60年前の地質屋たち




 このセピア色した写真は,有名な樺太のデスモスチルスの発見場所です.気屯の奥で,『初雪沢第四号堤』とされているところです.時は昭和6年10月か? 秋の気配が濃厚な白樺を主体とした山は,北海道にそっくりです.当たり前か.
 下の写真もそうですが,これらの写真は故湊先生の手元で長らく保存されていたものらしく,“第2講座”出身の方ならば多くがご存じと思いますが,最近は『4階実験室』に安置(と言っちゃいけないんでしょうけど)されていました.で,北大博物館のいわゆる“モデル展示”で,地球科学関係が先行して展示されることになり,このような写真も長年の埃を払って,我々の目に触れるようになったわけです.

 いきさつはどうでも良いとして,私がその準備作業中に目にして,脳裏を離れなくなってしまったのは下の写真です.



 おそらく,デスモ発掘現場の下流にでもあった造林小屋かなんかの中なんでしょうか? 右から二人目がこの化石を記載された長尾巧教授です.その右は植物化石がご専門だった大石三郎助教授.左のお二人も北大理学部関係の方だとは思いますが,まだお名前を確認していません(下注).大石助教授はゲートルを巻いたままの姿ですので,発掘現場から戻った直後か.光線の差し込み具合からは,かなり太陽が低いように見えます.あるいはこれから出かける朝方の撮影かもしれません.
 ちゃぶ台?の上には,お茶筒のようなものと缶詰? そして地質屋には定番の酒瓶が.この形はウィスキーなんでしょうか.その右側にはなんとドロップの缶が見えます.左側の机の上には,野帳および調査かばんのようなもののほかに,写真乾板のようなもの?も見えています.

 実はいま,当時の発掘の状況を克明に記録した長尾教授の野帳を“解読”する作業をこつこつと進めています.かなりの“ご達筆”で (^^; 解読はなかなか困難をきわめていますが,その内容は,地質研究者には非常に興味深いものです.
 例えば,デスモの骨格を川底の岩塊から確認した夜は『牛肉大和煮とウィスキーとアスパラガスで乾杯した』とか『お役人の来訪をパイナップルで歓待した』とか『大泊から気屯まで深夜ハイヤーを飛ばして移動した』とか...それに,発掘現場の彩色見取り図などもあります.いずれは,ご遺族からのご了解を得て,博物館報告(て,あるのか?)あたりに公表したいと考えています.

 なんと言いますか...『酒瓶を前にした地質屋の肖像は,いつの時代もあまり変わらないものである』というか,『変わって欲しくないものだ』と思っている昨今です.

(1999/09/21)

注) その後,このお二人は,左側が地鉱教室の石工室の増子新太郎さん,その右が,当時東北大学の学生さんだったという橋本亘さん(のちに北海道の中生層研究者として有名になった方です)と分かりました.謹んで加筆させていただきます.(2002/12/11)

付記: 理学部引越しのドサクサで,こんな写真も出てきましたので,ここに出しておきます.1938年3月,理学部正面玄関前の旧地鉱教室のメンバーです.前列中央右に長尾先生がいらっしゃいます.その右となりはなんと湊先生.その左後ろには舟橋先生も...これはどなたか(中央)の出征壮行なのでしょうか?(2002/12/25)
  その後,この方は,地鉱教室第九期卒業の夏井一郎さんであることが分かりました.二年目のフィールド「留萌幌糠地域」をやっている最中に赤紙を受けたということです.  *この情報は,地徳力さんからいただきました.(2003/05/18)

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