前期石炭紀玄武岩質火山岩





この話も(例によって)かなり古いです.私のD論(1983)の重要なコンポーネントですが,公表に漕ぎつけるのがなかなか難しく,要点を川村(寿)・川村(信)(1989),データの一部を川村(1997)に書いて終わってしまいました.まあ...今にして考えると大胆な話かな?とは思います.

南部北上帯の下部石炭系には,二つの玄武岩質火山岩層準があります.それぞれ,下位から,有住層下部層および大平層下部層です.つまり,この二つの層準が有住層と大平層の下底を define しています.(注:このほかに加労沢層というのがありますが,話が複雑になるので省略)
この火山岩が何かというと,溶岩はもちろんありますが量は少なく,大部分が『ラピリ火砕岩』です.上の写真は大平層下部の露頭ですが,私のバイブル,湊(1941)でも,もちろん大注目層準となっています.なんだか色が白っぽく見えますが...




サンプルを採取して切断してみるとこうなっています.暗緑色のラピリも淡緑色のラピリもすべて玄武岩です.要するに変質しているわけですが...ちなみに元の火成鉱物はまったく残っておらず,苦鉄質鉱物はすべて緑泥石(・変成角閃石)に置換されています.

で,これを岩石化学的に見てやろう,つまり化学分析してやろう,というのが私のトライでした.今にしてみると黒っぽいラピリのところだけとかいろいろ考えられますが,当時はそんなことは考えられず,とにかく全部粉にして全岩,という手法でした.さすがに,シリカやアルカリも含めて主要元素で,というのは考えず,意味のありそうな元素だけに限って,という賢明?な考えでしたが.




詳しくは論文を見てもらうとして,ここにあげたのは,P-Ti 図です.これを見るとお分かりのように,『それらしい』組成が得られています.通常の(新鮮な)玄武岩とそれほど違わないコンパチな値を示していたわけです.Fe/Mg-Ti図なんかでも同じでした.
これは少なくとも,多少変質(組成移動)してはいるけど,まあまあオリジナルな要素を残しているだろうというわけです.上に書いたように,いささか大胆なあるいは『怖いもの知らず』なトライでしたが,何事もやってみるもんだな...と思っています.

これらの判別図から言えることは,有住層・大平層の玄武岩は,島弧玄武岩より enrich していて,MORBからwith-in-plate玄武岩の領域に落ちるということでした.ただし有住層の溶岩は,(加労沢層の火山岩とともに)島弧玄武岩側に離れていますが,なぜラピリ火砕岩と組成がかけ離れているのかは不明です.

ということで,川村・川村(1989)では,前期石炭紀の南部北上帯の構造環境を,『成熟した島弧の背弧域またはその近傍』としたわけです.その理由として安山岩を伴わない(バイモーダル)というのもありましたが.




最後におまけですが,大平層の粗粒火砕岩の柱状図(川村,1997)をあげておきます.陸前高田市小坪沢の北側斜面で採ったものです.斜面を這い上がりながら調べたのですが,かなりきつかったのを覚えています.
塊状ラピリ火砕岩から上部に細粒・成層化する厚さ20 mほどのシーケンスが5回反復するのが見えており,おそらく火山性粗粒砕屑物重力流(一部は土石流)堆積体であろうと考えられます.

我ながら昔はよく頑張ったなぁ,と思います.今,南部北上帯の古生層を研究している人は,砕屑性ジルコン関係を除くと誰もいないだろうと思われますが,なんだか寂しい限りです.

2014/02/27 12:10:45


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