奥火の土不整合-その1





それでは,思い出の南部北上シリーズの再開.(^^;

この露頭(というか単なる斜面ですが)パノラマは,1978年4月に撮られたもので,岩手県住田町奥火の土西方です.南を見ています.
下を流れる川は火の土川.私の卒業論文は,この火の土川とその北支流の横川との間の地域でした.

で,この写真のちょうど真ん中下あたりに,氷上型花崗岩の小岩体(奥火の土岩体)があり,その上位には石灰岩体が接していることは,私の卒業論文以前に湊先生の第二講座では先輩方の卒論調査によって既に分かっていました.ただその石灰岩体は上部石炭系長岩層と解釈されており,氷上型花崗岩とは断層関係ということになっていました.

私の卒論(1974年調査)でも,そのへんはちょっと良く分かりませんでした.なにしろ火の土川を踏査するだけで精一杯.
で,その後の修士論文の調査の際(1975年11月)に,この斜面を登って降りて(目的は下部石炭系基底層)帰ってきたときに,この斜面下部で黒色石灰岩の転石を拾い,その中に“chain状の群体サンゴ”が入っているのを発見しました.これがシルル紀の示準化石 halysitids であることを確認したのは,札幌に帰ってからでした.この確認には,当時の大学院の先輩だった新川公さん(現新潟大学)に助けていただきました.感謝です.

これによって,世田米地域にシルル系が分布していることが明らかとなり,その下位に分布する氷上型花崗岩との関係が大きな問題となっていくわけですが...それは to be continued.

なお蛇足ですが,加藤誠先生に連れられてこの halysitid を湊正雄先生に見せに行ったとき,湊先生が『私たちはツイています!』と叫んだことはいまだに良く覚えています.たしかにツイていました.私はこの化石の発見によって,『第二講座に残留でき,博士課程に進学できた』からです.:-p このへんの事情はまた別の機会にでも.

2009/08/04 14:42:56


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