第2講座4階実験室
昔話をしちゃったので,ついでにもう一つ.これはそんなに昔の話でもありませんが.上のプレートは,我が地鉱教室が理学部旧館から2002年に引っ越して6号館高層棟に移ってきた時,『第2講座4階実験室』から引っ剥がしてきたものです.
以下の話は,旧地鉱教室第2(層位学古生物学)講座に在籍・関係してなかった人には,何の話やらという話題ですね.歳取るとこうなってしまうので,すいません.f(^^;
このプレート,言うまでもなく当時(~1979)の第2講座教授だった湊正雄先生の命による注意書きです.この筆跡はおそらく,当時第2講座の助手だった熊野先生でしょう.
4階実験室というのは...理学部旧館に4階なんてあったっけ?...なかったです.おそらく理学部営繕の台帳にものってなかったのでは? 要するにこういう屋上の塔屋で,写真向かって右側は小部屋になってましたが,左半分は屋上へ上がる階段とその吹き抜けスペースでした.
この吹き抜けのところに軽量鉄骨を張り渡して,そこに床を敷いて隠れ部屋にしてしまった,というのが当時(ていつのことなんだか?)の経緯だったのではないでしょうか?
3階から“4階実験室”への階段を見上げてみると,その辺がなんとなく分かります.
当時の第2講座院生の間では,『あの床,いつか必ず落ちるぞ』というジョーク?がささやかれていたものです.
で...この4階実験室,私はD論提出後2年間の学振研究員時代にここに棲んでいました.同室は花粉をやっていらっしゃった五十嵐八枝子先生で...私は当時機関車のようにタバコの煙を噴き上げる人間だったので,だいぶご迷惑をおかけしたのではないかと恐縮しています.
その4階実験室も,我々が6号館へ引っ越したため,こんな風にがらんどうになってしまいました.寂しい風景です.私に限らずこの部屋のお世話になった方にはこの写真を見て独特の思いがあるのではないでしょうか?
これが2002年のことなので,今はどうなっているんでしょうか...怖くて見にいけません.:-p
ちなみに,もう時効だろうから言ってしまうと,この部屋に,土曜日の夕方からステレオセットを持ち込んで,大音響で夜明けまで(当然酒飲んで)ドンちゃん騒ぎをしたものでした.いま考えてみると,よくそんなことが許されたものだな...とほんとに思います.まあ誰も許したわけじゃないんだろうけど,気づかないのが半分と気づいても何も言わないのが半分,だったのかな? (^^; この実験室だけではなく,ほかのところでも,日曜日の夜から飲み始めて月曜日の朝になると『おい,そろそろ先生が出勤してくるぞ』と慌てて片付けた,という記憶もあります.ほんとになんという院生達だったんでしょうか.
2009/11/19 10:49:28