館浜メランジュ
下に書いた泥注入の“序章”になった話を少々.
この写真は,川村ほか(1986)で報告した館浜メランジュの海岸露頭遠景写真です.場所は松前町館浜北方.真ん中付近の黒っぽく見える部分が全部メランジュ(含礫泥岩)体です.
近接して見ると,まあなんというか典型的な含礫泥岩の格好をしています.白っぽい包有物は,チャートや珪質泥岩が多かったと思います.あともちろん砂岩も.
この館浜メランジュは,威張るわけじゃないですけど,おそらく北海道で固有名詞形でメランジュと命名された初めてのものだと思います.もっともオリジナル論文には恥ずかしくも“メランジェ”と表記されていますが.そのころはそう発音すると思っていたものなので,まあご勘弁.
ちょっとしょうもない昔話をすると...実はこの松前町館浜周辺は,私が北大地鉱教室3年生のとき(1973年)の“修論”フィールドでした.当時は今からすると無茶な話ですが,熊の出るようなフィールドをほとんど素人に近い3年生が,教官の指導もなしに『一人で』歩いていたものでした.私も山に入ろうとしていたときに道で会った土地の人から『一人で山に入ったら死ぬからやめろ』と言われたことがあります.そう言われてもね~...と気にせず入りましたが,当時は学生も鈍かったというのか豪気だったというのか.今だったら絶対そんなことはさせられないですね.
で,誰からも指導なしにこの海岸を歩いていると,当時はそんなことまったく知らなかったけど付加体なんですから当然,こういう岩石(右写真)がやたら分布しているのに出会います.
この写真は,当時の修論から採ったものですが,まだカラーフィルムもなく,白黒フィルムでヤシカのカメラで撮った懐かしい写真です.
この岩石(岩相)はなんなのか,なんと呼べばよいのか...3年生だった私は悩みましたが,教官・院生含めてこんな岩相に見識を持っている人など皆無です.なにしろ日本は“プレートテクトニクス前夜”だったわけで.悩んだ私は,あれこれ教科書をあさった挙句,“含レンズ状礫黒色粘板岩”と名づけたのでした.写真見るとお分かりのように,かなりの部分にスレート劈開が発達していましたので.それにしても当たらずとも遠からず,グッジョブだったと思います.
この“3年目の悪夢”に研究対象として私が戻ってきたのは,それから10年以上後のことでした.
2009/11/13 10:14:30