北大の石碑の岩石学「聖蹟碑」


 北大のシンボル,クラーク像のちょうど交差点をはさんだ斜め向かいの角には,不思議な形に配列した石碑があります(写真).まわりが緑に囲まれているためあまり目立ちませんが,実はこの石碑の石材は,地質学的に非常に貴重なものです.



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注)今年5月に亡くなられた渡辺暉夫教授が,学生を引率してこの石碑の岩石を説明しているのを何度か見かけたことがある.おそらく一般教育科目の野外授業だったのだろう...今にして思うことであるが,渡辺教授から,この石碑の岩石学のレクチャを聞いておきたかった,と思う.私は岩石学が専門というわけではないので,以下に書いてあることは,もしかすると,渡辺教授から叱られるようなことなのかもしれない...
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 北大ホームページには,北大構内の石碑についての紹介ページがありますが,そこにはこの石碑について『聖蹟碑(昭和12/3/31設置).材質:日高産の柘榴石』と記されています.「柘榴石」というのは鉱物名であって,石の種類をあらわすものではないので,これだけではなんのことか分かりません.「日高産の柘榴石」とは正確にはどういう石材(岩石)なのでしょうか? 一方『北大キャンパスの草わけ』には,この石材の由来として「日高の蓬莱山から切り出した」とあり,具体的な産地が書かれています.「蓬莱山」とは,どこにあるどんな山なのでしょうか...?

 日高海岸地方・三石町の中心街を抜けたところで国道を左折し三石川に沿って少し行くと,町民パークゴルフ場が見えてきます.その背後に,山水画のように木々をのせた小さな岩山がそびえています(写真).これが蓬莱山です.



 蓬莱山は,周囲のなだらかな里山の中に突出した岩山です.このような地形は,風化に対する抵抗性や硬さが周囲とは著しく異なる岩石がその場所に存在することを示しています.その状況は,地質図幅『三石』を見るとすぐに理解することができます.この場所には,新第三紀の地層を切断する断層帯である三石断層が海岸線にほぼ平行に走っています.新第三系の下には『神居古潭帯』の変成岩と蛇紋岩が潜在しており,それらが断層に沿って幅狭く押し出されて,蓬莱山を形作っていたのです.
 蓬莱山のふもとに近寄ってみると,それは角閃岩からできていることがわかります.蓬莱山の角閃岩は,地質図幅『三石』(和田ほか,1992)によるとリーベック閃石などの高圧変成鉱物を含んでいます.またザクロ石角閃岩の岩体も報告されています.

 それでは聖蹟碑に戻って,その石材を見てみましょう.石材の大部分は,かなり粗粒の緑レン石角閃岩からなっています.良く見るとその中に鮮やかな紅い色をしたザクロ石結晶が認められます(写真).


 このザクロ石角閃岩には,シリカ分に富んだ灰色の層と細粒のザクロ石を含む赤味がかった層の互層部が含まれます(下写真の上).その全体が角閃岩の中でブーダンを示す部分もあります.赤色層には,かなり大きな磁鉄鉱結晶(下写真の下)を含む部分があります.このような互層は,角閃岩の源岩である玄武岩が噴出した直後の海底での温泉・熱水作用による鉄分とシリカ分に富む沈殿物を起源としたものの可能性があります.同様なものは,北上山地西縁部の高圧変成岩である母体変成岩の角閃岩中にも報告されており,興味深いといえます.




 聖蹟碑の角閃岩の中に実際に高圧変成鉱物があるかどうかは確認されていませんい.このことを確認するためには,聖蹟碑の石材の一部を切断してプレパラートにし,岩石顕微鏡で観察する必要があります.しかし,聖蹟碑の角閃岩は,白雲母を含んでいることが肉眼で確認されます.岩石学的な詳しいことは不明ですが,このような含白雲母角閃岩は,いくつかの高圧変成帯から報告されており,聖蹟碑の角閃岩が高圧変成作用を受けたものである可能性を示唆しています.
 ザクロ石角閃岩のような高い変成度の岩石は神居古潭帯では非常に珍しいもので,蓬莱山とその周辺でしか見つかっていません.つまり,聖蹟碑の「柘榴石」は,たしかに蓬莱山から切り出された『磁鉄鉱・ザクロ石角閃岩』だったということになります.

 神居古潭帯は中生代白亜紀(ほぼ1億年前)に北海道中央部で海洋プレートが東からアジア大陸のへりに沈み込むことによって形成された付加体です.北海道中央部には白亜紀の付加体が広く分布しているが,神居古潭帯はその中でも,地下10 km付近という深いところで形成された高圧変成地質体です.蓬莱山の周りでも,このタイプの角閃岩は石材として採取しつくされてしまい,現在はほとんど見ることができなくなったと聞いています.その意味で,聖蹟碑の石材は,北海道の地殻深部の岩石を示す,地質学的に非常に貴重な記録ということができるでしょう.

(2002/11/29)

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