濱野コノドント露頭





追憶の南部北上シリーズがだいぶ続いてしまったので(まだまだ続きますけど),ちょっと目先を変えておきます.

早池峰帯(とあえてそう書きます)は,ある意味で,私と内野隆之さんとで現在進行中のテーマということにもなるわけですが...下に書いたように,当初(1980年代中ごろ)は,北上古生層研究グループの次なる新研究テーマだったわけです.それがいろいろあって(というより構造的に・必然的に)停滞してしまったわけです.それはある意味,私自身の力不足というか,研究手法の限界を示すものだったな...と遠い目で(^^; そう思います.

その状況を外部から,動かしてくれたのがこれでした.濱野ほか(2002)によるデボン紀チャートの発見です.実際の化石の発見はこの論文公表からずっと以前の話で,濱野さんのD論研究の頃ですから,1980年代末の頃だったと.そのデータがいろいろな事情でずっと“貯蔵”されていたわけですが,早池峰帯研究の進展のためには欠くべからざるデータであるということで,私のほうから濱野さんと当時の指導教官の岩田圭示先生に頼み込んで,私が公表作業を担当し公表させてもらいました.

この赤色チャート(岩手県盛岡市水沢)から産出したデボン紀コノドント(Palmatolepis)は実に見事なもので,写真も私の手元に預からせてもらってますが,版権の問題があるのでここにはお見せできません.濱野ほか(2002)をご覧ください.

これによって,早池峰帯の研究は急展開しました.なにしろ,少なくともその海洋プレートが後期デボン紀ということが証明されたわけです.私たちは,ずっと早池峰帯は古生代の付加体であると考えていたわけですが,それがもう一歩で証明される,そういうデータでした.この発見があってこそ,早池峰帯の付加年代を証明する内野ほか(2005)の前期石炭紀放散虫年代の発見があった,そう思います.

ちなみにこの赤色チャート写真.濱野さんのコノドントの発見の10年位後に私が撮影したものですが,残念ながらこの岩体そのものからはコノドントを追認できませんでした.もしかすると厳密には別の岩体だったのかもしれません.

2009/10/08 11:24:45


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