魚竜の価値?!
なんだか笑い話になってしまいそうだな...
この写真,しかるべく常識のある人だったら,すぐに何か分かると思います.何かだけではなくてその価値も.
で...(若いときの?)私はそうでなかったと.
時は...一体いつのことだったか? フィールドノートひっくり返して調べてみたら,1982年5月15日,ひっぇ~...いまから30年近く前のことなんですね.
場所は,宮城県雄勝町荒浜.同行者は現宮城教育大学川村寿郎氏,現弘前大学鎌田耕太郎氏,それに横山裕氏の3人です.たしか最初に見つけたのは,海水をものともせず海岸から“甲島”に飛び移った川村寿郎氏だったと思いますが...私は最初見たとき,植物化石かと思いました.でも,そうじゃない事はすぐに分かり,フィールドノートには『脊椎動物化石を含む.魚竜?』と書いています.まあおそらく,鎌田氏に教えてもらったんでしょうけど.
このときの我々の巡検目的は雄勝三畳系の堆積相だったので,まあ立派な化石だということは分かっても,それ以上どうこうするという気も起こらず,この写真だけ撮って帰ってきたわけです.横山君はなんだか名残惜しそうだったけど,“ほら,帰るぞ”てな感じで.ばちあたりな大学院生だと思います.ほんとに.
ちょっと自己弁護しておくと,この二日前に,私は卒論生の森永君のサンプリングに付き合って住田町尻高沢に行っており,そのとき,落ちてきた岩石で左手中指を挫創しています.で,巡検の際の移動は当然バイクだったもので,グローブを付けるのも大変なほど指は腫れ上がっており,クラッチ握るたびにずきんずきんと...そんなわけで,地質学的な集中力も失せていたんだと思います.いや,ほんと.(^^;
その後,鎌田氏が札幌に帰って加藤誠先生に雑談?でそんなのを見つけたと言ったところ,『君たちはものの価値をまったく分かっていない!!』と大目玉食らったそうです.さもありなん.私はそこにいなかったので,難を逃れましたが.
その後の経緯は...特に分かっているわけでもないので省略しますが,加藤・箕浦先生が科研費使って発掘.その作業にはなぜか私にはまったくお呼びがかかりませんでした.役に立たない,と思われたんでしょうね.(^^;
この魚竜化石,その後箕浦先生が長くクリーニングに携われ,変形解析云々といろいろお役に立ったようです.現在,理学部2号館のロビーにレプリカが展示されています.
でもまあ,こうして改めて見ると,これ,自然にこう出ていたわけじゃなくて,もしかすると,誰かが取り出そうと四苦八苦してあきらめた,という形跡もありますね...
2009/09/16 15:36:48