寓話:テクトニクス論は“大道芸”か?


 これはまた,なんとも...ようやるな我ながら.文体は明らかに芥川のパクリですね.もちろんこれは“エッセイ”ではなく,一種の小説(寓話)です.あと,下のテクトニクスのボカシ図は,当時文章に添えたものではなく,今回新たに入れたものです.ちなみにこれが何かというと...私のD論の中の“死屍累々”の一つです.あまりじっと見ないでね.:-p
 それにしても,こんな“小説”を仕事の合間に(当時,既に北大助手だったと思う)書くなんてヒマだったのかな.それとも,相当タマってたのか.(^^;
 某支部報に投稿したものですが,当時の某支部事務局の間でも,こんな匿名のを掲載してよいのかという議論があったとか...けっこうくだらないこと気にしたもんだな.
 これが掲載された支部報が配布されると,加藤誠先生が私のところにやってきて,『君だろ』てことで,なにか言われたような(怒られれたという意味ではありません ^^; )記憶があります.まあ,こんなこと書くの私しかいないんで,すぐにバレるわけですが.
 あと,内容はすべてフィクションとなってますが,“三重島弧”の話なんかは,現実のシンポでの話を脚色したものでした.
 ところで,この“小説”の中で『地鉱教室』が『地球科学教室』に改名されたというくだりがありますが,予言が当たりましたね.大学院重点化で学部部分が“地球科学科”となったのは1994年のことでした.  (2003/05/14)


匿名 希望

  **君は,英知大学理学部地球科学教室の大学院生である.彼は,その教室の第0講座に所属して地質の研究を続けている.“第0講座”は,正式な名称を構造地質学講座という.教官構成は,教授・助教授・助手各一名で,それなりに研究体制・スタッフは整っている.**君は去年,博士前期(修士)課程を無事終了して,現在博士後期課程の一年目である.大学院でこれからも地質の研究を続けて行く意志に曇りはないし,将来どのような職業についたとしても,地質学に対する興味を持ち続けていきたいと思っている.しかし,彼は最近なぜか憂欝なのである.それがどのようなものかを科学者らしく論理的に分析することはむずかしい.憂欝というものは非論理的なものなのだろうか.とすれば,非論理的なものに捉われるのは科学者としてあるまじきものではないかとも思う.しかしやっぱり,彼はなぜか憂欝なのである.

  地球科学教室は,3年前までは[地質学鉱物学教室]という長ったらしい名前だった.これを略すると[地鉱教室]という.この“鉱”の字のイメージがよろしくないというのが改名のきっかけだったという.**君も以前,生協で買物をしたときに所属を聞かれて,『“鉱”は“鉱物”の“鉱”』といっても生協のお姉さんには通じなかったという経験がある.どうやらこの専門分野のマイナーさやある種の産業のイメージと関係があるらしい.【地球大紀行】ならサマになるが,【地質鉱物大紀行】じゃ駄目のようだ.そんなことはどうでもよいことだが,問題は,彼の研究テーマなのである.
  彼は,博士前期課程で2年間,北高山脈のカンブリア−デボン系の構造地質学的研究を行った.この地域はいうまでもなく,☆☆列島最古の地層の分布しているところだが,その褶曲・変形構造の解析が主たるテーマだった.まさに彼の所属している講座の名にふさわしい研究テーマといえる.おもに半深海性タービダイト相からなるこれらの地層は,強い構造的変形作用を受けており,露頭条件の良さもあって,各種の見事な変形構造が随所で観察できる.その褶曲軸や劈開構造を野外で観察・測定し,統計的な解析をする,というのが彼の手法である.その解析から,北高山脈は早期中生代のきわめて短い時期に,右ずれセンスの横ずれ変形作用を受けていることが明らかになった.こういう(単純な)結論に至るまでには,ヤブ蚊や滝に悩まされた辛いフィールド調査,頭の痛くなるようなステレオ投影や統計計算プログラムの作成など多くの苦労があった.
  ところが,修士論文の発表期日が迫り,院生セミナーや講座検討会などで何度か成果報告をしてみると決ってぶつけられる言葉は,『それでどういうことになるのか?』といったものだった.この言葉には,少し補足語が必要である.つまり,『プレートテクトニクスの観点からみればどういうことになるのか?』ということなのである.その時期(早期中生代)に☆☆列島の東を通過中だったはずのコラ−パンナム海嶺( Kola - Pan'am Ridge)や,☆☆島弧背後でフィリップス縁海(Phillips Sea )を開きつつあったリフティングとのジオテクトニックな関係がどうであったか,といったことなのだろうと**君には思われたが,それは彼にはまだアクティブに評価できるようなことではなかった.もちろん,彼なりの漠然としたスペキュレーションはあったが…‥.
  そういったわけで,修士論文発表会では,検討結果およびそれから導き出される結論を述べ,その最後に“ Geotectonic Implications ” と題して,この構造地質学的検討が,どのような(プレートテクトニックな)意味合いを持つのかを予察的に述べた.その結果どういうわけか,彼の成果発表に関する質疑・応答は,この点に集中してしまった.それはそれで**君には嬉しいことではあったが,彼の気持ちは複雑だった.彼の検討結果などそっちのけで,当該時代に関する自らの“テクトニクス像”を滔々とまくしたてる教室スタッフの一人を見ていると,自分のやってきた仕事はこういう一点に収束されるだけなのかという疑問がわきあがってきた.
  議論の方向が自分のやった仕事の専門的な手続き・方法論からはるかにそれたせいもあり,発表が終わったという安心感からやや緊張を解きながら,**君は,『テクトニクス論は大道芸に似たり』という命題の卵を頭の隅でぼんやりと転がしていた.“大道芸”とはなんともレトロな語であるが,彼の弛緩・混乱した脳裏には,小さい頃に祭りの日の神社の境内でよく見た,でかい貝殻に入ったあやしげな血止め薬を賣る雪駄と腹巻のお兄さんや,The Rocking Rocks の傑作アルバム 『Exile on Main Street』のジャケット写真にあったテニスボールを三つ頬張った黒人などのイメージが,シャボン玉のようにぽかりぽかりと浮かんでいた.

