釣堀露頭
これもなんだか“懺悔書き込み”になってしまいそうだな...川村ほか(1999)でちょこっとだけ書いた蝦夷層群中の変形構造露頭です.川村ほか(1999)で書いたときは,『これからちゃんと検討するぞ』という意味合いがあったわけですが,結局...そういう書き方はやっちゃダメよと反省.m(__)m
蝦夷の変形構造というと,私の研究室では,弘前大学から(たしか.記憶違いだったらご容赦)修士課程に入学してきた山真典君にやってもらったのが最初でした.1996年のことだったと思います.着眼点は良かったけど,私の側にこのテーマを指導するスキルが不足していた...はぁ.
懺悔はこのくらいにしておいて,場所は日高町千呂露川支流の春別沢川の入り口です.すぐそばに“伊澤釣堀”というのがある(あった?)ので,私は釣堀露頭と呼んでいます.層準はいわゆる“中部蝦夷層群”ですが,層序区分等はきわめて不十分です.
この変形露頭,はじめて見たとき,うわっ!と思ったんですが...正面から見るとぴんと来ないかも.横からすかして見るとこうなっています.
こういう“準層平行剪断帯”というのは,何故か分からないんだけど,背筋がぞくぞくしてしまいます.パッと見で分かるように,スランプ変形のような“柔らかい”ものではなくて,コンピーテント層もけっこう固結した状態での変形と感じます.感じるだけですが.泥質岩中には,けっこうな鱗片状劈開も生じています.
剪断帯の中を良く見ると,層平行の引っ張りが効いていて,ここに見えている砂岩層は伸張破断して,おまけに右側落ちの正断層でドラッグ形態を示しています.
それにしてもこういう剪断構造が,いつどのようにして生じたのかが大問題ですが...私の直感としては,埋没続成直後,おそらく付加変形の影響を受けたもの,というものでした.そこから,“蝦夷東帯”のイメージもできて行ったわけです.
今にして見ると,そういうイメージは正しいのかどうか,自信は持てません.それは系統的にこの類の変形構造を検討することが出来なかったためでしょう.
うーん...残念・心残りです.ちなみにこの釣堀露頭,ある年に行ってみたら,露頭上部からの大規模崩壊でデブリに埋まってしまっていました.自然は手ごわい...その後どうなったんでしょうか? 最近数年は確認していません.
2009/12/02 09:47:27