姥湖水明神
炭鉱廃墟の話を書いていると,ちょっとしんどくなってきました.ちょっと目先を変えます.
本州の山を歩いていると,北海道とは決定的に違うことがあります.え?ヒグマがいないって? まあそれもそうですが,『長い歴史』を感じるということですね.
これは,岩手県紫波町山屋のあたりを歩いているとき(1984年!)遭遇した『姥湖水明神』です.どんなところにあったのかもはや覚えていませんが,そんなに山の中ではなかったと思います.
で,これをトリミングして Photoshop で輪郭強調とかかけてやると,碑文がはっきりと見えてきます.
天保二年 施主 三右衛門
姥湖水明神
卯 三月八(日?)
...といったところです.天保二年というと,西暦1831年ですね.裏を見なかったのでそちらになにが書いてあったかは分かりません.
天保というと天保の大飢饉がすぐに思い浮かびますが,その大飢饉は1833-1837年頃らしいので,その前に立てられたということになりますね.
『姥湖水明神』というのがなにを意味するものか,その由来などは分かりませんが,インタネットで検索してみると,山屋の北西にある黒森山へ登る山道の水場に姥湖水明神というのがあることが分かりました.
この写真はそこで撮ったものなんでしょうか...たしかに私はその頃,角閃岩の露出を追って黒森山の山頂に登っていますが.水場の記憶はない...でもそう言われてみると,背後に緑色岩の露頭が見えてますね.
2010/03/24 15:39:45