  修士論文発表会から一年以上が過ぎ,**君は,博士後期課程入試も問題なく通過し,これからの長い(であろう)大学院・OD生活を覚悟していた.講座スタッフとも軽く相談し,博士論文の研究テーマは修士論文の延長線上に置くことにした.実は,この一年の間に北高山脈の地質に関しては大きな進展があった.それが自分の功績ではないのが**君には多少くやしいのだが,彼の修士論文フィールドのすぐ北の地域から,オルドビス紀化石を含む浅海性−河川性の地層が発見されたのである.彼が修士論文で扱ったカンブリア−デボン紀半深海性堆積物は,オフィオライトナップとともに,そのオルドビス系の上に衝上していた.その報告を見て,**君には思い当たる点があった.この地域の構造要素の特にミクロなものの中には,右横ずれ変位だけではなく,北にのし上げるような衝上運動を示唆するものがいくらかあったのである.修士論文の段階では資料不足ということで割愛したのだが,やはりという感があった.それがどういう意味を持つのかはまだ見えてこないが,北高山脈の地質を考える上で重要な点であることにはまちがいない.北高山脈は,古生代前期〜中期の収束帯のレムナントなのかもしれない.
  **君がそんなことを考えているとき,『構造地質学雑誌』の編集委員会から手紙が届いた.その内容は;[☆☆列島の構造地質学的諸問題]と題した特集号を企画している.ついては**君に北高山脈について現在得られている知見のレビューを(オリジナルデータを交えて)書いてくれないか;というものだった.若輩の身で,多少の気後れはあったが,**君はこの依頼を引き受けた.3週間後にとにかく書き上げた草稿には,@@教授の朱筆が真っ赤に入り,編集委員会に原稿を送ったのは,依頼を受けてから結局3ヶ月後だった.それから一ヶ月ほどして,第一回目の査読結果が送られてきた.レフェリーの意見は,どれももっともなもので,**君の(自分では気づかないような)独断もやんわりと指摘されており,**君は多少顔を赤らめつつ修正作業に取りかかった.
  しかし.その指摘の中でただ一つ,いまいちしっくりしないものがあった.北高山脈のテクトニックモデルを論じた項の中の“中・古生代の北高山脈に関しては,一般に認められた帰納的なテクトニックモデルはまだ無い”という彼の表現に対してレフェリーからは,「モデルというものは帰納的でないのが当然だから,当り前ではないか!」というコメントがあった.なるほどその通りである.完璧な帰納ができるのであればモデルなど必要とされないだろう.何かの本で読んだのだが,『科学は,千のアイデアと一つの正解から作られる』というのがあった.これは別の表現にすれば,『999の破棄された思いつきと一つの正解』ということになるのだろうか.一つの正解(真理)が導かれればまだ良い.もしかするとそれは,“千の妄想”にもなり得るのではないだろうか?

