豊浜トンネル坑口のその後





このカテゴリーの話は(おそらく)しばらくはこのへんが打ち止めだと思うので,一気に書いちゃいます.

このパノラマ写真は2001年6月に,札幌のコンサル関係の有志が旗振りをして実現した,『豊浜トンネル坑口を海上から見る』イベントのときに撮ったものです.要するに漁船を1隻チャーターしただけなんですが.

だいぶ昔のことで,このとき船上から撮った9枚のパノラマ写真は,当時使っていたパノラマ合成ソフトでは,うまく合成できませんでした.
これは,現在使っている PTGui を使って合成したもので,実に自然に合成が成功しています.さすが PTGui.

で...右端がセタカムイ岬,左端がチャラツナイ岬です.チャラツナイ岬のすぐ右側に見える芝を張った部分が,豊羽トンネル崩壊坑口です.現在はこの区間全体がトンネル別線になっていて,写っている区域に立ち入ることはまったく不可能です.ちなみに,セタカムイ岬は,この翌年,2002年に渡辺暉夫教授が不慮の事故死を遂げられたところです(合掌).




豊浜トンネル(旧)抗口のところをクローズアップすると,こんな感じで,崩壊岩盤の下にあたるところには人工地山?が載せられているようです.
あらためて剥離面を見ると,やはり地質学的な(地層層序・割れ目系...)コントロールがこの崩壊事故に大きな影響を及ぼしていたんだな...と実感されます.

いまさらなんで?と思われるかもしれませんが,ここが私の地質屋としての原点の一つであるということで.1996年以前には,こういう類のことが私の原点の一つになるとは,露ほども思っていませんでした.

2009/12/04 12:19:25


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