その後の奥火の土





ということで,(話終わりじゃなくてまだ続きますけど)先シルル紀不整合問題の私にとっての発端となった奥火の土の斜面がその後どうなったかというと...上の写真みたいになってしまいました.

2001年5月の撮影ですが,いまはもっとうっそうとなっているかもしれません.“その1”のパノラマ写真と見比べて欲しいのですが,真ん中付近に木に囲まれて白っぽく見えている露頭が,パノラマ写真の左に見えている露頭です.白っぽいのは氷上花崗岩で,その上に断層関係で奥火の土層の海成凝灰質泥岩が乗っています.

不整合露頭は,この右上の尾根のすぐ下だと思います.たしか1994年に巡検で行ったとき,不整合露頭を見つけるのがはなはだ困難で,ほとんどあきらめたときヤブの中でやっと見つけることができた,という状況でした.

なにを言いたいのかというと...地質学的発見というのは,ほんとに偶然の賜物なんだなということ.私がたまたまこの斜面を歩いた1975年頃にこの斜面が伐採されていなければ,発見は絶対にありえなかったと思います.上の写真のようなところをそもそも誰も歩かない(歩けない)と思うし,仮に無理やり歩いても,おそらく何も見つからないでしょう.

それ以前に,そもそも現在,南部北上の古生層を調査する研究者がほとんどゼロである,という状況なわけですが...それは悲しいけど,地質学の現状を考えると,無理からぬことだとも思う.こういうフィールド歩いてD論にしよう,だなんて,いまや誰にも勧められることじゃない,というか.

2009/08/21 12:45:50


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