまで復元できたわけではありません.

 ということで,このライブラリは,自分の基礎データをこれで詳細に検討して欲しいという意図で用意したのではありません.本編に記述した世田米地域下部石炭系についてのあれこれを支える基礎地質データが実際どの程度のものだったのかをイメージ的に示しておきたいだけです.その点をご了解ください.


インデックス

掲載地域の範囲位置図.地形図は国土地理院地図による.

 右に,このライブラリに掲載した地質図等の地域範囲をインデックス図として示しました.

 原版(川村,1985a,b,c で公表)の地質図・柱状図中にある地名略号は以下のようになっています.1980年代当時のミスかどうかは分かりませんが,同一地名に異なる略号が割り付けられていたり,その逆に異なる地名に同一の略号が割り付けられている場合があります.各論文ごとに独立していたのかもしれませんが,これを修正するのは大変だし,あまりたいした意味はないので,そのまま下に列挙しておきます.


Hi:火の土川(Riv. Hinotsuchi-gawa),Fk:袋沢(Fukuro-sawa),Ha:橋の上(Hashinokami),In:犬頭山(Mt. Inugasira-yama),Jm:十文字(Jumonji),Ka:加労山(Mt. Karo-yama),Ke:気仙川(Riv. Kesen-gawa),Kf:小府金(Kofugane),Kg:川口(Kawaguchi),Km:小股(Komata),Km:小股川(Riv. Komata-gawa),Kn:小仁倉沢(Konikura-sawa),Ko:小股(Komata),Ko:小仁倉沢(Konikura-sawa),Ko:小坪沢(Kotsubo-zawa),Kr:加労沢(Karo-sawa),Ks:柏里(Kashiwari),Ma:的場(Matoba),Md:舞出(Maide),Me:女火山(Mt. Membi-yama),Na:名城沢(Nashiro-zawa),Ne:猫の沢(Neko-no-sawa),Nk:中上(Nakagami),Od:生出峠(Oide-toge),Od:大平山(Mt. Odaira-yama),Oi:生出川(Riv. Oide-gawa),Ok:奥火の土(Okuhinotsuchi),Om:大股(Omata),Om:大股川(Riv. Omata-gawa),Or:折壁(Orikabe),Ot:大股(Omata),Se:世田米(Setamai),Sh:尻高沢(Shittaka-zawa),Sh:清水(Shizu),Sk:下柏里(Shimokashiwari),Ta:高瀬(Takase),Ta:平貝(Tairagai),Tk:鷹取山(Mt. Takatsuto-yama),Tk:田ノ上(Tanokami),Un:畷畑(Unehata),Yo:横川(Riv. Yokokawa)

注)小坪沢・小仁倉沢については,それぞれ Otsubo-sawa, Onikura-sawa という読みとするものがある.それが地域的には正しいのかもしれないが,当時の研究界隈での読みとしてそうだった(kotsuboensis という化石種名もある)ということで,あえてそのままとしている.


踏査ルート図

各地域踏査ルート図-その1.左:加労沢~火の土~柏里地域.右:横田地域.
各地域地質図-その2.下有住地域.
各地域地質図-その3.大股~生出地域.

 1970-1980 年代当時私が行った世田米地域下部石炭系調査の “密度” を示すために,踏査ルート図を示します.もちろん赤インクの線が踏査ルート線です.調査地域の内部ではすべての線が閉じているというのは,我ながら凄いです.ベースになっているのは当時の国土地理院発行2万5千分の1地形図(のコピー)です.地図もコピーも,まだ白黒でした.

 いずれの図も,書棚の中に埋もれてから 40 年以上を経過しており,ある意味では(赤インクなど)よく残っていたものだと思われるほどです.折り目は当然として,図の中に見える醜い茶色い汚れは,コピー用紙を貼り合わせるのに使った接着剤が変質したものです.Photoshop によるレタッチで可能な限り薄くしましたが,折り目と同様にこれが限界です.
 その3に見えている四角形の汚れは,記入ミスがあったため,そこを切り取って下から新しい地形図コピーを貼り付けて描き直したもので,当時のアナログ時代の象徴です.

 見れば分かるように,当時の私の調査は,道路・林道・川だけではなく,少なくとも2万5千分の1地形図で認識できるほとんどすべての沢型とその間の小尾根を歩いています.
 それは自分になんらかの確固たる地質調査ポリシーがあったためではなく,当時の北大地鉱第2講座のやり方をそのまま(無批判に?)踏襲したものでした.それによって南部北上古生層の地質分布や層序を,その “空間周波数” 以上の精度で正確に把握できたと胸を張れるようなものではありませんが,少なくとも『これ以上は誰にも無理』と言えるほど南部北上を歩き露頭を見ることができたとは思っています.
 惜しむらくは,当時の私の地層や堆積構造や岩相を見る目が十分に成熟していたとは思われないことですが,それは今でもそうなので,言っても詮無いことでしょう.

