『地鉱教室第三講座』と私


この話題は,年末にふさわしいものかというと,まったくそうでないような気もするのですが...話の内容は,南部北上とは直接関係ない話ですが,私の中ではつながったものなんですね...って,なんのこっちゃ分かりませんよね.(^^;

私は南部北上古生層研究をはじめた当初は,興味の中心は(下にも書きましたが)『古い地層の層序』でした.しかしそのうちにプレートテクトニクスの波が押し寄せるにつれ,『南部北上古生層って,要するにいまの何?』という疑問が大きくなってきました.
私の当初のテーマであった下部石炭系でも,『ヒン岩質凝灰岩』とか『輝緑岩質岩(diabasic rocks)』とか『シャールスタイン』とか,普通の岩石名に翻訳するのが非常に難しいものばかりがフィールド名や時には正式な岩石名として,飛び交っていました.これをなんとか『共通語』に置き換える必要があるというのが私の考え方でした.流紋岩質凝灰岩や,玄武岩溶岩のような.

それには,それらの岩石の岩石化学的性質を明らかにする必要があるわけなんで,必然的に『化学分析』の方向へ.しかし,当時の化学分析の状況は,まだXRFなんてものはありませんでしたから,(素人には)非常に難しい『重量法』という方法をとる必要がありました.ここでお世話になったのが,お隣さん,第三講座の実験室(とノウハウ)でした.幸いにも大学院での先輩・同僚に恵まれていたということにもなります.この方向性は,詳しいことは省きますが,半分は成功し,半分は失敗しました.

第三講座は正式には『鉱床学講座』でしたが,舟橋三男教授を筆頭として,鉱床学にはとどまらない広い範囲の岩石学を扱っていました.いわゆる『阿武隈学派』?? それが湊正雄先生の層序学とコラボレートして,『安倍族造山運動』,つまり日本のバリスカン造山運動を主張する流れへとつながっていったわけです.この件については,また別のアーティクルで触れる機会があると思いますので,このへんで.

以下は,1999年4月に本家HPのほうに書いた『廃墟の幻想』からの再録です.
-------------------------



この写真は,1999/04/05現在の理学部本館南棟2階の廊下です.3月までは生物学科の連中が住んでいたところですが,高層新棟の完成で皆引っ越してしまい,廃墟のようになってます.理学部本館は,北大総合博物館の建物として使われることが決まっていますので,もうすぐ改装工事も始まるようです.
 この風景,出勤時に階段を上がってきて必ず目にするものですが,暗い廊下と天井にぶら下がっている薄汚れた蛍光灯...何度見ても,背筋にサワッとくるものを感じてしまいます.最初はその感覚がなんなのか自分でも分かりませんでしたが,そのうち,昔見た夢の風景に似ているせいだと気付きました.

...煉瓦の破片や破れた原稿用紙などが散乱する理学部の廊下を歩いていくと,暗い灯の中に,蝶番からはずれて傾いた実験室のドアが見える.その中に入っていくと,そこは,大学院のときに化学分析をやっていた実験室で,ガスバーナの上やエアバスの中に放置された白金るつぼや水の定量に使ったペンフィールド管は,なぜか私が使った時のまま.過マンガン酸カリウム溶液は滴定瓶の中で乾いてこびりついている.あれから十何年も経ったはずなのに,なぜこのようなものがそのまま残されているのか.みんなはどこへ行ってしまったのか.自分はなぜ一人でこんなところにいるのか...




 実は,この情景は,かならずしも100%夢の中のものではないんですね.私が博士課程のときに南部北上帯の石炭紀火山岩の全岩化学分析をやらせてもらった第3講座(当時)の分析室は,その後教授が何代も交代しましたが,なぜかほとんどそのままの形で残されていました.さすがにペンフィールド管がガスバーナの上に放置されているようなことはありませんでしたが,分析台の引き出しの中にビニール袋の中に入ってそのままになっていました.エアバスの中の白金るつぼも,一部ヒータが断線した電気炉も,滴定用の標準溶液が入ったポリ瓶も,現実に,そのままでした.

 なんと言うのか...『潮が引(退)いていく時』というのは,こういうものなのかという気がします.旧地鉱教室が“崩壊”してから,まだそんなに時が経ってませんが,退く潮に足を浸している感覚が“心地よい”と感じる時があるのはなぜなんでしょうか...
----------------------

いろいろな感慨や批判はありますが,『地鉱教室第三講座』は,南部北上研究者としての私の一部であるという気がします.『第二講座』もその後解体されていくことになります.

2009/12/25 11:31:11


コメント:
 嶋岡 (2009/12/25 19:54:28)
  懐かしいですね。何故か緒方君の姿が記憶の彼方から浮かび上がりました。昔、みんな(私だけかもしれませんが)化学が苦手?
なのに・・・・悪戦苦闘しながら徹夜していましたね。
いまだ遠軽現場です。湧別層も変質を受けている所もあり悪戦苦闘中です。

コメント:
 mkawa (2009/12/25 21:27:38)
  嶋岡さん,どうもです.
第三講座については,私もいろいろ感じる・考えるところがあるのですが,文章で書こうとすると,なんだか難しいです.
私はどっちかというと,『踏み絵を踏んでしまった』方なので,忸怩たるところもあります.でもそれで良かったような気もするし,やっぱり難しい.(^^; いくら歳取っても,あの頃のことを思うと,いつも同じ時間軸にとどまっているような気がします.


カテゴリー目次へ戻る
トップページへ戻る