尻高沢層の珪長質凝灰岩
下部石炭系最下部層尻高沢層の名前が出たので,それを特徴づける珪長質凝灰岩について.
左の写真は,本層の珪長質凝灰岩の中では,もっとも粗粒と思われる岩相の研磨標本です.本質岩片による eutaxitic な構造が明瞭で,一見熔結凝灰岩様ですが,熔結はしていません.もちろん海成層ですが.たしか模式地の尻高沢周辺から採取したものだと思いますが,白亜紀花崗岩の接触変成で黒雲母が生じているので,なんとなく赤褐色をしています.
あと,ぽつぽつと見える粒子は,石英・長石の結晶破片です.
これら尻高沢層の,少なくとも粗粒な珪長質凝灰岩は,このカテゴリーでだいぶ前に書いたとおり,少なくともその大部分は海中火砕流堆積物です.
鏡下ではこんな感じで,結晶片がかなり目立ちます.中央は融蝕形石英,他の多くは斜長石ですが,カリ長石も少量含まれています.なお方解石粒子も見えていますが,これは生砕物で,おそらくウミユリ茎破片だと思います.
まあ要するに流紋岩質粗粒凝灰岩というわけですが,その昔私が所属していた北大第2講座(湊研究室)では,『玢岩質凝灰岩(porphyrite tuff)』と呼ばれていました.凝灰岩なのになんで半深成岩質なの?と面妖に感じますが,当時は玄武岩質火砕岩のことを『輝緑岩質凝灰岩(diabasic tuff)』と呼んでいましたので,そういうノリだったのかも.
私はこの珪長質凝灰岩(当時は酸性凝灰岩)を,『流紋岩質な』と表現したのですが,講座の先生方(というより,湊先生)から冷たい顔でにらまれたのを覚えています.湊先生は,古生層というものあるいは古生代という時代を,なにか特別なオーラでとらえていましたので,それに対して流紋岩質といった generic/universal な語には違和感があったのかもしれません.
鏡下で単一ポーラで見ると,基質の部分にははっきりと火山ガラス片の形が見えます.Vitroclastic というわけです.古生代の凝灰岩にそういう組織が残存しているというのも,第2講座では私が初めて指摘したことではなかったかと思いますが,そういう時代でした...
『玢岩質』という言葉自体は,当時第2講座と親和性の高かった第3講座の舟橋三男先生等の影響もあったのかも?と私は勝手に考えています.
あとまあどうでもいい話ですが,当時の酸性凝灰岩(acidic tuff)を私は acid tuff と表記していました.加藤誠先生に『英語変じゃない?』と指摘されたこともありますが,『外国論文で見た表記だから』としばらく使っていました.『acid』という語感は,私のような世代には LSD (Lysergic Acid Diethylamide)の俗語別名を想起させるので,若気の至りでなんとなくかっこいいと思っていたのかも?
2012/03/01 11:19:59