 この調査から 40 年以上...その間,これらを overcome するような南部北上下部石炭系の調査研究が行われていない(ような)のは,実に残念なことです.


地質図

 右に地質図の統合凡例を示します.キャプションはすべて英語になっていますが,これは公表論文でそうなっているということです.日本語化しても良いのですが,ここ見るだろう人の素性を考えると,あまり意味はないので.

 断っておくと,この凡例ハッチングパターンは,下に掲載した地質図(・断面図)に使われているものそのままではありません.『いかにもそのように見える』ように,ドローソフトで適当に似せて描いたものです.したがって,パターンの形状やスケール・線の太さなど,よく見ると全然違っています.私のスキルと,ハッチングパターン機能の無い使用ドローソフト(Affinity Designer)の限界です.


各地域地質図-その1.左:火の土~柏里地域.右:横田地域.
各地域地質図-その2.下有住地域.

 これらの...


各地域地質図-その3.左:加労沢地域.右:大股~生出地域.

断面図

各地域断面図-その1.左:火の土~柏里地域.右:下有住地域.
各地域断面図-その2.横田地域.

 断面図の凡例(・塗分け)は地質図と共通になっています.

 元図は地質図の横に描いた水平:垂直=1:1のものですが,掲載した図はそこから切り出したものです.もちろん地質図と同じ縮尺で描かれたものですが,このページでは構成上の都合で表示が縮小されています.
 垂直・平行であるべき断面左右線が傾いているように見える部分がありますが,撮影時の傾きだけではなく,パースによる歪みも入っています.Photoshop である程度ジオメトリ修正していますが,完全には取り切れませんでした.

 なお,加労沢地域の加労沢層は,他の部分・地層と違って地層傾斜が水平に近いものになっていますが,これは偽傾斜ではなくほぼ真の傾斜です.南北走向・急傾斜が卓越する南部北上古生層としてはちょっと特徴的なものです.


各地域断面図-その3.左:加労沢地域.右:大股~生出地域.

各ルート柱状図

 各ルート柱状図の統合凡例を右に示します.ハッチングパターンは地質図のそれと同じく,柱状図中のそれに似せて作っただけです.一応,カテゴリーごとにまとめたものになっています.

 なお,Symbols として化石産出層準のほかに火山豆石層準が描かれています(加労沢~生出地域のみ).なぜこれだけを特別視して柱状図に描き加えたのかは,自分でもよく分かりません.


 柱状図中の化石略号は以下の通りです(属名のみ).


Am: Amplexus, Ar: Arachnolasma, Di: Dibunophyllum, He: Heterophyllia, Ko: “Koninckophyllum”, Ku: Kueichouphyllum, Lp: Leptagonia, Sg: Sugiyamaella, Si: Siphonodendron, Sp: Spirifer, Sy: Syringopora.


各地域ルート柱状図-その1.火の土~柏里地域.
各地域ルート柱状図-その2.下有住地域.

 これらの各ルート別柱状図は,ある意味で真の基礎地質データです.要するにルートマップを傾斜換算した上で縦に起こしたものですから.そこが,ある意味『外挿・補完・解釈・抽象』図である地質図や断面図とは根本的に異なる点です.もちろん(地質学なので),これが完全に客観的な生データとは言い切れないところがありますが.

 そういう意味で,私はこのようなルート別柱状図の提示されない地質図や層序解釈は,(少なくとも南部北上古生層に関しては)あまり信用していません.じゃあ,私のここで掲載した地質図は信用できるのかというと...そんなわけでもないですが.


各地域ルート柱状図-その3.横田地域.
各地域ルート柱状図-その4.加労沢~大股~生出地域.

模式柱状図

各地域模式柱状図.左:火の土~柏里・下有住地域.中:横田地域.右:加労沢・大股~生出地域.

 模式柱状図の特定の岩相上のシェードの色は,地質図の凡例と共通になっています.

 この『模式柱状図』というやつですが...地層論文ではよく使われますが,先に示した各ルート別柱状図がある程度客観的な基礎データなのとは真逆で,著しい主観表現です.口の悪い人だったら『単なる絵』と言ってしまうでしょう.しかし,調査・研究した人間がこれらの地層をどう見ているのかを手っ取り早く理解するには非常に分かりやすい表現形式だと思います.
 世田米地域石炭系の模式柱状図としては,川村・川村(1989a)のものがありますが,あちらは私ではない川村さんが描かれたもので,その精細な表現は非常に印象的です.私は自他ともに認めるB型(いい加減,とも言う)人間ですが,そういうところが上の柱状図には明瞭に現れています.


(2024/02/dd公開)



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