歌露礫岩
なんだかんだ言って,もう8月になってしまいましたね...あれこれ忙しくて,はっと気づくと7月のブログ更新はたったの2回だけでした.おまけに地質ネタは一回だけ.うーむ...これはいかんな.百選投稿とかが一段落すれば更新頻度も上がるのではないかと思ってはいるのですが.
で,明日からお盆休み・夏季休暇を取る予定なので,その前に駆け込みアリバイ地質ネタを.
歌露礫岩という名前は,北海道の地質に関わっている方ならば,どこかで聞いたことがあると思います.要は,えりも町海岸地域に分布する異様に変形した第三紀(という用語はもはや使ってはいけないのですが)礫岩層です.あまりに変形していて,すぐ北に分布している白亜紀付加体(イドンナップ帯?)と見分けが付かないほどです.
どのくらい変形しているかというと,こんな感じ.白っぽいのは花崗岩質岩礫の変形したもので,それを研究した当時北大大学院の卯田強さん(現新潟大学)の仕事(Uda, 1973 など)は,当時としては先駆的なものだったのではないかと思います.
この写真なんかは,典型的な変形様式を示しているのではないかと思います.共役正断層で切れて,全体が伸張している,という.この変形と日高山脈のテクトニクスという話自体(木村・楠とか)には,正直言って私個人はあまり興味を感じないのですが.
歌露礫岩は襟裳層のメンバーですが,襟裳層はその岩相などから長らく新第三系川端層に対比されてきました.しかし,栗田・楠(1997)によって漸新世の渦鞭毛藻が発見されたため,その時代論は一気にさかのぼってしまい,この花崗岩質岩の起源が日高深成岩であるという議論はそのままでは(単純には)成立しなくなってしまいました.誰かが年代測っててたような気もするんですが,どうだったかな?
ちなみに(ここからが本題? (^^;),私はこの歌露礫岩にはいろいろと思い出があります.まず,大学3年生のとき(1973年.約40年前!!),『道東巡検』で,当時の第1講座教授だった勝井義雄先生に案内していただきました.しかし,その記憶の中の露頭は,上の写真のものとはだいぶ違うような...結局今回はそれを確認することは出来ませんでした.
それから,10年くらい前に,当時大学院生だった川上源太郎さん(現道立地質研:法人化後の名前は知らん)と,歌露礫岩の露頭を見にいくべ,とクルマ降りて海岸へ歩き始めたのはいいんですが,『昆布干し場』の上をわしゃわしゃと歩いてしまい,小屋から走り出てきた漁師のおっさんにこっぴどく叱られた(怒鳴られた)ことも...それでなんだか凹んでしまって歌露礫岩露頭に到達することはそのときは出来ませんでした.
今回も,一度夕方近くに現地に行ってみたら,昆布漁の最盛期で,漁師の皆さんは殺気立って走り回っており,なかなかクルマを止めるタイミングがつかめません.しょうがないのであきらめて次の日朝一番で行ったら,なんとか止める場所が見つかって,無事海岸に降りられたというわけです.おまけに干潮で潮もかなり引いていて,露頭の裏側にも回れたり,超ラッキー.
そのときも,観光客と思しき老夫婦が昆布干し場の上を堂々と歩いていたので,よっぽど忠告してやろうかと思ったのですが,まあ余計なお世話だろうと,やめときました.
2010/08/06 11:24:33