恩師-加藤誠先生について
私の恩師である加藤誠先生が2022年6月に亡くなられました.御年は90歳だったと思います.この黒歴史ページの中では,ご本名で書いたところもありますが,『Km先生』と書いたところもあります.特に深い意味はないのですが.
で,加藤先生は,私の本当の意味の,かつ唯一の恩師でした.北大地鉱で博士課程に進学できたのは,あとのページで書いたように,偶然の化石発見の賜物でしたが,その後博士号を取得し,北大地鉱教室で研究者としての身分が与えられその職をまっとうできたのは,ひとえに加藤先生が私に期待をかけていただいたことによるものです.まさに私の人生を作っていただいたわけで,感謝してもしきれません.
しかし,じゃあ私がその期待にふさわしい人間であったかというと...この黒歴史に書いた通りです.まったくダメでした.これは加藤先生の口から直接聞いたことですが,先生は『自分の専門(古生物学)の研究者を後継にすべきであった』という後悔の念を持たれていました.私は,なんと加藤先生が北大地鉱教室スタッフとして採用した最初で最後の人間なのです.それを考えると私としては,なんとも慚愧の念というか,首を垂れるしかありません.
加藤先生から頂いた年賀状には,毎年同じことが書かれていました.『南部北上古生層についてどんな形でもいいから,君がまとめて欲しい』...その期待には結局何も応えることができず,それを思うと自責・自己嫌悪で胸が潰れそうになります.
自分のデジタルライブラリの中を,加藤先生のなにか想い出になるものはないかと写真とか漁ってみましたが,『何もありません』でした.自分自身信じ難いのですが,不思議です.唯一見つかったのは,加藤先生とイドンナップ帯巡検に行った時の不鮮明な写真1枚だけでした.これは,黒歴史その5のページ(要パスワード)に掲載しました.
それ以外に残っているのは,『加藤先生にこういうこと言われたよな...』という淡い記憶のみです.これはいずれ書き記そうとは思っていますが,なにしろ高齢者記憶の薄さが...
※ 加藤先生の想い出は,思い出しながら書いてみると,きわめて個人的な偏ったものになってしまいました.読みようによってはアンフェアとも.おまけに非常に長いです.そのため,ワン(ツー?)クッション置いてアクセスしていただきたいので パスワード をかけています.IDとパスワードは,黒歴史シリーズ用と同じです.ということで勝手ながら,これに同意される方のみ,お読みください.
実は,某氏から地質学雑誌に掲載する追悼文の執筆を持ち掛けられたのですが,『他に適当な方がいる』という理由で断ってしまいました.なんとも罰当たりな“弟子”ですね...しかし,加藤先生が私のことを本音でどう思っていたかを考えると,とてもそういうものを偉そうに書く勇気は出ませんでした.
加藤先生,安らかにお眠りください.私も近いうちにそちらに行きますので.その時は,“どこかに逝ってしまった”あの懐かしい『南部北上古生層コンパイル地質図』を,私にももう一度見せてください.
(2022/08)