尻高沢層生痕

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撮影場所は不明であるが,これも横川~尻高沢周辺と思われる.撮影時期も不明であるが,minolta のレンズキャップは大学院先輩の嶋岡さんから借りた OM なんとかというカメラのものなので,1975-76 前後かと.

で...珍しくもなんともない生痕であるが,実は南部北上下部石炭系では,非常に珍しい.私が見たのはこれが唯一のものである.その要因は白亜紀花崗岩による熱変成と褶曲に伴う層面すべりであるが...これは見たところ,層面に対して掘り込んでいるタイプのものに見えるので,層面すべりは関係ないか.

前の説明にも書いたが,当時の第2講座の古生層研究というのは,ある意味斉一論に反するようなところもあり,このようなものの報告はほとんどなかった.たいしたフィールド経験もない学生が古生層の中に放り込まれてとにかく歩く,というのもあったのだろう.また当時は古生層について泥岩という用語はあり得ず,粘板岩と呼ばなくてはならなかったのである.私自身,下部石炭系の岩相層序を扱った川村(1985a,b,c)ですべて『粘板岩』の用語を使用している.既に湊地層学の呪縛は脱したと思っていたが,そうではなかったようである.砂岩はいつの時代でも砂岩なのに,古生層泥岩と呼ぶのに抵抗が...妙な時代であった.

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