  **君はこのレフェリーのコメントを前にして,数カ月前に英知大学で開かれたシンポジウム「★★テレーンの構造層序学的再検討」での出来事を思い出していた.このシンポジウムの目的は,★★テレーンの中の後期中生代以前に形成された地質体を再観し,そのテクトニックな検討の基礎となるべき構造層序学的区分(tectonostratigraphic division)や構成岩相に関する基本的認識を提示し合おうというものだった.とはいえ,やはりパネラーの発言がテクトニックモデルへと収束するのは司会者にも阻止し難く,あるパネラーなどは,★★テレーンの東に二つ西に一つの計3個の島弧の存在を主張し,聴衆の驚きを誘った.これはこれとして解釈としてはうなずける点もあったのだが,ディスカッションでのこのパネラーの「これは2,3日前にふっと考えついたもので,2,3日後にはまた別のモデルを考えているかもしれない」という発言の大胆さに**君は度肝を抜かれてしまった.自分には真似のできぬ(うらやましい)事とも思ったが,本当にそんなことで良いのかという疑問が湧いたのもまた確かだった.

  **君は,科学(地質学)の入口に立っているにまだ過ぎない自分の力量をはっきりと認識していた.しかしこういった“テクトニクス論”と,それをあたかも頂点に戴いているかのように見える地質学というものに,どうもすっきりしないものを感じた.それは地質学にこれからも関わっていくという彼の確固とした意志とは裏腹に,彼に軽い憂欝を覚えさせた.確かに,馬鹿の一つ覚えのように岩石の褶曲軸や劈開面を測定し,歪みや応力の方向を推定するなどということをいつまでもやっているだけでは,「質の高い一般性のある研究」とはとてもいえないだろう.それは分かっているのだが,しかし,それ以外に自分にはどういう道が残されているのだろうか? 現実問題として,☆☆列島のテクトニックモデルとしては,上の“三重島弧モデル”を見ても分かるように,もうその順列組合せはほぼ出尽くした感じがある.いまさら,地質構造を検討してみたらこれこれのモデルがやっぱり妥当と考えられました,などと言ってみても,〈それではオリジナリティが無い〉と指摘されるのが落ちである.他人よりも少しでも早く,しかもよりでかい声で言ってしまった方が勝ちという世界にはとても馴染めそうにない自分を呪いながら**君は,[岩石や地層を露頭で観察しているときが一番楽しいな]などと無意識のうちに退行しつつ,小さな声で呟いてみるのだった.「やっぱりテクトニクスなんて大道芸だ…‥」.

投稿者 注
< 蛇足であるが,多少の補足を…‥.こういうイヤミなものを(しかも匿名で)支部報に投稿することは何事か!と怒る方もいると思う.しかし,そう感じていただければ,この文の目的の半分は達成されたことになるのである.なお‘誤解を恐れて’言っておくと,私そのものはテクトニクス大好き人間の一人である.
 ところで私は,暇な夜には水戸黄門などを見てしまう旧人類のひとりでもあるのだが,ときどき不思議に思うことがある.なぜあの悪人達は,『静まれ静まれい.御老公の御前であるぞ』の声と印篭一つで静まってしまうのだろうか? たまに一人ぐらい,『そんなんがなんぼのもんじゃい!』とかいって御老人をばっさりやってもよさそうだが,それではそもそもドラマ(虚構)にならんか….つまり何を言いたいのかというと,“テクトニクス”が水戸黄門の印篭に成り下がってしまうのを私は恐れているのである.一度そういった【虚の権威(雛の王様)】に成り下がってしまったものが急速に現実への有効性を失うのは,歴史が何度となく教えている通りである.
<< さらに蛇足であるが,これはフィクションである.故に実在の個人・団体・社会組織とはなんの関係もない.これほんとの蛇足.


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